『水からの伝言』、現在も授業中 283
ストーリー by Acanthopanax
まだやってたのか 部門より
まだやってたのか 部門より
Anonymous Coward曰く、
『水からの伝言』という本があります。水に「ありがとう」と声をかけながら冷やすときれいな結晶が、「ばかやろう」と言いながらだと汚い結晶ができるというファンタジックな本です。数年前からこれを元ネタに道徳の授業などが行われ、批判を浴びました。今年2月にも、ニセ科学が学校に入り込む例として毎日新聞の記事になったりしました。ですが 前野[いろもの物理学者]昌弘のページ:日記兼更新記録によるといまだ授業で使われている模様です。
このようなファンタジーなものを科学への誤解を生みかねない形で授業に使うことは疑問です。教育現場が世間離れしているのかもしれませんが、校内の理科の先生などは無力なのでしょうか? (編注: コメントで指摘されているが、小学校は基本的には教科担任制ではない。)
『水からの伝言』については、田崎晴明氏が『「水からの伝言」を信じないでください』というウェブページを公開しているほか、菊池誠氏も一連のブログ記事にて批判している。また、左巻健男氏は著書『水はなんにも知らないよ』の中で問題点を指摘している。
消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:4, すばらしい洞察)
この本の中で、小学校に上がってくる子供達はすでに「消費者」として自分を確立してしまっている、
という指摘があります。だから学問が役に立つと思えば「わざわざ勉強してやる」し、学問の意義を
教師が説明できなければ、納得できないのに勉強するなんて消費者の沽券にかかわる、という説です。
このような心得違いが、小学生に限らず、くだんの道徳教師にも蔓延している、という見方は
できないでしょうか。まるでバイヤーのように「科学」と「オカルト」を比較して、
子供達がより少ない努力でより大きな成果 (丁寧な言葉遣いなど) を得られる方を選んで
仕入れてくる、という考え方です。その考え方で正しい、と思っているからこそ、
前野氏の指摘に対して道徳教師は腑抜けのような反応しかできなかった、ということではないでしょうか。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
個人的にはそれが一番引っかかります。
なぜ,対人関係を学ぶ道徳事業に水を持ち出すのか。
で,エセ化学を教えることに呵責はないのか。
自分が「ありがとう」と言われたらうれしいし,「ばかやろう」と言われたら悲しいじゃないですか。
他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
水を持ち出さなくても,隣の席同士で声かけのトレーニングをするだけで十分目的は達せられます。
よく水伝のことを宗教だとかいうけど,化学にもなれず,宗教にもなれない,道徳的価値もない,最低最悪なものの一つですね。
教えられた方は信じて,得るモノはまったくないんですから。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
> 他の人だって同じです。・・・てな流れにならないと,やっぱり教師失格ですよ。
> 水に何かしたってコミュニケーションの訓練なんかにはなりません。
同感。
もしもボックスで「水伝が嘘ではなく科学的事実な世界」を作ったとしても、
「だからヒトを傷付ける乱暴な言葉はやめましょう」では、道徳になってないよね。
それって人間がどうこうの話じゃなく、あくまで水のスペックへの影響だもん。
自分が摂取する水にだけ優しい言葉を掛ければ済む話になってしまう。
聞かせるため・興味を持たせるためにキャッチーでオカルトなメソッドを選択しても、
それで意図が伝わらなきゃ何の意味もない。
# 海外で生水を飲む時は優しい言葉を掛けると御腹を壊しません、みたいな。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
自説を補強し続けるための循環に見事に陥っている感じ。
・私の結論は正しい、だから、結論に辿り着くための道筋も正しい。
・結論に辿り着くための道筋が正しい、だから私の結論は正しい。
これを繰り返しているから、真っ赤な嘘でも「言いたいこと」が正しければと許容してしまうのではなかろうか。
その罠を回避するために、自己客観視する道具が、まさに科学だと思うのですが。
この世界には、三種類の愚かさがあるように感じます。つまり、
(1)単純な、物理的・心理的な処理能力の低さ。
(2)思考停止を自分に許容する言い訳。
(3)幻想による自己正当化のループに嵌まり込むこと。
(1)は持って生まれたものなのでいまさら足掻いてもしょうがないし、(2)は自分で「考えません」と宣言してしまう場合がほとんど。(「そういうの弱いからさー」、「興味が無いんだよ」、「私は文系だから」、etc.)
これらは基本的に科学とは無関係の世界に着地するのでどうでもいいいんですけど。
最悪なのは、(3)。
一見賢そうに見えるけど、実は自己愛に満ちた幻想に毒されている、というケース。
この中にいると、自分が正しいことを盲信してしまうし、甚だしきは、他人にも伝えようと変な使命感に燃えて宣伝・洗脳に励んだりする。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
問題は、 こっちの、科学でないものを科学であるかのように教えることでしょうし、教師に科学の素養がなさ過ぎることでしょう。
そんなことはないと思いますよ。やさしい心は得られるでしょう。ただ、科学的視点を失うでしょうけど。
科学と道徳が整合しないように、科学と幸福も整合しません。科学よりも幸福の方が重要と考える人が居てもいい。そういう人は水伝を信じてもいい。水伝は詐欺的手法とは無関係のようだし。
ただ、学校教育でこういうものを「正しい」と教えるのはどうかと思います。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:5, おもしろおかしい)
科学 ( ゚д゚) 幸福
\/| y |\/
Σ( ゚д゚) 幸福の科(自主規制
(\/\/
#さすがにAC。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:4, すばらしい洞察)
科学というものが役に立つなら選択すればよいし、そうでなければ選択しなくても
かまわない、ということになるでしょうか。
それは内田樹が指摘した心得違いと非常に近いものだと思います。
消費者と学徒は違います。学徒は、これから自分が授かる学問の価値というものを
事前に判断する能力を持っていません。消費者のように、自分に役に立つものだけを
なるべく安く買いたたく、という訳には行かないのです。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:3, 興味深い)
ちょうど以下のコメントがあったので
>作り話と判っていれば、非科学的・荒唐無稽な物語でも構わないわけですから
個人的にえせ科学で腹が立つのは、作り話で無いような雰囲気・暗示をかけるため
または、権威付けをするために、必ず科学を用いる点(NASA開発のパワーストーンとかに近い)
科学の話をするなら、科学のルールに従って話をして欲しい
この話でも、小学生向けの道徳教育なら、
結論は「おいしい水になった」とか「美しい水になった」
などの抽象的、非科学的な表現で十分である
ここに、結晶が云々という、科学的な、いかにも信憑性のありそうな
「単語」を持ってきて、でたらめを正当化させる点
(小学生に結晶云々の話をしてどうするのだ?)
別にすべてが科学的である必要はないが、
えせ科学は、必ずイントロダクションで、
既存の確立した科学現象を引き合いに出し
自分の、非科学的な結論をごまかそうとする
こういうのって、人の権威を笠に着て、なおかつそれを裏切る行為であり
科学の人間としては許せないな〜
で、その手合いって、科学の権威を持ち出しながら
最後は、科学でもまだまだ分からないことがある、って逃げるんだよね、、、、、
もう一つ、たとえ話でも科学的な用語は使えないか?
とおっしゃる人もいますが
たとえ話は、話を簡単かつわかりやすくするために用いるためであり
科学の知識が乏しい人に、科学用語を用いたたとえ話は
有効ではありません
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, すばらしい洞察)
「作り話と解っていれば」、それが大きな仮定ですね。
ただでさえ子供には現実と架空の話の区別がつきにくいのです。ましてや、科学については現実でさえファンタジーのように聞こえることがままあるのですから、この場合、そういう仮定をするのには非常に慎重にならざるをえません。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, 参考になる)
うーん、あやしいなあ。うちの息子の通う小学校には、どうもそういうのが好きな先生がいるみたいで、息子が「先生が言ってた」と、マイナスイオンの効果、水にありがとう、ゲーム脳と次々真に受けて来るので困っています(だからといってゲームをしなくなるわけでは全然ないのが子供らしいところですが)。子供にはやんわり否定的意見を述べてはいますが…学校に抗議のメール送ろうかと思ったのですが、
PTA役員をやっている妻は、学校や教育委員会に抗議するのはやめて欲しい、学校といざこざを起こしたくない、だそうで。
Re:消費者として「科学」を選択してやる、という心得違い (スコア:2, 参考になる)
困ったことに無関係じゃありません [hado.com]ね。
エセ科学も問題だけども (スコア:4, すばらしい洞察)
それは、「綺麗な結晶は良い結晶、汚い結晶は悪い結晶」と、決めつけているところ。
これを教えている人は、「見た目が悪いと言うことは悪なのか?」と言う質問をされた時、どう答えるのだろうか。
Re:エセ科学も問題だけども (スコア:2)
水の伝言をするときの教師のメッセージは『きれいな言葉遣いをしましょう』なのでしょうが、『きれいな結晶はいい結晶、汚い結晶は悪い結晶』というメッセージも同時に発信しているので道徳教育としてもよろしくないということですね。下手すると、不細工な生徒が苛められる温床にもなりそうですね。不細工なのは悪い奴だというお墨付きをこの道徳の授業で得たと勘違いした生徒が主体となって。
# こんなくだらないことをやるなら道徳をやめて『修身』をやったほうがまし。
# 全てをやるのは世情にはあわないけど、一部を削れば今でも通用すると思うし。
水が人間を裁けるなら (スコア:4, おもしろおかしい)
-- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
波動砲、発射 (スコア:3, 興味深い)
ほら、何も知らない保護者であることを装って
『水にも心があるの?』『波動って何ですか?』とか質問してみよう!!
...食いついてきますw さらに話が進むと『月の裏側には(ry』とかなりがちですが ^-^;
しかし、こういう「とんでも科学」を信じている人たちをみると
なんかコンプレックスの塊だし、妄信的で怖い感じがするのは なぜ??
Re:波動砲、発射 (スコア:2)
もし、測定装置で良い値が出たら人体にいい影響を与えるというならば、高温、高圧、高電流、高電圧...etcが人体に良いということになってしまいます。正直、どれも人体にいい影響を与える前に多くの場合致死させそうですが。
# 余談だけど、
# トンデモ系を批判する時もちゃんと科学的なプロセスで批判しないと同じ穴の狢だと思ってしまう。
# トンデモだといわれて鵜呑みにしちゃうのも同じだなと。何でトンデモなのか考えないと。
参考までに:
特許庁: http://www.jpo.go.jp/indexj.htm [jpo.go.jp]
ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:2, 興味深い)
水だの石だのに人格を求めてしまうので何かしら意志を伝えようとするんでしょうけど。
サイコロ振る時に必死に祈ったり振り回したりするのも似たようなものだと思えるし、
ジャンケンする前に手を組んだりするのも、マーフィーの法則なんかも近いもの……と思うんですが。
で、なんで水だけこんなに食いつくんだろ?ってのが疑問ではありますけどね。
「なんとかインチキできんのか?」
水にも萌えがわかります (スコア:5, 興味深い)
アキバ系音楽ユニットMOSAIC.WAVが昨年12月に発売したシングルCD『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ [www.sham.jp]』であります。
「お気に入りのキャラのカップで飲んだら水がおいしかったので水にも萌えがわかります」
「このたび私が開発した恋愛活性イオンで10人中9人が恋をしました(あとの40人は実験に不誠実なので除外しました!)」
というようなたいへんシュートな歌詞に萌え電波系としか言いようのない歌声が加わるともうたいへん。
「二日で合計30時間MOSAIC.WAVを聞かせ続けたら苦痛を訴え始めたのでAKIBA-POPは有害です!」
としか言えないくらいの破壊力を持って聴く者の脳を犯し続けます。もうなにがなんだか。
とはいえ、この曲がそこいらの凡百のただの萌え電波ソングと違うところは
「数字と機械でそれっぽく着飾って理想と科学の境界線せいいっぱい侵犯しましょう」
「『確からしい』って言うほかないのはわかってるけれど
『愛の存在は実証済み』と言い切っちゃったほうが科学っぽいからみんな信じる」
「あなたの望んだ結論のためならデータを選んで信憑性盛大に吹聴しましょう」
「私の都合にぴったり そんな科学はないかしら?」
「よくできた科学が魔法と区別がつかないせいでよくできてない科学も魔法と区別がつかない」
といったような歌詞でもって何気に辛辣に世間の科学感を皮肉っているところです。
(歌ってるみ~こ嬢の脳が溶けそうな甘い声についつい理性を押し流されて聞き逃してしまいそうになりますが)
萌えというオブラートに包まれた、たいへん優れた科学リテラシー啓蒙ソングとして試聴を強く推奨するものであります。
#曲中で何度もリフレインされる
#「ふぉるしふぃえいぶる・ぱらのまふぇのみな」
#という呪文がじつは"falsifiable para-normal phenomena"(反証可能な超常現象)
#であり、そもそも反証可能とは科学哲学者カール・ポパーが提唱した科学と非科学を分別するための一概念でありポパーは
(以下20行は省略されました。続きを読みたい方はwikipedia [wikipedia.org]でも読んでてください)
この曲はMOSAIC.WAVの公式ページで一番だけは聞けます [www.sham.jp]。
youtubeやニコニコ動画にはフルバージョンが上がってるかもしれませんが
この二人、ほかにもなかなか面白い歌を作ってるのでできれば買ってやってください。
オススメはコンピュータの人間に対する憧憬を歌ってる
「キミは何テラバイト? [www.sham.jp]」
「恐る恐るスイッチ入れたら 無愛想な“OK”の2文字
「konnnichiwa」って入力しても “Syntax Error”何それ? 読めない・・・」
と歌う「電気の恋人 [www.sham.jp]」なんてのもなかなかイイです。作詞家の柏森、お前は俺か。
「アニメを見てたら空前絶後の超展開!まん丸お目目で見てたんだ伝説誕生奇跡の瞬間」
という誰にでもある体験を歌い上げる「Space!Wave!Akiba-Pop! [www.sham.jp]」
なんてのもオススメ。
宣伝ぽいけどIDで。
Re:ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:3, すばらしい洞察)
「サイコロを振る時に、両手でしっかり振りながら祈ると、思い通りの目が出ます。」
とか
「ジャンケンをする前に、手を組んで中をのぞくと、必ず勝てる「手」が見えます。」
とかやってりゃ、
たぶん食いつかれてると思いますよ。
Re:ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:2, 興味深い)
個人的な推測ですが、かなりの確率で「著者は水に言葉を解する力あるとは信じていない」と思います。なぜかと言うと、信じていれば実験が成功しないからです。
都合のよい実験結果を出すためには、原理を理解したうえで何かを操作する必要があります。例えば、都合の悪いデータは端折ったり、実験するときに細工をしたりといった作業が。本当に正しいと信じているのであれば、データの改ざんが必要だと思ったりはしませんし、恣意的によい結果が出るような操作方法がそもそもわかりません。したがって、本当に信じている人が実験すると(予想した結果が出ないという点で)失敗します。
たまたま都合の良い偶然が起き続けた可能性もなくはないですが、著者の研究所で結晶を作成して撮影するサービスをやっていたりと、かなりの回数にわたって結晶を作成しているはずで、確率的にはサルにタイプライターを叩かせてシェークスピア戯曲が出来上がる域に近づいているはずです。
したがって、水からの伝言系統の本は明確な悪意を持った詐欺である可能性が非常に高いわけです。
学校教育に持ち込む時点で言語道断ですが、よりによって道徳の授業で詐欺の片棒を担いでるわけで、問題にならないほうがどうかしてます。
しもべは投稿を求める →スッポン放送局がくいつく →バンブラの新作が発売される
Re:ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:4, 参考になる)
いやいや、そうではありません。「著者に科学的精神が欠けてるから」で十分説明可能です。
実際に実験をやっていると、試しにやってみた1st trialで、すごく面白い結果が得られるケースってのによく遭遇します。で、「これは面白い!」とそこから先の実験を進めたくなるんですが…、そこをぐっと我慢して、必ず再実験を行う必要がある(一つ先のステップの実験に対照で必ず混ぜるってのでも十分ですけど)。それで、程度の違いはあっても再現性のある現象だってことが判ったら、そこで初めて先の実験をやる意味が生まれるんですね。
ところが十分な再現性がない場合、その原因がどこにあるのか、実験条件のわずかな変動によって変わっているものなのか、たまたま二回目の実験だけが例外なのか、あるいはそもそもその現象自体が幻想なのか、そういったことをきっちり見定める必要が出てくる。一般に「1st trialの面白い結果」というのは、とても魅力的なものなので、それが単なる無意味なものであった、ということを認めることは、しばしば抵抗がありますし、精神的に苦痛ですらあったりする。それでも、事実ならば事実と受け止める正直さ、自己批判の精神が科学者には必要なんですね。
ところが、そういった科学的精神に欠けた人では、最初の結果が単なる幻想という事実を受け入れることができず、「自分に都合のいい結果」は事実として、疑うこともなく受け止めるのに、都合の悪い結果は「あの部分がおかしかったから、このデータはおかしい」と排除してしまう、あるいははなから目に留めることすらしない。この例で言うならば、「ありがとうを見せた水」にできたきれいな結晶はカウントするけど、汚い結晶は見逃してしまったり、あるいは、きたない結晶しかできなかった回は「これは実験ミスだ」と自分に言い聞かせて、データから排除してしまう、そういうことをしてしまいがちです。そこに必ずしも「悪意」が介在するわけではありませんが、悪意の有無に関わらず、「科学的精神」を持たない人のデータというのは信用することができないんですね。
Re:ニセ科学ってヤツなんでしょうけど (スコア:2)
「ありがとうの水」「Thank youの水」「Danke Schönの水」「多謝の水」とかいろいろ試してみたらどうかな。
水伝のロジックのまずいところ (スコア:2, すばらしい洞察)
人に悪い言葉を使うな、ってのは「人によい言葉をかけられると気分がよい、わるい言葉をかけられると気分がわるい」「だから」「お互いによい言葉を使うようにして、お互い気持ちよくいられるようにしましょう」っていう最終段が一番大事なわけで、そこをすっ飛ばしてる時点で道徳としても低級なんですよね。
もしかして (スコア:2, おもしろおかしい)
もっとオラをワ(ry (スコア:1, 興味深い)
ついでに突っ込むと、理科の先生というのは小学校には特にいないのでは?
> このようなファンタジーなものを科学への誤解を生みかねない形で授業に使うことは疑問です。
むしろ道徳教育として間違っている、エセ成果主義的な授業に疑問を感じます。
#田崎晴明氏のサイトを紹介しているのは編集者として素晴らしい仕事だと思います。
#欲を言えば、もっとアレゲでニュースなタレを発掘してください。>Acanthopanax殿
Re:もっとオラをワ(ry (スコア:3, 参考になる)
で、今回、水からの伝言の話がぶり返してきたのは、タレコミにはありませんが、SAFETY JAPAN(日経BP) [nikkeibp.co.jp]の「水はなんにも知らないよ」の書評(6/15)が出たからじゃないかな。
(こっちはニュース扱い 「水は人の思いに反応する」というニセ科学への反論 [nikkeibp.co.jp]6/18)
書評なのかこれ? と思うけれども………
蛇足
私は、Acanthopanax様は、ことあるごとに似非科学関係のタレコミを採用していて、すごいなと思っております。
今回も、痛いニュース [livedoor.jp]で取り上げられているのを見て、「/.jにストーリーたってるかも、編集者はAcanthopanax様」と思って見に来たら、まさにその通りで思わず笑いました。
理科の先生? (スコア:1)
タレコミ中のリンク先 [nifty.com]より
小学校の先生って、理科の先生,国語の先生etcの区別って有りましたっけ?
小学生だったのが、20年以上前なので、今の小学校がどうなのか、良く知らないけど。
Re:理科の先生? (スコア:3, すばらしい洞察)
テストで「水の性質を挙げよ」みたいな問題を出したとして、
「きれいな言葉をかけたら結晶がきれいになる」みたいな回答されたらどうするつもりだろう。
理科の実験は、やはりみんなできれいな言葉を掛け合いながらやるのだろうか……怖い。
Re:理科の先生? (スコア:5, おもしろおかしい)
「んな訳ないだろ。ふざけるなら廊下に立ってろ。」
って答えれば、世の中の理不尽さとか、TPOとかも教える事が出来ますよ。
#別にどうでも良い話だと思う、ってよりも、道徳の授業内に科学的云々騒ぐなら、そっちのが問題だよなぁ。
#単なる良くあるデッチアゲの訓話だもん。
Re:理科の先生? (スコア:2, おもしろおかしい)
言葉の影響を排除しないと実験結果が安定しないので、黙りこくって行います。
理科専科の先生 (スコア:3, 参考になる)
もっとも,物理学会,応用物理学会,物理教育学会から中教審宛てに理科専科の教員を全ての小学校に配置する必要がある [nii.ac.jp]という提言が出ているところからすると,まだ配置率は低いのかもしれませんが。
Minato NAKAZAWA, Ph.D. Demographer, Human Ecologist
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:3, すばらしい洞察)
「ありがとう水」のケースで叩かれているのは、水の結晶が観測可能な対象のため、虚偽であることが明らかになってしまっているからでしょう。
この点宗教の場合は巧妙で、容易に観測が可能で無い領分を扱うことが殆どです。曰く「死後の世界」、曰く「前世と来世」、曰く「幸せ」。これらは現在観測されていない事象であったり、個人的な価値基準の領域であったりするため、否定も困難です。
「ウソをつくと鼻が伸びるよ」では虚偽が明らかになってしまいます。鼻が伸びたかどうか、統計で確認できてしまうからです。
一方、「ウソをつくと死後の世界で閻魔様に舌を抜かれるよ」では検証が困難です。死後の世界はあるのかないのか。死後の世界があるとしてどのように確認するのか。(私は無いんじゃないかと思ってるんですが何分無い事を立証するのが困難でして。ここに噛み付かないでください。)
こんな所も「生活の知恵」なのだなと思います。
「ウソも方便」という事で、子供を躾けるのにそういう類のものを使わざるを得ない教育現場の先生方には同情しますが、水の結晶云々についてはやはり虚偽がすぐバレてしまう、後々の科学的思考の妨げになりかねないという点から叩かれて然るべきだと思います。
「きれいな言葉を使うと心がきれいになるよ」でしたら、心のきれいさを測る手段が確立されていないので叩きにくいでしょう。これじゃ宗教みたいで気持ち悪いと言われるかもしれませんが、他に躾けの方法というのも中々ありませんから、仕方が無いのかなと。
# でも処女懐妊したり湖の上歩いたり復活したりするのは
# 流石にふかしすぎだよねえ、と思う。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:3, 興味深い)
それは科学の講義じゃないからですよ。
水の話しはちょっと行き過ぎの感というか、理由がなくアホすぎる
と思いますが、宗教や道徳は、基本的に社会でうまく生きていくには
どうしたらいいか?ってことを教えてくれているのではないでしょうか?
ですから、聖書やお経の上っ面だけを読んで、「そんなこと起こるわけ
ねーよ!」と拒絶するのではなく、実際にその通りに生活をしている
ところを想像してみて下さい。 そこまで踏み込んでみると、なるほど
そういうことを言いたいのか、とかいろいろ納得できることはあると
思います。
お葬式等で、お経を読む機会がありますが、昔の人が経験から
導きだした人付き合いの方法、あるいは季節や天気で注意すること等
(これなんかは正に自然科学)が、書かれており、今の常識や知識と
照らし合わせて読んでみると、さすが昔から伝えられているだけことは
あるなーと、感心(失礼)することが多いです。
(新しい宗教のお経は読んだことないから解りませんが、、。)
亡くなった方にお祈りするのは、その方が自分を見ていると
思い込むことで、自分の行動を反省し律するためですよ。 自分
ひとりで規律正しく生きていくのはなかなか難しいですからね。
だから、宗教は科学ではなくよりどころと言われているのでは
ないでしょうか。
ですから日本で、人付き合いの方法(道徳)を教えるなら、昔からある
仏教をベースにすればいいのになーと、常々思っているのですが、
現状では難しそうですね。
#特に何か信仰しているわけではありませんが、今まで感じた
ことをとりとめも無く書きました。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:2, すばらしい洞察)
政治的・思想的に中立であるべきはずの公立教育で
こういったオカルト(宗教)が教えられているからこそ
問題と考える人が多いのだと思いますが。
宗教系の学校なら何を教えてもいい、というわけじゃないけれども
私学での教育内容と同列に語るのは問題点の本質からずれている気がします。
ごめんなさい。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:2, 興味深い)
#アメリカにあることは知ってます。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:2, すばらしい洞察)
#ふつうは自然科学は宗教や道徳の根拠にはならない。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:2, すばらしい洞察)
# まぁ、一部例外はあるとは思いますが、
# それは下記と同様非難されるべきものと思います。
水伝は科学じゃないものを科学であるとして教える(?)ものだから、叩かれるんじゃないかと思います。
(以下(オフトピ))
そういえば、「宗教系の学校」と言って最初に出てくるイメージって、一般的にはどのようなものなんでしょうかね?
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:2, おもしろおかしい)
Re:歴史の授業はなぜ責められないの? (スコア:5, おもしろおかしい)
つまり,日本書紀や古事記ではなく,出雲風土記や筑紫風土記を教えろ,と。
Re:歴史の授業はなぜ責められないの? (スコア:2, すばらしい洞察)
適当に歴史上の事実をつまみ食いした「都合のいい歴史」と、どっちが本当に良いものかを
決める価値観が揺らいでいて、どんどん「消費者的な価値観」が浸食しているという状況が
あると思います。科学とオカルトと、おいしい方を選んでやろうという考え方と同根です。
Re:なんだかなぁ (スコア:3, すばらしい洞察)
科学的じゃない話だから問題にしているのではなくて、「科学の姿をまねていて、それを自覚していない」から問題なんです。
だれが聞いても「地蔵様が夜に動く」というのは信じませんが「きれいな言葉を水にかけると違いが現れる」なんて、信じそうな話です。
しかも、それを科学の姿で表そうなんて、言語道断です。
道徳は道徳でおとなしくしてなさいってこった。
#科学信者なのでAC
Re:なんだかなぁ (スコア:2, 参考になる)
Re:なんだかなぁ (スコア:2, すばらしい洞察)
科学的現実ではない事を「科学」として扱っている物(「水からの伝言」)を用いた道徳教育を
同列に比較するのは全くもってナンセンスです。
前者は前提からしてフィクションであり、
後者はフィクションであるはずの事が「科学である」とされています。
さらには、教える人々までもが、そのフィクションを「科学である」と信じて
教え子達に間違った事を教えている場合すら多々存在するのです。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:なんだかなぁ (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:もしこれが道徳不適切だったら。 (スコア:3, すばらしい洞察)
と主張していたとしたら,この本を有り難がって教育に持ち込んでいる連中は,
それでも「科学的に正しい」行動として罵詈雑言を推奨するでしょうか?
まぁそれは置いといて,
水伝がトンデモ科学であるという点を度外視したとしても,そもそも道徳教育において科学にすがりつき,
あまつさえそれを何かの権威のように扱ってそれへの服従を強いる,あるいは期待することこそが,
却って「自業自得」や「情けは……」のように社会性や人道の観点から
支持されてきたものの考えかたを否定しかねないものだと思います.
ひいては社会性や人道そのものを排し,それらに取って代わることになるでしょうね.
水伝が意図している言葉づかいの問題にしても,
ほんらい「人として」どのように行動するのが適切かという判断をすべきところを,
「科学的に正しい」行動をとるべきだとしているわけだから,
そこに「人としての矜持」なんか無関係,どうでもいいんだと言っているようなものです.
;; 教員がウソと分かって教材にしているかどうかはさておき,
;; かかる教育方針が教え子たちに反映された結果はそうなりうるということです.
「科学らしきもの」と道徳ひいては社会性とか人間性というものとのあいだに橋を掛けようとする試みには,
夥しい犠牲を払った挙句失敗に終わった前例が前世紀中に限ってさえ数多く見出せるというのに,
未だにそれを繰り返そうとするのは愚の骨頂でしょうね.
;; 左巻教授の以前の講演で,質疑のさいに若干触れられてもいたのですが,
;; この教員達が20世紀にはどんなことを試みていたのかは個人的には少し興味があります.
;; Veritas vos liberet
Re:もしこれが道徳不適切だったら。(反省オフトピ) (スコア:2)
情けは~は、諺であって仏教の教えじゃないか。
まいいや。本質は変わらんし。反省だけしとこう。
==========================================
投稿処理前プレビュー確認後書込処理検証処理前反映可否確認処理後……
Re:いつも気になるんです (スコア:4, 参考になる)
1. ビーカーに水をいれて、「おねーちゃん、ええことせぇへん?」ってのを見せます。
ビーカーにそのもの(写真・イラストもたぶん可)をくっつけておくのがよいそうです。
2. そうして処理した水を1滴ずつシャーレに落とします。
うまく結晶ができない場合もあるので、たくさん用意しましょう。100個くらいあれば十分です。
3. シャーレを冷蔵庫に入れて、水を凍らせます。
-20℃以下で、3時間くらい冷やして凍らせましょう。
そうするとシャーレの中には、丸い氷の粒ができるはずです。
4. シャーレを冷蔵庫から1つずつ出して、氷の粒を顕微鏡で観察しましょう。
顕微鏡は写真が取れるものがよいです。
結晶ができていないものもあるので、根気よく結晶をさがしましょう。
5. 結晶の写真がたくさん取れましたか? そうしたら、きれいに写ったものを選んで並べましょう。
6. この過程で、どこかに「もとのなにか」→「じぶんのきもち」→「結晶の写真」につながる操作がないか、
さがしてみましょう。
# ホントにあってるかどうかは保留。
Re:いつも気になるんです (スコア:2, おもしろおかしい)
※ただし生活環境によります。
1. ビーカーに水をいれて、「おねーちゃん、ええことせぇへん?」ってのを見せます。
ビーカーにそのもの(写真・イラストもたぶん可)をくっつけておくのがよいそうです。
2. シャーレを冷蔵庫に入れます。
3. この過程で奥さん/母親/妹 などが登場、「麦茶ないー?」とかで冷蔵庫を開けます。
さてどうですか? 大きな変化があるでしょう?
たぶん多くの人は凹んでいると思いますよ。
# ホントにごめんなさいorz
Re:プログラムも (スコア:2, おもしろおかしい)
だれか、試してみてくれませんか。
ただし対照実験(わるい給料)は別の人で。