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「過去に何が起きたのか」を調べるのではなく「聖書に書かれていることを実証する」のが目的なので科学ではない。今回は「隕石の落下によっても説明することは可能」レベルであって、「隕石でしかありえない」という検証を「聖書考古学者」は行わない。彼らの教義に背く事実を発見したくないから。
>地層からは高濃度の塩分も検出されており,塩害で作物が育たなくなったことから「塩の柱」という表現になったとも推測している。
これは理路が逆で、すでに灌漑がおこなわれていた中近東では塩害が問題になっていた。灌漑による塩害の可能性を検証せずに「隕石から塩が振ってきた」と結
どちらかというと考古学って,聖書を神話や伝承の位置に置くようがんばってらっしゃるような印象あるんだけどな。学者の立場や研究の目的もいろいろだろうから全部混ぜて考えるのもよろしくないような。一方,聖書の記述が明確に事実と反するわけでなければ「全能の神」ってことで手段はどうとでもなるわけで。とある原因不明な事象の痕跡を神と呼ぶのか,自然と呼ぶのか,はたまた偶然と呼ぶのか。これが信仰ってやつなんでしょうか。
考古学がうさん臭いなんて言ってないよね「聖書考古学」がうさん臭いんだよ「聖書を神話や伝承の位置に置くようがんばってらっしゃる」聖書考古学者がいるというのは私も知らないし
イエス・キリストが実在したのかなんてことを真面目に調べてる人もいますけどね。
いや、普通に実在しただろ。架空の人物だとでも思ってたの?
>いや、普通に実在しただろ。架空の人物だとでも思ってたの?キリストだって仏陀だってゾロアスターだって同様だよね。聖書の聖典の伝承の通りじゃない(基本的に違う)ってだけで。それを、「実在しなかった」って表現は少なくとも考古学的には違うでしょ、文学的には言いのかも。
厩戸王が実在したから聖徳太子は実在したというくらいむちゃくちゃな論理ですな。厩戸王は聖徳太子のモデルに過ぎず、聖徳太子の事績は、いろいろな人のものを寄せ集めたものといわれているのと同じで、イエス・キリストのモデルとなった人はいたかもしれないが、それをイエス・キリストは実在したというのはちょっと違うと思う。
「大岡裁き」は他の役人やら創作やらいろんなエピソードの寄せ集めだけど、だからといってそれが「大岡越前守忠相」が実在していたことに影響を与えるわけでもないですまあ古い時代になるほど人物の特定が困難になってくるので線引きは難しいですね
水戸光圀は実在したが白髪になってから全国行脚なんかしていない的な?
「大岡越前守忠相」なる者は存在しません。氏名の誕生 [chikumashobo.co.jp]という本を読めばわかりますが、「大岡越前守」が名前で「忠相」は、名乗りといって、武家官位を授けられるときにしか使わないものだということです。「忠相」とセットにされるのは「大岡」ではなく「源」とか「平」とか「藤原」とかのいわゆる本姓なので、「大岡越前守忠相」なんて呼び方や書き方は決してしないそうです。
だから大岡越前のドラマで、将軍がよく「忠相」と呼びかけているのは間違いで、「越前守」とか「越前」とか呼ばれていたはずです。
武家官位での呼びかけで疑問に思ってることがあるんですが、「越前」って「越前守」「越前介」があるわけで、実際、その両方がいるときには、ちゃんと「守」「介」まで口にして呼び分けたのでしょうか?あるいは、同一国の「守」「介」が同時に存在しないように調整されてたのでしょうか?
守、介の違いどころか、全く同じ官職を名乗っている人も珍しくなかったそうですよ。少数の例外を除いて、どの官職にするのかは自分で選ぶので、相当重複はあったでしょう。越前守が複数いた場合どう読んでいたかは、まあ、適当に区別できるように呼んでいたのではないでしょうか。
決してしないなんてこたない 割と適当よマナー講師が言うマナーぐらいのもん
つまりあなたは織田信長も徳川家康も存在しないと主張するわけですね。
当時どのように呼ばれていた/書かれていたかと、その人の名前は何というのかは別の話として扱う方が一般的だと思いますが。
原則として武士の受領名の介は一部の国(上野、常陸、上総)にしか使われないみたいですよ。この三国は親王しかトップ(太守)になれないルールがあるので介を使うみたい。
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
「聖書考古学」が胡散臭い理由 (スコア:5, 参考になる)
「過去に何が起きたのか」を調べるのではなく「聖書に書かれていることを実証する」のが目的なので科学ではない。
今回は「隕石の落下によっても説明することは可能」レベルであって、「隕石でしかありえない」という検証を「聖書考古学者」は行わない。彼らの教義に背く事実を発見したくないから。
>地層からは高濃度の塩分も検出されており,塩害で作物が育たなくなったことから「塩の柱」という表現になったとも推測している。
これは理路が逆で、すでに灌漑がおこなわれていた中近東では塩害が問題になっていた。灌漑による塩害の可能性を検証せずに「隕石から塩が振ってきた」と結
Re: (スコア:0)
どちらかというと考古学って,聖書を神話や伝承の位置に置くようがんばってらっしゃるような印象あるんだけどな。学者の立場や研究の目的もいろいろだろうから全部混ぜて考えるのもよろしくないような。
一方,聖書の記述が明確に事実と反するわけでなければ「全能の神」ってことで手段はどうとでもなるわけで。とある原因不明な事象の痕跡を神と呼ぶのか,自然と呼ぶのか,はたまた偶然と呼ぶのか。これが信仰ってやつなんでしょうか。
Re: (スコア:0)
考古学がうさん臭いなんて言ってないよね
「聖書考古学」がうさん臭いんだよ
「聖書を神話や伝承の位置に置くようがんばってらっしゃる」聖書考古学者がいるというのは私も知らないし
Re: (スコア:0)
イエス・キリストが実在したのかなんてことを真面目に調べてる人もいますけどね。
Re: (スコア:0)
イエス・キリストが実在したのかなんてことを真面目に調べてる人もいますけどね。
いや、普通に実在しただろ。架空の人物だとでも思ってたの?
Re: (スコア:0)
>いや、普通に実在しただろ。架空の人物だとでも思ってたの?
キリストだって仏陀だってゾロアスターだって同様だよね。
聖書の聖典の伝承の通りじゃない(基本的に違う)ってだけで。
それを、「実在しなかった」って表現は少なくとも考古学的には違うでしょ、文学的には言いのかも。
Re: (スコア:0)
厩戸王が実在したから聖徳太子は実在したというくらいむちゃくちゃな論理ですな。
厩戸王は聖徳太子のモデルに過ぎず、聖徳太子の事績は、いろいろな人のものを寄せ集めたものと
いわれているのと同じで、イエス・キリストのモデルとなった人はいたかもしれないが、
それをイエス・キリストは実在したというのはちょっと違うと思う。
Re:「聖書考古学」が胡散臭い理由 (スコア:0)
「大岡裁き」は他の役人やら創作やらいろんなエピソードの寄せ集めだけど、だからといってそれが「大岡越前守忠相」が実在していたことに影響を与えるわけでもないです
まあ古い時代になるほど人物の特定が困難になってくるので線引きは難しいですね
Re: (スコア:0)
水戸光圀は実在したが白髪になってから全国行脚なんかしていない的な?
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
「大岡越前守忠相」なる者は存在しません。
氏名の誕生 [chikumashobo.co.jp]という本を読めばわかりますが、
「大岡越前守」が名前で「忠相」は、名乗りといって、武家官位を授けられるときにしか
使わないものだということです。「忠相」とセットにされるのは「大岡」ではなく「源」
とか「平」とか「藤原」とかのいわゆる本姓なので、「大岡越前守忠相」なんて呼び方や書き方は
決してしないそうです。
だから大岡越前のドラマで、将軍がよく「忠相」と呼びかけているのは間違いで、「越前守」とか
「越前」とか呼ばれていたはずです。
Re:「聖書考古学」が胡散臭い理由 (スコア:1)
武家官位での呼びかけで疑問に思ってることがあるんですが、
「越前」って「越前守」「越前介」があるわけで、
実際、その両方がいるときには、ちゃんと「守」「介」まで口にして呼び分けたのでしょうか?
あるいは、同一国の「守」「介」が同時に存在しないように調整されてたのでしょうか?
Re: (スコア:0)
守、介の違いどころか、全く同じ官職を名乗っている人も珍しくなかったそうですよ。
少数の例外を除いて、どの官職にするのかは自分で選ぶので、相当重複はあったでしょう。
越前守が複数いた場合どう読んでいたかは、まあ、適当に区別できるように
呼んでいたのではないでしょうか。
Re: (スコア:0)
決してしないなんてこたない 割と適当よ
マナー講師が言うマナーぐらいのもん
Re: (スコア:0)
つまりあなたは織田信長も徳川家康も存在しないと主張するわけですね。
当時どのように呼ばれていた/書かれていたかと、その人の名前は何というのかは別の話として扱う方が一般的だと思いますが。
Re: (スコア:0)
原則として武士の受領名の介は一部の国(上野、常陸、上総)にしか使われないみたいですよ。
この三国は親王しかトップ(太守)になれないルールがあるので介を使うみたい。