理数系教員は修士以上に、との提言 242
ストーリー by Acanthopanax
先生はマスター 部門より
先生はマスター 部門より
maia曰く、"読売新聞の記事によれば、若者の理科離れを憂い、理科教育の質を向上させるため、小中高の理数教科教員は修士課程修了者とすべきとの提言がまとめられた(文部科学省科学技術・学術審議会人材委員会、主査は小林陽太郎・富士ゼロックス会長)。曰く「子供たちに、理科や数学を学ぶ楽しさを教えることが重要」で「理数教科の教員は理工系の大学院で学び、高い専門性と最新の知識に裏打ちされた、魅力ある授業を展開すべき」とか。これを受け、新規採用は修士以上とすること、現職にも院修学のための休業制度を活用することなどが考えられている。
でも大学院と教員養成は一般にはあまり結びつかないような。それに自分が理解していること(学識)と、人に教えること(能力)は若干ベクトルが違う気がする。特に、大学教育の話ではなく、小中高の話なのだから。"
大学と、大学院 (スコア:4, すばらしい洞察)
やっていれば、卒業できてしまう大学に対して、
院では、自分で研究テーマを決めて、
自分で計画をたてて、勉強していく自主性がさらに
求められます。そのような勉強を自主的に行い
計画をたてていく経験は先生となっても
活かす事ができると思います。しかも教員となれば、
自主的に勉強していかなければ、教科書の進歩に
追いつけない場合もでてくると思います。
専門性という意味でも私が勉強していた経済学は大学の
4年は経済学の一般常識を学ぶだけで、経済の専門で
食っていく為には、院を通常でなければなりません。
理系も同じような状況だと風の噂で聞いた事があります。
しかも今後、誰でも、大学を卒業できる社会になっていくと
言われています。
そのような社会で、先生が大学をでているというのは、
専門性ではなく、その人の優秀さを選別するという意味で
みても意味がありません。(特に入れば卒業できると
言われている日本の大学では。)
私の人生を変えたのは一人の先生で、その先生には
今でも感謝しています。だからこそ自分は先生というのは
非常に重要だと思います。教員の質を高めるのは非常に
重要だと思います。生徒の知的好奇心を煽るのは
教科書に書いている内容以外の事です。教科書の内容
しか教えれない先生というのは存在意義がないと思います。
(もちろん、教科書の内容も理解できていない教員は
論外です!)
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Re:大学と、大学院 (スコア:3, 参考になる)
日本と同様に子供の科学離れが問題視されているというイギリスでの話ですが、
2002年9月より、Imperial Collegeと製薬会社のGlaxoSmithKlineの協力で、
研究員(ポスドク)が研究を続けつつ理科教育に参加するプロジェクト
INSPIRE (Innovative Scheme for Post-docs in Research and Education) [ic.ac.uk]が
試行されているそうです。
予算の問題などもあり(現在は大学とGlaxoの協力で6人雇っているだけ)、
まだ試験的なプロジェクトではありますが、
3年の採用期間が過ぎた後は、研究を続けても教師になっても良い、とあるので、
博士修了者を(本人の希望と適性によって)理科教育に登用する意図もあるように思います。
(ちなみに、ポスドク研究員と教員養成課程とを組み合わせた契約、とあるので、
教える技術に関しても大学側がフォローしているものと思われます。)
さて、この記事中、Leeds大学のJohn Leach教授(理科教育)の言として、
「多くの理科教師は卒業後すぐ就任するが、大体は、(知られている)事実を学んだだけで、
実際に科学を実践した(doing science)経験は(博士課程ででも産業界ででも)殆どない」
とあります。
今回の提言で「修士以上」とした意図が、単に知識面を重視してのものであれば、
(特に小中学校に関しては)あまり賛同できないのですが、
科学の楽しさを伝えるためには科学を「やった」ことのある人を採りたい、
という意図であれば理解できますし、
その意図を(小中学生の保護者や教員志望者も含めて世間一般に)
もっと強く主張すべきであるように思います。
その場合、少し上のコメントにもありますが、学校以外での経験も積極的に買っていいと思いますし、
教師として採用しないまでも、このINSPIREのプロジェクトに倣って、
研究者とのチームティーチングというのも考えられるのではないでしょうか。
参考文献:"Science education: Doing it for the kids", Nature 430, 286.
全文閲覧(有料購読が必要) [nature.com]
Re:大学と、大学院 (スコア:1)
検定が済んだあとの教科書に対して何十箇所も修正をしてもらわないと
使いものにならないなんて教科もあるわけで。教科書検定なんてものは
一人くらいは専門の人を交じえてやってると思ってたのでショックでしたね。
Re:大学と、大学院 (スコア:1)
学部であっても自分で卒論などの研究テーマを決める人もいれば 修士であっても上(博士課程の学生や教授など)に研究テーマを決められる人もいます.
また, 『自分で研究テーマを決めて』とのことですが, 入れかわりの激しい研究室では一つのテーマを長く続けて行くために 新しく入ってきた学生に 研究テーマを押し付けてしまうこともあります. 博士課程や修士課程の下に学部の学生が入る形ですが. 当然そのまま残れば『自分で研究テーマを決めて』ってことにはなりません. なので学部と院の差というほどでもないような気がしますよ.
『専門で』というのが『研究で』という意味なら理系も同じですね. でも 大学で学んだことを使ってという意味であれば修士行かなくても食べていくことは出来ます.
Re:大学と、大学院 (スコア:2)
文科省のさらなる暴走か!? (スコア:3, 興味深い)
教育の勉強をもっとしっかりとしてもらう方が重要だと思います。
修士課程で学ぶことって、学士の時の専門をもっと深く掘り下げた
ものになるから、その学問のおもしろさを知るにはある程度、
聞く側にも下地がいると思いますし。
私は今理系の修士ですが、自分の研究を他の専門の人に
説明しようとすると、理系の人に対してでも一苦労します。
その上、学ぶ楽しさを教えるとなると・・・・
文科省のお偉いさんには、理系出身はほとんどいないって聞きますけど、
だから、こんな明らかに本来の目的からずれたアイディアしか
でないんでしょうかね。
Re:文科省のさらなる暴走か!? (スコア:3, 参考になる)
生徒を「オイやるぞ」と引っ張っていく芸人ばりの技術というのは
教壇に立つものなら必須だとは思う。それが「ただ学問を究めただけ」では身につかないことも確かだ。
けど、その学問のおもしろさを伝える技術は、
やっぱり付け焼き刃でなく究めた人じゃないと無理じゃないか?
生徒が単純な問題をサボらずに解いていく緊張感を持っていられるのは
飽きない授業をやれる教師の芸人的な腕だけど、
その数式なり定理なりに興味やおもしろみを感じさせていかないと、
やはり意味がないし、つまらないと思うんだな。
この話、突き詰めていけば「教」と「育」はそもそも両立するのか?みたいな話になりがちだし、
水掛け論にすーぐなっちゃうんだけど、
本来相反するもんだろうが、兼ね備えてなきゃいかんもんなのよ。教師なら。
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:1)
なるのはいいことだと僕も思います。
>これを受け、新規採用は修士以上とすること、現職にも院修学のための休業制度を活用することなどが考えられている。
というのが本文にありますけど、理数系の先生は大学院を
行ってないとなれないようになっちゃうのはやっぱ問題じゃないかなと
おもいます。
やっぱり、教育に対して意欲があるかないかが一番の問題で、
大学院には行ってないけど、幅広い知識(深くはないかもしれませんが)
を持っていて、理数系の先生になりたい人って少なくないと思いますし。
そういう人たちの教育者への門をとじちゃうのは、よくないんじゃないか
と思ってしまいます。
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:2, おもしろおかしい)
この手のアイディアを思いつく文部省の役人の頭の中ではそうなってるんでしょう。
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:1)
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:1)
修士→博士と進み, 大学教授を目指しちゃったりするような人の中には 研究だけでなくて 教育を志す人もいるかもしれませんね.
特に大学教育に関わる人で, 『大学までの教育に一言物申す』ってな人なんかは:-p
いや 物申すべき(本当の)相手の方針にのっちゃだめだろって気もしますが.
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:2, 興味深い)
教育学部を出れば玄人になれるかと言えばそんなことは無いです(大学なんて本人がどれくらい真剣に勉強するかどうかで激しく差が出る場だし)。
教育の技術自体は「先生」を続けていくうちに身に付くものでもありますけど、科学的素養は「先生」を単純にやっているだけでは身に付かないものでもありますし(小中学校教諭なんかは仕事が忙しくて他の勉強なんてなかなか出来ない)、元々素養がある人が先生になると言うのも悪くないと思います。
ただ「理系修士に限る」じゃなく、せいぜい優先する、程度にしたほうがいいとも思いますけどね。でないと単に職にあぶれた理系修士の受け皿で終わりかねない。
それとこれは副次的ですけど、学校現場ってパソコンを初めとして情報技術に疎い人の集団なので、そちら方面に知識がある人が増えるのは良いことだと思います。本来はそれはそれで募集すべきですけどね。
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:2, 興味深い)
それは迷惑だなぁ。
教育委員会とかがやる研修は、大抵が面白くありません。
そもそもが「あなたの地域は何名」と下りてきて「各学校何名」という割り当てになり、かならずしもそのテーマを勉強したい人が集まってくるわけではない。(組合のも同じ)
当然モチベーションは下がり、面白い研修会にはならないのです。
民間の教育団体や、有志の集まりでやっている勉強会の方がよっぽど有意義ですよ。そういう研修会を「研修」扱いで出席でき、交通費が支給されたり、研究費が支給された方がありがたいです。
Re:いや~、一理あると思うが。 (スコア:2, 興味深い)
面白い授業をしないと、受ける側も辛いよなぁと実感しますよ。
教育委員会など「お上」の研修は、概して理論的なことや理想的なことをのたまっている方のお話を座して聞くというものがおおいです。
それに対して、民間や有志の学習会は実践的なことや実験的なことが多いので、面白いし、すぐに授業にいかせるし、新しい手法や教材もそこから生まれてくる。
しかし、前者は研修扱いで交通費が出てといろいろ援助してもらえるのですが、後者は休暇を取って自費で移動してなどと手弁当です。
後者にいろいろと援助をしてくれるようになるといいのですが。援助はなくてもいいから、研修あつかいで行かせてくれよ~
Re:文科省のさらなる暴走か!? (スコア:1, 参考になる)
まともに研究しながら国家試験を突破するのは難しいですから。
ただ、理系が皆無と言うことはないです。知人にも、
理系学部出たのに事務官としてキャリア組になった人が
何人かいます。
#昔は別として、ここ数年はね。
で、学部卒では確かに対外的に格好も付かないし、
希望者は入省後に留学で修士や博士号を取るのが普通です。
キャリア志望だったけど、官庁訪問して萎え萎えになった
東大法卒なのでAC
Re:理系で修士取らないのは本当の理系じゃないよ (スコア:1)
理系って言葉は『人』を表すのか?とか 理系という言葉の定義がないのでアレですが.
まぁいいたいことはわかるんですけどね.
今はどうだかわからないんですが, 女性だと院に進学して修了した時に 就職しようとすると研究職しか残らないなんてこともあったりしたんですよ. 学部時代で同期の人はそれで結構悩んでいましたし.
男性でも博士課程に進学する時にそんなことで悩む人もいると思いますが.
で, そういう事情(他にも金銭的な問題で進学したくても出来なかったりなんてこともあるかもね)とかがあったりすることを 考慮すると 『院に進学してない人は理系(の人)ではない』 ってのは言い過ぎのような気がしますねぇ.
僕は 高校の先生とかが修士持つことに対してはいいことだと思いますが, 『教職とるために進学してきたなんてのが研究室に沢山いたらじゃまだなぁ派』です:-p
理科離れの原因 (スコア:3, すばらしい洞察)
理系のほうが儲かるなら、多少難しくたって、理系を目指す人が増える。アメリカなんかではそういう理由で最近は理系のほうが人気らしいし。
そうやって理系人間が増えれば教えるのがうまいやつも増えるし、そこに市場があれば、教えるテクニックも磨かれるだろう。
学歴と授業のわかりやすさは関係ないだろう。
休業して大学院に行くよりも、プレゼンセミナーでも受けるがいい。
Re:理科離れの原因 (スコア:2, 興味深い)
問題は本文にもあるように理科を教えている教員が「理科の楽しさ」を教えられていない点だと私も思います。あくまで「こういう教師もいる」という話(一般論ではない)になりますけれど、私が家庭教師をしていた時に“学校の先生が『実験は怖いからしない』とか『虫は嫌いだから昆虫採集もしない』と言っている”という話を子どもから聞いたことがあります。そういう、理科を教えられない人間が理科を教えれば、嫌いになって当たり前だと思います
ただ、これは理系の大学院を出ていれば教えられるかと言えばそんなことはないでしょう。詳しければ魅力を十分説明できるなら、開発系の企業に営業部は不要です
#理系の大学院を出ていて教員免許を持っている(けど教員ではない)のでID
Foot to the Home
変なもの部 [slashdot.jp]
Re:理科離れの原因 (スコア:1)
> そこまで将来を考えて「理系離れ」できる小中学生がいるとは思えません
直接小中学生が生涯賃金のことを考えることは少いとしても、
進路選択の中で、生涯賃金を意識する大人たちの影響を強く
受けることは十分あり得ることだと思いますよ
Re:理科離れの原因 (スコア:1)
>進路選択の中で、生涯賃金を意識する大人たちの影響を強く
>受けることは十分あり得ることだと思いますよ
「理系離れ」と「理科嫌い」は違うと思います
小中学校で理系教科に苦手意識を持ってしまうと、「好きこそものの上手なれ」の逆で、理系科目に関心を失うのではないでしょうか?
確かに、将来を考えたときに理系職種が厚遇されていれば「頑張って理系科目を勉強するか」と勉強をして、結果理系科目の魅力に気付くこともあるかもしれませんけれども、それは本質的ではないような気がします。まあ、理系文系双方に優れた逸材が「理系選んでみるか」という効果はあると思いますが……
Foot to the Home
変なもの部 [slashdot.jp]
Re:理科離れの原因 (スコア:1)
学校の仕事をしっかりこなした上で、執筆や研究会を精力的にやっている先生が、管理職から嫌みを言われたという話を複数聞いています。
Re:理科離れの原因 (スコア:2, すばらしい洞察)
>休業して大学院に行くよりも、プレゼンセミナーでも受けるがいい。
吉本で下積み+ドサ周りさせるとか、秋葉原駅前で実演販売させるとかの、実体験的話術向上の研修の方が
大学院に行くよりも、確実にスキルアップになると思う。
#特に実演販売で何を学ぶべきかというのを肌身で感じられると思うが。
/* Kachou Utumi
I'm Not Rich... */
Re:理科離れの原因 (スコア:2, すばらしい洞察)
その業界に入った人が食えなくなって出て行くからで、
それらをやれば、話術が向上するというのは嘘だと
私は思う。
数学の大学の教員をやれば、数学がうまくなると言うのと
考え方は同じだと思う。
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Re:理科離れの原因 (スコア:1)
しかし 行く先を間違えてジョニー人形のようなサクラを使うようなテクニックを覚えてこられても困るかも:-p
Re:理科離れの原因 (スコア:1, 興味深い)
(1)理系は大学入試を突破する学力を身につけるのが大変
(2)理系は学費捻出が大変
(3)理系は毎日実験々で大変
(4)これだけエライ思いをしているのに所詮理系は低賃金
極端な話これでも理系を目指すとしたらマゾだよ(言い過ぎか・・・)
Re:理科離れの原因 (スコア:1, おもしろおかしい)
Re:理科離れの原因 (スコア:2, 興味深い)
大体の場合、営業の間で「月に幾らで何人分の労働力なり成果なり供給するか」(人月と言う)を決めて、それを基に賃金や仕事の配分を決めるから、
仕事の内容とか労働者の能力とか賃金って余り重要視されていないのよね。
特にソフトの下請け業界なんざ悲惨な物で、「人買い」が横行してるから、営業的には頭数合わせが最重要になって、能力や賃金に見合わない形で仕事に突っ込む場合が余りに多いのよ。
# これが、デスマーチ発生の最大の理由だと思う
シリコンバレーあたりみたく、労働者の能力や希望に対応して客先に労働者が直接売り込める労働システムが確立してればいいんですけどね。
Re:理科離れの原因 (スコア:2, 興味深い)
実際、「コミュニケーション能力」やなんかを「文系的」なスキルとするが多くていつも違和感を感じます。いわゆる文系学部では、専門課程でそんなのを教わるのですか?
「法律に通じている」「財務諸表がすらすら読める」なんてのは文系のスキルだとおもいますが、「コミュニケーション能力」なんて誰であれあったがいいでしょう。
むしろ親とかの方が (スコア:3, すばらしい洞察)
学歴よりも現場の人間を講師に招いた方がよっぽど為になると思うのだが。つか、理系離れはそんな所に理由は無いと思う。ただ単に文系の方が社会に出てからの待遇がいいだけのことだと思うんですが?
まぁ、実際は学校での教えよりも、親自身がエンジニアとかだったりするほうが効果はありそうですな。うちの親父、よくその手の見本市とかのイベントに私を連れて行ってましたナァ。中学に上がる頃には、もうその関係しか眼中に無くなってましたよ。(苦笑)
Re:むしろ親とかの方が (スコア:1)
個人的な経験としては, やはり親の影響ですね. というか, 小学校から高校までの12年間でまともな理科教育を受けられたと感じた授業をしてくれた先生って2人ぐらいしか覚えがないんですよね.
こんな感じでもともと理科系の親からの相伝だけで成り立っていた日本の初等理科教育が, 親の多忙により崩壊してしまったというのが真相なんじゃないかな.
Re:むしろ親とかの方が (スコア:1)
というわけで、親からの相伝には賛同するのですが、多忙による崩壊というよりも、絶対数自体が減ってるんじゃないかな?と思いますね。しかも、今後はより進行してしまうかも?
結局のところ、素養が備わっていないと。こればかりは幼児の頃からやらないと無理なので、親以外には無理だと思っているんですが、文系の親では無理かもしれませんね。
そういや、理系の知育玩具も最近は減ってますね。電子ブロックは復刻していますが、デルタックスその他は普通にはもう売られていないようですし。
#デルタックスは今でも欲しいですけどね。私自身が(苦笑)
Re:むしろ親とかの方が (スコア:1)
ある程度の年齢の子供なら、
Sessame WG6 [sessame.jp]みたいな取り組みやら科学館でのイベントやら色々あるのですが…。
それでも親子が前提のものが多くて、いわゆる文系の家庭では(親が)つらいかもしれない。
# 先週3歳の娘の要求でMeSci友の会に入会したID。
from もなか
又吉イエス (スコア:2, 参考になる)
どうやらいい先生だったらしいよ。
上から詰っている~余剰博士対策~ (スコア:1)
長い不況が続いて就職難から大学院等へ流れていったけどその就職先がない
そこで国としての対策がこれです。
#ところで熱いのに [yomiuri.co.jp]
#半年まってネット買えば安くなるのに...
教育って子供置き去りですよね? (スコア:1)
親を含めた周りの環境に大半が左右されてしまうでしょうから。
本当に不運なのは、先生に恵まれないことじゃなくて
恵まれていないことに気が付かないほど
教育に無関心になってしまう事かと思います。
もっと子供に選択権がある教育になるといいんですけどね
#子供に何がわかる!!
#わからないから教えるんじゃないですか:-P
先生なんて (スコア:1, すばらしい洞察)
偉い人にはそれがわからんのです
学位よりも... (スコア:1)
伝わるかってことが、必要なわけなんだよね。理数系の学者先生より、実際のつまり
実務実業にてそれを使っている人で、教えることにモチベーションを持っている人を
教員にすべきではないか?と思うんだよね。
そりゃ、確かに自分がやっている範囲は狭いし、学者先生より知っていることは少な
いだろうけどね。でもさ、実際に生かされないとか実際として使えないという思いが
理数系の教育を阻害しているわけだよな。
なぜ理系だけ? (スコア:1)
でも、理系に限らず、教える能力のない、魅力を伝えられない先生って(特に公立には)たくさんいると思います。
英語が教えられない、国語が教えられない英語国語の先生も多くないですか。
私の目から見たら、中学校の文系科目の先生が特にひどかった気がする。
(でも理系がどうかは、授業寝てたからあまりわからないんだよね。)
それに比べれば、理系の方がまだましかもしれぬと思ってしまう。
教科書の範囲を一通りやるだけなら、誰でもできるように思うし、
むしろ、理系の魅力なんて、教科書にたくさんお金かければ、ある程度伝えられるようになると思います。
単に理系進学者を増やすためだけなのかもしれないけど、なんか違う。
理科離れって言うのもよくわからない。
90年代の理系人材不足のことらしいけど、今はどうなんだろうか。
結局 (スコア:1)
修士で教育論学や授業論を学んでた訳でもなく、
現在のレベルで(純粋な意味での)知識不足でのないのならば、
授業や教育の充実という意味/目的では逆効果でしょう。
大学や市井/在野との連携が、なぜ打ち出せないのだろう・・・。
Re:教える (スコア:1)
教え方ってのはそれ自体が純粋な技術(スキル)なので、
そういった教育を受けていない人なら五十歩百歩かと。
知らないことを教えるのはアレだけど、
知ってて教え方が下手なのはこれまたアレかと。
Re:教える (スコア:2, すばらしい洞察)
頭で理解していることと(自己と言う世界に閉じた話)、
人にソレを的確に伝えられるか(他者と言う世界に踏み込む話)は全く別の問題。
その証拠に、
あなたの両親の顔を知らない人に、
両親の顔を綺麗に説明できるかやってみると良いよ、
あなたがいつも見ていて当たり前の世界の話なのに、
いかに相手が誤解や思い込みをするかが面白いように分かるから。
教える(伝える)ってのは、知っているだけじゃなくて、
相手の知識レベルや性格なども見抜けないと上手くいかない。
人間って無意識に自分だけの「常識」や「前提」を持ち出すので、
(相手にも常識や前提があることを忘れちゃいけない)
話が混乱することがたくさんありますよ。
それを理解しない教師が多いから、
教育ってのはどうしても「詰め込み」になるのですよ。
まあ、今の日本教育における詰め込みの弊害ってのは、
今のカリキュラムの組み方自体にも問題があるんですけどね。
Re:教える (スコア:3, すばらしい洞察)
子供達への「お話」をお願いした事があります。
その時、何かを「深く」知っているという事は
それだけで非常に大きな力なのだという事を実感しました。
専門教育でなく、子供に何かを教えるというのは、
「知識を与える」部分よりも「興味を与える」部分が大事で
それには、自分が対象を良く知っている事はもちろんですが
子供の状態を把握できる事もとても大切なのだと思います。
切りつめて言ってしまえば
自分がその事を「知らない」のだという事を理解させて、
それを「知りたい」と思うように誘導するのが理想で、
その為には「知識として教える対象」を理解する事と
「子供の状態を共感して」注意深く見る事の両方が
多分必要なのだと思います。
「教育」でなく「スラッシュドット」でも同じ事で
自分が専門知識を持っている事と
それを専門の違う人に理解できるように話す事は
レベルの違う作業です。
そういう部分が理解できない人が教育現場という
「子供には選択権のない」場にいて欲しくはないです。
「科学技術白書」曰く
「研究者には社会に対する説明責任が有る」
でも、専門的な内容をわかりやすく伝えるには
伝え手には膨大な「専門外の」知識・能力が要求されます。
大人が相手の場合でも、同じです。
# 社会人としての経験が無い教員というのは、
子供にとっての危険物だと思っているので ID
Re:教える (スコア:1)
別に量子力学における量子的取り扱いを厳密に理解してなくとも
量子の世界がいかに身近な常識と背馳していて、不思議な
世界なのかは話せると思いますし。
むしろ、知りすぎてるとつい細かい話になっちゃって
理解してもらうのが難しいかもしれないと思います。
コミュニケーション能力とか (スコア:1)
どうやって教えるか、相手に理解させるかは別の問題で、
修士課程でコミュニケーション能力なんかを勉強してもらえば
いいでしょう。
Re:教える (スコア:1)
教員実習やりながらとかのほうがいいかなぁ
一人暮らし<シェアハウス
Re:教える (スコア:1, 参考になる)
現状を言っているのでしょう。
わかりやすく教えられる教員は実際問題少なくて問題ありです。
一生有効な教員免許にも問題があるようです。
公立の場合かんたんに解雇もできないので、うちの小学校の場合
授業担当なしの閑職になってもらいます。給料は同じなので
人気がある始末。一生懸命やる少数の教員が非常に忙しく
暇な人は余裕のある生活という二極化はずいぶん前から進んでいます。
Re:教える (スコア:5, すばらしい洞察)
んーと、ACさんの学校の話に対するつっこみでは無く公立校の教職員のあり方についての話なのですが
それ以前に、その非常に忙しい、一生懸命やる教員にきちんと時間外手当を支給することを何故はじめないのでしょうか?>文部科学省。公立校では、授業の質を上げようとして教材に工夫を凝らしたり、自主的に指導法の研究をしたりしても時間外手当は付かないのですよね。=仮 説= 教員が死ぬほど忙しい理由 [nifty.com]を読むと公立校の教職員は(1)生徒の実習、(2)学校行事、(3)教職員会議、(4)非常災害等の場合にしか時間外手当を支給しなくてもよい給特法などという恐ろしい法律があるそうです。
あとは、その仕事をほとんどしない閑職の先生の給料が下がらない制度も問題でしょう。ちゃんと査定をして、優秀な教員にはきちんと給与で差を付けてあげることが大切だと思います。
その辺をすっ飛ばしておいて、いきなり理数系教員は修士以上になんて話が出てくるのがおかしいです。先ずはよい授業を一生懸命する、優秀な先生をきちんと評価してそれに報いる制度を作るべきでしょう。
授業の話からは外れますが、部活動で休日に引率などをして手当がたったの1700円 [all-edunakama.org]とか言うのも泣ける話です。ぼくは小中高と公立校だったのですが、日曜日も部活に精を出して熱心に指導してくれたあの先生方は皆、ほとんどただ働きだったのですね。あらためて感謝です。
教員 + 公立 + 時間外手当とか給特法でぐぐると色々興味深い [geocities.co.jp] ページが [all-edunakama.org]引っかかりました。仕事をしない日教組先生、だけど時間外手当の要求を出すのは日教組という構図とかこの問題、根が深そうですね。
Re:教える (スコア:3, 参考になる)
それは歴史的背景があります。
昔々先生たちが授業も生徒もほったらかしてデモに精を出していた頃、「管理教育は教師の管理から」というスローガンをうちだして教員の「評価や管理をしない」ということを勝ち得てしまったのです。
そのまま連綿と教員の労務管理はタブーとなってしまったのでした。
こうした背景を受けて文科省や教育委員会は学級崩壊ならぬ職員室崩壊をどうにかしようと民間出身の校長などの投入を試験的に行ったりしていますが、狭い職場での徹底的・継続的な嫌がらせなどで校長が自殺したり病気になって労災が適用されたりしていることは数多く報道されている通りです。(要は文科省や教育委員会も問題の本質にはメスは入れられない)
で、結局「やる気のある人に負担が集中してつぶされる」という構造が固定化してしまっています。
個別管理(評価)なし、足の引っ張り合い、モチベーションの維持が困難、と崩壊した東側諸国の問題点をそのまま色濃く残すのがいまの公立教育の現状と言えます。(その意味では日教組の運動はある意味成功したと言えるかもしれません)
もう、この国の公立教育の崩壊は崩壊しきるまで取り返しようがないのかもしれませんね。
Re:ほんとに子供のため? (スコア:1)
大学院の教官の数も増やさないといけない、、
という事で今だぶついてるポスドクの就職先が見つかるなら万々歳。
現在の人員で対応、とか言う事になったら悲惨な気もするが。
入学先としては当然自然科学系が多いでしょうね。となると日頃
「外部資金を持って来れない所はダメな所」
という烙印を押されたり
「理想はわかるけど実際それは金になるのか?」
などと言われてポストや予算をかっさらわれたりとなにかと形見の狭い思いをしている
(純粋な)理学系は勢力拡大のチャンスですね。
また、夢見がちな教員がたくさん来れば大学の雰囲気も変わってくるのではないでしょうか。
最近では修士を取りやすいからという理由だけで研究室を選ぶ学生が多い気がするので。
Re:ほんとに子供のため? (スコア:1)