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「読書の時間」を取り入れて成功している例は実際にあります。普段の忙しい授業時間ではなく、読書だけにゆっくり集中できる時間を用意することで、通常の授業での読解力にも向上が見られたりします。
読”書”ではなく新聞を利用する、という活動もあります。これも歴史が長いですね。時事問題、社会問題への意識を持たせることができ、それを授業とリンクさせることで授業の幅を広げることもできます。新聞の記事を子どもに選択させ、発表させることで情報の取捨選択、プレ
だったら、教室に新聞を置いても良いでしょ。早く学校に来れば読めるようにしとけばいいんだから。大した問題じゃないでしょう。 #早起きできない家庭もあります、とか言いませんよね(笑)。
その場合、家庭ではなく学校から与えられる新聞を読んでいる子供が「貧乏」という理由でいじめの標的になるでしょう。現場で、あるいは実際に
そんな常識はまかり通っていません。たとえ仮に、親が貧乏で、貧乏が恥だったとしても、その責任が子供に及ぶことはありません。これが常識です。子供に変な常識を教えないようにしてください。
おっしゃることが私の書いたこととはほとんど無関係に思われます。「世の中にはそういう価値観を持っている人が少なからずいる」「それに対処する実効性の高い手段が教員にはほとんどない」というのが私の主張です。それが通じていないのでしょうか。通じているのであれば、どこをどう切り取ればこんなコメントがでてくるのか、理解できません。 競争がいけないとか、そんなお題目みたいな話をする
脈絡はあるでしょう。いじめを誘発するからいけない、と言うのであれば、貧富の差以外にもいじめを誘発するものはあるのだから、それを放っておくわけには行かない、となるはずです。
かならずしもそうではありません。あらゆる原因に対処するのはそもそも非現実的です。そもそも、そういった場合の対処とは具体的になんのことをいうのでしょう。個別的な事例もあれば、簡単には手出しできない社会的な要因もあります。もちろんいじめそのものがいけないというのは大前提ですが、だからといってあらゆる競争を排除するといった対策がおかしいというのと同じです。
念の為に確
> そして、新聞を取る余裕のない家庭もあるのだから、そんな家 > 庭に教育の面でさらに負担を強いることのないよう対策すべき > だというのが方法論として間違っているという考え方には全く > もって納得がいきません。 誤解があるようですね。私もそのような方法を採れば良い、と言っています。学校に新聞を用意しても良いのですよ。学校に新聞を適当数置
> そして、新聞を取る余裕のない家庭もあるのだから、そんな家 > 庭に教育の面でさらに負担を強いることのないよう対策すべき > だというのが方法論として間違っているという考え方には全く > もって納得がいきません。
誤解があるようですね。私もそのような方法を採れば良い、と言っています。学校に新聞を用意しても良いのですよ。学校に新聞を適当数置
新聞を読ませなくても、生徒もいずれ貧富の差には気づきます。そのときいじめ問題が発生するでしょう。そのときにはやはり対処するしかありません。新聞を読ませようと読ませまいと、いずれ問題は発生するのに、いじめをその時にだけ発生させないために新聞を読ませないというのは先送りに違いありません。
ハッキリしているのは、limboさんの考えは、差を見せないでおけばばいじめが発生しない、ということです。違うというのなら違うといってください。
その見解は間違っています。貧しくなくとも新聞を取っていない家庭もありますね。(1)から間違っていることになります。
その例は適切ではありませんね。なぜなら、貧しい家の子は、毎月給食費が払えないということが続きますが、そうでない場合は、毎月ということはないだろうし、決められた日に忘れた・持って来れなかったとしても、次の日かその次の日辺りには持って来るでしょ。子供でもその差は解ります。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
それほど新しいことではないよ (スコア:2, 興味深い)
「読書の時間」を取り入れて成功している例は実際にあります。普段の忙しい授業時間ではなく、読書だけにゆっくり集中できる時間を用意することで、通常の授業での読解力にも向上が見られたりします。
読”書”ではなく新聞を利用する、という活動もあります。これも歴史が長いですね。時事問題、社会問題への意識を持たせることができ、それを授業とリンクさせることで授業の幅を広げることもできます。新聞の記事を子どもに選択させ、発表させることで情報の取捨選択、プレ
NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
NIE: Newspaper In Education ってやつですね。これはいいと思いますね。書籍と違って、記事は短時間で読めますし。
大体、朝十分の読書の時間程度で読める本など限られてるでしょうに。むしろ、記事を朝家庭で読ませて、その日に内容と感想を発表するとかの方がいいんじゃないですかね。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
成人式の着物はまああれですけど、教育の場であるならそこまで想定する必要があるでしょう。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
だったら、教室に新聞を置いても良いでしょ。早く学校に来れば読めるようにしとけばいいんだから。大した問題じゃないでしょう。
#早起きできない家庭もあります、とか言いませんよね(笑)
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
その場合、家庭ではなく学校から与えられる新聞を読んでいる子供が「貧乏」という理由でいじめの標的になるでしょう。現場で、あるいは実際に
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
> 子供が「貧乏」という理由でいじめの標的になるでしょう。
本末転倒です。いじめが良くないことを指導するのが教育というものでしょう。なんら合理的な理由が無くとも、いじめは起きるでしょう。学校生活を送るというだけでいじめが起きる可能性があります。
>
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
現状を無視して小賢しい教育手段を現場に持ち込んでもろくなことにはならない、というのが私の主張です。ご理解いただけているでしょうか。それとも、あなたは度がすぎるほどナイーブな方で、指導させすればいじめなんかなくなると本気で信じているんでしょうか。
たとえば、家庭で「あの子の家は新聞も取れない貧乏な家なんだよ、いやだね」という話を子
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
> ん。それが効果がないのは明らかですが。
確かにいじめ問題は非常に解決の難しい問題になっています。しかし、解決した例が無いわけではありません。
それから、貧乏がいじめにつながるから、新聞をとれない貧乏な家庭に考慮してNIEをやらない、と言うのは、二つの意味で間違っています。
まず一点。NIEをやらなかったとしたところで、家庭が貧しいか豊かなど、子供といえどいずれ気づきます。つまり、貧困を原因とするいじめを避けるためにNIEをやらないことは、問題の先送りにし
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
おっしゃることが私の書いたこととはほとんど無関係に思われます。「世の中にはそういう価値観を持っている人が少なからずいる」「それに対処する実効性の高い手段が教員にはほとんどない」というのが私の主張です。それが通じていないのでしょうか。通じているのであれば、どこをどう切り取ればこんなコメントがでてくるのか、理解できません。
競争がいけないとか、そんなお題目みたいな話をする
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
> > 貧乏が恥だったとしても、その責任が子供に及ぶことはありま
> > せん。これが常識です。子供に変な常識を教えないようにして
> > ください。
> おっしゃることが私の書いたこととはほとんど無関係に思われます。
そんなことはありません。limboさんは、#247469で、「結局のところこの世に『貧乏は恥』という<<略>>倫理がまかり通っている」と書きましたね。そんな倫理はまかり通っていないし、仮にまかり通っていたとしても、それは親の責任であり、子供には無
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
かならずしもそうではありません。あらゆる原因に対処するのはそもそも非現実的です。そもそも、そういった場合の対処とは具体的になんのことをいうのでしょう。個別的な事例もあれば、簡単には手出しできない社会的な要因もあります。もちろんいじめそのものがいけないというのは大前提ですが、だからといってあらゆる競争を排除するといった対策がおかしいというのと同じです。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
> > 念の為に確認しておきますが、<<略>>
> だから何なのでしょう。そんなことは最初からわかっています。
> また、それを前提に話しています。
お互いに頭を冷やしましょう。「念の為に確認」したことに対して「だから何なのでしょう」などという言葉が出てくるようでは、かなり頭に血が上ってますよ。「念のために確認」した事項が当然のことなら、心の中で「当たり前じゃん」と思って無視すればいいだけでしょう。
> かならずしもそうではありません。あらゆる原因に対処するの
> はそもそも非現実的です。そもそも、そういった場合の対処と
> は具体的になんのことをいうのでしょう。個別的な事例もあれ
> ば、簡単には手出しできない社会的な要因もあります。もちろ
> んいじめそのものがいけないというのは大前提ですが、だから
> といってあらゆる競争を排除するといった対策がおかしいとい
> うのと同じです。
全体的に意味不明です。私が言ったわけでもない「そういった場合の対処」について「具体的になんのことをいうのでしょう」と質問されても戸惑うばかりです。
また、個別事例があることや、社会的要因があることを理由に対処しないと決めるのなら、あらゆる問題が対処対象外になるでしょう。もちろん、おっしゃるとおり「あらゆる原因に対処するのはそもそも非現実的」です。しかしだからといって、どの問題にも対処しないわけではないでしょう。であれば、私が挙げた問題にどう対処するか考えてもいいはずですし、実際日教組はそれに対して彼らなりに誠実に対処しようとしました。結果は芳しくなかったけれども。
> 同時に、ひょっとしたらそれ以上に、そんな連中がまたバカな
> ことをやらかすことのないような仕組みを作ることも大切です
それは解ります。
しかし、limboさんの考えた仕組み、すなわち、貧困を理由とするいじめを発生させないためにNIEをやらない、というのは、単に問題を先送りにすることにしかなりません。
> そして、新聞を取る余裕のない家庭もあるのだから、そんな家
> 庭に教育の面でさらに負担を強いることのないよう対策すべき
> だというのが方法論として間違っているという考え方には全く
> もって納得がいきません。
誤解があるようですね。私もそのような方法を採れば良い、と言っています。学校に新聞を用意しても良いのですよ。学校に新聞を適当数置くなり、許可を得て複製して生徒に配布するなりする方法であれば問題ないということであれば、私の言っていることと大差ありません。
> (a)ですが、明らかに無関係な話です。新聞を読めば貧富の差に
> よるいじめがなくなるというのであれば、まあその話もわから
> ないではありませんが。
意味不明ですね。(a)とは、「貧富の差を原因とするいじめは、NIEを導入しなくても、いずれ発現します。それを先送りにするだけのlimboさんの意見は間違っています」ということです。新聞を読めばいじめが無くなる、と言っているのではありません。新聞を読まなくても、いずれいじめが発生する、と言っているのです。
> しかも、先送りにするということの意味がわかりません。貧富
> の差によるいじめは新聞を読ませてまず発現させ、しかるのち
> に対処する他にない問題なのであればそうもいえるでしょうけ
> れど、
新聞を読ませなくても、生徒もいずれ貧富の差には気づきます。そのときいじめ問題が発生するでしょう。そのときにはやはり対処するしかありません。新聞を読ませようと読ませまいと、いずれ問題は発生するのに、いじめをその時にだけ発生させないために新聞を読ませないというのは先送りに違いありません。
> (b)ですが、新聞を読ませる教育を施行して生徒の家庭に余分な
> 負担を強いることを避けるのがどうして過去に失敗した教育に
> 行き着かざるを得なくなるのか全く説明がないので理解できま
> せん。
家庭の負担どうこうとは無関係です。limboさんの採る、差を見せないでおけばいじめが発生しない(が、問題は先送りされる)という考えを敷衍すれば、日教組と同じ道を辿ると言っています。もう一度#247593を読んでよく考えてください。
ハッキリしているのは、limboさんの考えは、差を見せないでおけばばいじめが発生しない、ということです。違うというのなら違うといってください。
臆病な仕切屋 (スコア:0)
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
面倒なので要点を。(1)新聞を取る余裕のない家庭の子供は特別扱いされる(2)その苦痛を考える(3)学力で差が出る、徒競走で差がつくなどとは異質のことで与えられる苦痛は避ける方がいい。先送りであるからというだけの理由でわざわざそんなことをする理由になるのか。
特に(2)はシビアな問題です。きれいごとでは済まされません。
せっかくなのでもうひとつ。
半分だけその通りです。先送り先送りと言われますが、くだらない問題(貧富の差なんて子供の教育にとってはくだらないことでしょ?)をいちいち取りざたする事態を避けるのも大事な配慮だと思います。たとえば、うちの子供の幼稚園がそうですが、片親の子供だっているわけで、わざわざ父親参観日とか母親参観日なんてものをいちいち決めたりせず、解放授業ということにしてしまえばいいじゃないか、といった配慮があります。これは片親の子供がいじめられるという問題の先送りですか?私にはそうは思われません。また、経済的な事情も考慮して着る服の規定もありませんでした。これは問題の先送りですか?もともと問題にならないことなのだから、それなりに対処しているだけではないでしょうか。同じく、新聞を購読する余裕のない子供もいるのだから、家で新聞を読んでくることを課題にするなんてことはやめて、別のやり方でいいじゃないかといっているのですが。
多様性というのはおもしろいもので、それを重視するほど従来にはなかったような配慮が必要な局面が出てきます。日教組だ、先送りだ、という前に、別の面も見る必要があると思いますよ。どうもこの手のことを問題にすると、判で押したように日教組がどうこうという話を持ち出す人がいて実際にうんざりすることも多いのですが、正直なところその手の人から具体的な手段として何かベストプラクティスの一つでも聞き出せたためしがありません。
Re:臆病な仕切屋 (スコア:1)
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
> 別扱いされる(2)その苦痛を考える(3)学力で差が出る、徒
> 競走で差がつくなどとは異質のことで与えられる苦痛は避ける方
> がいい。先送りであるからというだけの理由でわざわざそんなこ
> とをする理由になるのか。
その見解は間違っています。貧しくなくとも新聞を取っていない家庭もありますね。(1)から間違っていることになります。
次に、(2)の苦痛が発生すると予測しているのであれば、事前にそのケアをやれば良いでしょう。実際、学力で差が出る、徒競走で差がつく、などでもいじめは発生しますが、そのことに対するケアは必要なはずです。それと同じことでしょう。
> これは問題の先送りですか?
先送りでしょう。いずれ解ることです。そのときに改めて問題に対処しなければならないというだけのことです。というか、開放授業云々と議論してる間に、既にいじめは始まっているかもしれませんね。先送りにすらなっていないかもしれません。そういう根本的な問題を考えたほうが建設的です。
> 正直なところその手の人から具体的な手段として何かベストプ
> ラクティスの一つでも聞き出せたためしがありません。
それはlimboさんもベストプラクティスへの手がかりを持っていないからでしょう。他人のせいにばかりすべきではありません。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
ええとですね。そういう家庭のことなんかここでは全く問題にしていないんですよ。
盲人の交通事故を減らそう、あるいはなくそう、そのために信号機に音声ガイドを設置しよう、という話をしているとします。そこで、盲人は存在するんだし、そのための設備を作ろうという人に、世の中には盲人でない人もいるのでそれは間違っているなんていわないでしょう。ああ、でもこの例えじゃわかりにくいかもしれませんね。
もうだめだ。もしあなたが教育関連の役所や学校のお偉いさんになったら、そのときに存分に意見させてもらうことにして、今回はもういいです。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
申し訳ないんですが、少しは頭を使ってください。
> > その見解は間違っています。貧しくなくとも新聞を取ってい
> > ない家庭もありますね。(1)から間違っていることになります。
そういう家庭もあるのだから、貧乏だから学校に新聞を読みに来る、という推論は成り立ちませんね。limboさんの主張は、学校に新聞を読みに来る⇒貧乏な家庭の子である⇒いじめられる、という三段論法だったわけですが、最初の「⇒」が成り立ちませんね。だから間違っています。
> ああ、でもこの例えじゃわかりにくいかもしれませんね。
申し訳ないけど全く解らんです。喩のみによる説明は議論を紛糾させることが多いので、喩を使うにしても、まず理屈を説明して、その後で理屈の理解を助けるために喩を持ち出すべきです。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
(1)が「間違っている」という理由が、単純に例外があるからということでしたら、ちょっとお話にならないです。そうだなあ。家にお金がなくて給食費を払えない子もいます。家に忘れてきたり、使い込んだりして払えない子もいます。で、家にお金がなくて払えない子のことで対策が必要だという話なのに、そうでない単純に払わなかった子もいるという話を持ち出すのはおかしいでしょ。まあ、これも例えだからわからないといわれたらそれまでだけど、どっちにしたってわかりゃしないだろうからなあ。
おっしゃる通り、あんまり頭は使ってませんね。簡単すぎるから。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:0, フレームのもと)
その例は適切ではありませんね。なぜなら、貧しい家の子は、毎月給食費が払えないということが続きますが、そうでない場合は、毎月ということはないだろうし、決められた日に忘れた・持って来れなかったとしても、次の日かその次の日辺りには持って来るでしょ。子供でもその差は解ります。
どういうことを説明しよ
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
こういうとんちんかんなことをいえるのかわからないねえ。というか、はっきりいってこんなの揚げ足取りにもなってないよ。ほんと、こんな馬鹿げた屁理屈はいい加減に勘弁してほしい。もう目的もなにもあったもんじゃない。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
limboさんは多様性と言う言葉を使ったけれど、limboさんのやり方は、多様性の否定でしかありません。多様性を受け入れると言うことは、差というものを認めた上で仲良くやっていくということです。limboさんの方法は、本当は存在する多様な差を画一的に見せることで誤魔化しているだけです。それは多様性の否定です。しかもそんな小手先の誤魔化しで、いつまでも騙されているほど子供は馬鹿じゃありません。
limboさんの現場での経験は尊重しますし、その努力にも敬意は払います。しかし、現場での対応に追われて、目先のことだけしか見えなくなってはいませんか?根本的な問題が見えなくなってはいませんか?いや、根本的な問題は見えているけれど、それに対応していく気力が失われつつあるのかもしれませんね。
limboさんのご苦労はわからなくもありません。それ以上に努力しろとは、私も言い難い。でも、敢えて言います。今必要なのは、根本の問題を解決することです。そのために努力してください。お願いします。