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「生徒が運営する講習会」で「ゆとり教育」の有効活用 145

ストーリー by Acanthopanax
ビューティフル・サタディ 部門より

KAMUI 曰く、 "名古屋市にある東海高等学校では「ゆとり教育」による土曜休日を最大限に活用すべく生徒の運営で「サタディ・プログラム」なるものを実施しており,同校教師やOBに加えて各方面から講師を迎え,この2月19日に第6回を開催します。
外務省元上級職の天木直人氏(元レバノン特命全権大使)の講演や国会議員による討論会,介護ボランティア体験などの真面目で硬そうなものがある一方で,木登りやマジックの講座にギャルゲー制作者の業界裏話,プロレスラー大谷晋二郎の「熱い語り」など 3部構成・全 45講座。「ゆとり教育」と言えば学力低下の原因と言われて評判が悪い事も多いですが,それを有効に活用している学校もあるんですね。
なお,一般参加自由で予約が無くても大丈夫だそうですが,講座によっては人が多そうなものもあるので,人数の把握のためにも参加希望フォームから申し込みを。"

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  • by Anonymous Coward on 2005年02月13日 16時52分 (#693119)
    外部の講師に頼らなくても、成功しているところは数が多い。しかし、今までの教育の手法に慣れきった教員や保護者からみるとテストの点数に直接反映されないので成果がわかりづらい。
    今の子供達に必要なのは基礎的な能力を活用した応用力なんだけど、遊びなどを通して応用する力を育ててこなかった子供達に、中学になってから総合的な学習の時間などを通して学ばせることは大変難しい。出来ないことはないのだが、まず基礎知識が無い子供達が興味を示さないのだから。
    必然的に安易な手法(著名な講師など)に頼らざるを得ないのも今の現状。
    欲しいと思う気持ちがあるのと無いのとでは、必要とされる教員側の能力も大幅に違うことも分かって欲しい。

    また、今回のような講師派遣は様々な形態で行われているが、無料で派遣してくれるところも1校2名までというしばりがあったりするので、トピックのように実施するには金銭的な問題もあります。なお、東海高校は私立ということもあり、柔軟に対応が出来ることもお忘れなく。東海高校の実情を知っていると手放しでは・・・なのでAC
  • by libitina (23445) on 2005年02月13日 17時15分 (#693123)
    土曜が休みになってもその分、塾やらが入るわけで、逆に塾とかに行かないのとは差が開く一方で二極化が進んでないか?
    むしろ問題に思うのは、問題集を解くことしかできなくて、自分で解法を捜そうとする人が減ったこと。何かする前に人に聞いて確認取るとか、失敗を恐れて最初から行動しないとか・・・
    失敗できるうちに失敗して、失敗から学ぶ方が何倍も身につくと思うんだがなぁ・・・

    #ようやくプロジェクトが開けたので今は「ゆとり」よりも「休み」が欲しい。
    • by Anonymous Coward on 2005年02月14日 0時47分 (#693283)
      > むしろ問題に思うのは、問題集を解くことしかできなくて、自分で解法を捜そうとする人が減ったこと

      更に大事なのは自分で問題を探す能力かと。
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  • by Anonymous Coward on 2005年02月13日 20時01分 (#693177)
    講座を開いてもらって覚えるものなのか。
    ひと昔前ならしょうもないことを大まじめな体裁でやるネタで通用しただろうけど
    今時は本当に「木登りを覚えさせたいんです」なんてPTAがいそうで怖いな。

    けど企画自体を本当に生徒が出しているのならおもしろいよ。これは。
    逆にセンセイあたりがお膳立てしてるのならサイアクだけど。

    遊びは自分でつくりだすからおもしろい。
    遊びかたがマニュアル化され、楽しみを「与えてもらう」ことに参加者が慣れちゃうと
    そんなものはもう遊びじゃない。盛り上がらんし。
    「遊べない子供」を何とかしたいという動きがある一方で
    遊び方まで講座化して「教育」と称する動きもあるか。
    その両者が同一だったりしなければいいが
    • 私は、小学校1年の頃……登り棒に登れず、クラスからバカにされ
      あげくに先生からも授業中に「できないのお前だけだ、グズ」と貶され。
      本気で木だろうが棒だろうがなんだろうが登りたいんです!
      今時は本当に『木登りを覚えたいんです!』っていう生徒希望者ならココに1名居ます。
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      投稿処理前プレビュー確認後書込処理検証処理前反映可否確認処理後……
      親コメント
    • by G7 (3009) on 2005年02月14日 1時18分 (#693301)
      >遊びは自分でつくりだすからおもしろい。

      みんな今でも張り切って遊び作ってますかぁー?

      ハックしてますかー?
      それも、Linuxみたいな(自分から見ればオリジナルではない)ソフトだけじゃなく、
      なんか変な自分ならではのソフト、作ってますかぁー?

      #「自作の遊び方」を学校じゅうに流行らすのが好きだったのでG7
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  • by NAT33 (17123) on 2005年02月13日 17時51分 (#693137)
    小学校の頃、土曜の昼以降の数時間が学校のクラブとか強制で(ちなみに生徒主導)、憂鬱だった記憶があるなぁ。

    何やるかは生徒個人に任せるとしても、それが学校関係である必要はないと思うんだが。

    #スイミングスクールに通ってましたがね。校外の交友関係が作れて楽しかったですが。
    • 私は小学校から私学だったのですが、公立の小学校に行っていた近所の友達のクラスが、なぜか放課後全員で商店街の入り口で先生と一緒にチラシを配っていたのがすごく不思議でした。もう何年も後になって偶然会ってその話になったら、どうやら組合とか政党のチラシを配っていたんだそうです。本人も、もちろん私も、当時は何をしているのかまったく分からず、その内容も一切覚えていなかったのですが、「あまったチラシは持って帰って知り合いにあげてください」ってことで持って帰らされていたらしく、親がはっきり覚えていました。

      その友人も今では住む場所を変えて平穏に子育てしてるみたいです。ちなみに住んでたのはダウンタウンの出身と同じ市です。
      --
      屍体メモ [windy.cx]
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  • by watayan (143) on 2005年02月13日 18時29分 (#693150) ホームページ 日記
    東海高校でやってることそっちのけで,ゆとり教育批判の発言で埋めつくされるんだろうな。
    • by tosh11 (25798) on 2005年02月13日 20時05分 (#693180)
      プログラムを見ても、生徒向けとは言いがたい内容ではないですか? 定員も2~30人のもありますし、どちらかというと一般向けの公開講座だと思います。って考えるとゆとり教育とは関係ないんじゃないかなあ。 あるいはこういう講座を企画することが授業なのでしょうか。 だとすれば面白いかもしれないですね。いろいろな人にアポイントを取って、会場を抑えて、講師へのギャラを決めたり。
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  • どなたかポインタでいいので示してもらえないでしょうか? 「ゆとり教育」ってなんですか? 可能なら第何期の中教審、あるいは臨教審で誰が言った、ということまで示していただけるととてもスッキリするのですが。教えて君ですいません。
    • by yuuboku (22720) on 2005年02月13日 22時02分 (#693213) 日記
      戦後の学習指導要領の変遷 [geocities.co.jp]を載せておくのでご覧ください。

      昭和43年ごろに「教育を科学的・系統的にしよう」という動きが起きました。というのもこの頃ソ連がスプートニク1号を打ち上げて、西側諸国が科学力の差に慌てたという背景があります。また、教育を高度化するだけの経済的余裕が出てきた面もあります。
      そうしてできた教育課程は、方法はわからないのですが「小学校1年生に集合論を教える」ようにできていました。しかしあまりに高度だったため、大量の「落ちこぼれ」を輩出することとなります。また、校内暴力なども問題となりました。
      これに対処すべく掲げられたのが「教育の人間化」でした。昭和53年ごろに、学校にゆとりを作ろうという理念のもとに教育内容の削減、学校裁量(ゆとり)の時間創設などが行われました。今「ゆとり教育」と呼んでいるものはだいたいここらへんから来ています。

      #ということを習っている教育学部
      #別のスレッドで「ゆとり教育でゆとりを得たのは日教組の教師だ」という言説がみられますが、週休2日で減った授業時間で授業を完了しなきゃならなかったり、自習用の教材を作ったり、問題を起こした児童生徒の世話もしなきゃならないなどで、かえってゆとりが無くなっている先生もいらっしゃいます。私も日教組は好きではありませんが、現場の先生を貶める発言はして欲しくはないです。
      --
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      • ありがとうございます。

        リンク先から読み取れることは「”ゆとりの時間”は存在したが”ゆとり教育”というものは存在しない」ということなのですが、その理解でよいのでしょうか。
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        • Wikipediaの記事(書きかけ) [wikipedia.org]によると、中教審が「ゆとりと充実」という表現を使っていたそうですが(元資料発見できず)「ゆとり教育」という文言自体は誰が考えたものなのかはちょっとわかりません。
          ただ、落ちこぼれや校内暴力などの問題に対して学習内容の削減をしようとした動向はあって、それを「ゆとり教育」と呼んでいるものと思います。
          --
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          • 問題は

            >中教審が「ゆとりと充実」という表現を使っていたそうですが(元資料発見できず)



            >それを「ゆとり教育」と呼んでいるものと思います。

            だと思います。

            私は前者の根拠を明確に示した発言を寡聞にして知りません。また、後者については「誰が呼んだか」がとても重要ではないでしょうか? 要するに「ゆとり教育」は「誰が何をもとにそう呼んだのか分からない言葉」ということになりませんか?

            私の疑問はまさにそれです。定義を知りたいのです。定義を抜きにして議論が成り立つはずがありません。定義が分からない状態というのは、みんなが勝手にオレ定義を持ちよって好き放題言い放っているだけに過ぎません。

            今のスラドでネタにしているのは「ゆとり教育とやら」であって「ゆとり教育(R)」ではないように思われます。オープンソースのときと違うのは、「ゆとり教育の matz や mhatta が存在しない」ということです。技術者は技術用語以外は好き放題に解釈していいということはないと思うのですがねぇ…。

            # yuuboku さんがそうだとはいうことではありませんが。
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      • スプートニク1号の打ち上げは1957(昭和32)年です。

        #「スプートニク・ショック」ってやつですね。
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  • by Anonymous Coward on 2005年02月13日 23時53分 (#693267)
    私の通っていた某県立高校では毎年、各方面で活躍されているOBの
    方を招いて市民会館で講演会を行っていましたが、毎回楽しい話に
    興味津々でした。

    また、生物の先生は「蝶」の研究家で、毎年度最初の授業では
    自己紹介を兼ねた「蝶を探しに南米に行った話」を時間いっぱいに
    話をしてくれました。
    そして、2回目の授業は学校周辺の植物採集。先生はどんな植物も
    名前を知っていました。蝶の繁殖に関係有るために植物の種類も
    覚ることが必要だったということでした。

    教科書とは少々かけ離れていたのかもしれませんが、
    おかげで生物の授業はいつも楽しく興味をもって受けていました。

    本当の「ゆとりの教育」っていうのは、時間を減らすことでは
    なくて、こういう授業内容のゆとりを作る事かなと思っています。
  • by Anonymous Coward on 2005年02月14日 3時18分 (#693330)
    私は東海高校のOBなのですが、
    このプログラムは私が在籍していた10年ほど前から行われています。

    今では生徒もプログラムの構築に参加しているようですが、
    当時は学校側からのプログラムのみで、
    また一般にも開放されてはいませんでした。
    しかし、当時見かけたものと同じ講義名も見られるので、
    根本は変化していないと思われます。

    また、中学(東海は中高一貫です)では、卒業時に卒業論文と称して、
    生徒が個人、或いはグループで、各々テーマを決めて研究を行い、
    それをレポートにまとめるプログラムが行われています。
    私は小説についてのグループに入り、
    近辺の某小説家にインタビューに行った事を覚えています。

    もともと生徒の自主性を重んじる校風だと感じていますが、
    これらは生徒側の占めるウェイトが通常の授業に比べて格段に大きく、
    でしゃばらない程度には学校側のサポートもあり、
    自ら行う学問の楽しさを知る点で非常に役に立ったと思っています。
  • by take0m (4948) on 2005年02月14日 10時12分 (#693384) 日記
    どんな方法で運用しようが、
    画一的な教育を施す限り、
    ゆとりがある人とない人は生じるでしょう。
    あとはその境目がどこになるかの違いだけでは?
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike

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