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これはほんとにオフトピックですが、 ちょっとこの機会に書いておきたいのと、 議論のネタとしても良いと思うので。
「情けは人のためならず」は、ほんとうは 「情けをかけると、それがまわりまわって自分のところに 返ってくるかもしれないから、どんどん情けをかけましょう」 というくらいの意味ですが、それを、 まちがって理解している人のほうが多いという文化庁の調査結果があります。 たしかにこれについては、自分の身のまわりでも間違って理解している人がけっこういるなあ、というのが実感です。
これは、単なる言葉の違いを越えて、倫理というか価値観が違ってしまっているので、「入れる」「淹れる」「容れる」などの違いよりも大きな問題のように思います。 ほかにも、ふだんから「これは違うぞ」と感じていることって、 いろいろとあるのではないでしょうか?
上記調査で触れられている「ら抜き」なんかは、 むしろ推進してもいいくらいだと思ってるのだけどね。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
情けは人のためならず (スコア:2, 参考になる)
これはほんとにオフトピックですが、 ちょっとこの機会に書いておきたいのと、 議論のネタとしても良いと思うので。
「情けは人のためならず」は、ほんとうは 「情けをかけると、それがまわりまわって自分のところに 返ってくるかもしれないから、どんどん情けをかけましょう」 というくらいの意味ですが、それを、 まちがって理解している人のほうが多いという文化庁の調査結果があります。 たしかにこれについては、自分の身のまわりでも間違って理解している人がけっこういるなあ、というのが実感です。
これは、単なる言葉の違いを越えて、倫理というか価値観が違ってしまっているので、「入れる」「淹れる」「容れる」などの違いよりも大きな問題のように思います。 ほかにも、ふだんから「これは違うぞ」と感じていることって、 いろいろとあるのではないでしょうか?
上記調査で触れられている「ら抜き」なんかは、 むしろ推進してもいいくらいだと思ってるのだけどね。