学校教育に「読書の時間」を 401
ストーリー by GetSet
「読書が趣味」とは言えなくなるのね 部門より
「読書が趣味」とは言えなくなるのね 部門より
k3c 曰く、 "毎日新聞の記事によると、文部科学省の諮問機関である文化審議会の国語分科会は審議経過の概要をまとめ、その中で国語力強化のため、学校教育に「読書の時間」や大学に「読書科目」を新設することを提言するそうだ。小学校では古典詩歌に親しみ、中学校では新聞記事を要約してコメントを付けさせるなどの教育手法が提案されているもよう。さらには同分科会の委員が「子供に読んでもらいたい本のリスト」も参考資料として添付されているとか。
肝心の審議経過がまだアップされていないが、内容はちょっと覗いてみたい気がする。一体どういう了見でわざわざ学校の授業時間をさらに潰してまで「読書」を強制するのか、小学生が果して古典詩歌に親しめるのか、それ自体かなり要約文になっている新聞記事をさらに要約することが国語力の向上につながるのか、読んでもらいたい本のリストを挙げることに何の意味があるのか…など、ツッコミどころ満載のような気がするこの答申。「読書の時間」の是非についてなど、現場の教師・生徒の意見も是非伺いたいところです。"
余計に読書嫌いになりそうな気が。。 (スコア:3, 興味深い)
Re:余計に読書嫌いになりそうな気が。。 (スコア:1)
もちろん後で教師に抗議したのですが、国語教師に議論で勝てるはずもなく玉砕した覚えがあります。
いきなり大人の読むような本読んだって読書嫌いになるだけだっちゅうの。
今では角川とか富士見のライトノベルばかり読む立派なアレゲ?に成長しましたが。
#エルマーの冒険シリーズが大好きだったのでID
Re:余計に読書嫌いになりそうな気が。。 (スコア:1)
星新一氏の「きまぐれエトセトラ」などを読んでいると、より強く感じさせられます。
#教科書に掲載された作品に対して、作者も想定していない考えを正解とされていたとか
#イチゴをはさんだサンドイッチに憧れたのでID
タブレット中毒者。
Re:余計に読書嫌いになりそうな気が。。 (スコア:1)
今ごろ本を読むことはしなくなってたんじゃないかと思いますね。
結局何も変わらない (スコア:3, すばらしい洞察)
そもそも『コミニュケーションを成立させるための文章表現及び読解力』と『知識教養としての文学』というのは系統の異なるスキルだと思うのですが、これらを『国語』という一科目でカテゴライズしてしまう事が本当に妥当なのか、という検討が何もなされていません。
文章能力も教養も、どちらも大切なもので学校で学ばせるのはおおいに結構だと思いますが、まずそういう根本的な論議がなされない限り単なる『作文』しか出てこないでしょうね。
持久力のために (スコア:3, 興味深い)
基礎体力作りとしてやっておく価値はあると思う。
(体力というより"脳"力とでも言えば適切だろうか)
ランニング・腕立て伏せそのものがいきなり競技で役に立つことはなくても
それで培った力・持久力は役に立つ。
私の周囲では、学校の成績が全般的に悪いやつは、たいていまとまった量の文章が
読めず、「文章を読む上での持久力」のようなものがないことが多かったので。
文章を読む上での持久力は、全学科を通して根本のところで役に立つだろうし、
実生活でも意味があると思えるのだがどうだろう。
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/* SHADOWFIRE */
あってもいいかも。 (スコア:3, 興味深い)
僕はこんなアイデアがあるんじゃないかと思ってみましたが如何でしょうか。
・公立図書館を借り切ってみる。
「学校の図書館」というのはどうしても先生が「年齢相応」と思うものしかおいてないわけですが、今の時代、「これを読め」と枠にはめるのはもはや時代遅れではないかと。「多様化・個性」を尊重するなら、多少ませた本を読ませたっていいじゃないですかね。後、公立図書館を利用することで、マナーの収得と、そもそも「図書館に行ってみる」というきっかけを作れるかなぁと。
・「感想文」を強制しない、ただ「読む時間」に
もちろん、これだと遊んじゃう人も出るわけですが、課題の強制はそれ以上に「無理矢理読まされている」という意識しか植え付けられないだけで逆効果。ただ、少なくとも読みたい生徒のために「静かにさせる」指導は必要だと思います。
・何を読むかは生徒が決める(ジャンル・~向けを強要しない)
別に科学の図鑑ばかりよむ子がいてもいいし、小説ばかり読む子がいてもいい。難しい哲学の書をわかった気になって読んでいる子がいてもいい。これこそ個性・多様化の尊重でしょう。さすがに風俗とかそう言った系はまずいので、「公立図書館」がいいかな、という上の話にもつながるわけです。読み方なんて自分で学ぶものだと僕は思ってます。
とりあえず思いついたのはこれだけ。少し極論・理想論なのは承知してますが、せっかくやるなら大胆にやって欲しいなぁとか思う今日この頃。
# それこそ、「道徳」の時間でもつぶしてやればよろしいかと(笑)。
Re:あってもいいかも。 (スコア:2, 参考になる)
> と呼称され、一般的には、やはりソフトに「SM小説」と呼称され
> ていますが、
フランス書院の小説を総称して「SM小説」などとは呼ばれていませんよ。もちろん、SMを扱ったものもありますが、多くはSMがメインではありません。SMが出てこないものもあります。少なくとも私は、SM物が嫌いですのでSM物は読みません。
#つーか、SM物を選んで読んでませんか?(笑)
> 内容は、強姦、強姦、強姦、強姦、強姦、強姦、強姦で
違いますよ。もちろん、強姦物はフランス書院の大きな一ジャンルをなしてはいますが、強姦を扱わないものもありますよ。私は少なくとも、強姦物は嫌いですから読みません。
#つーか、強姦物を選んで読んでませんか?(笑)
フランス書院の本、何冊くらい読みましたか?読まずに書くのはまずいかと。
#私は... って、自慢にもならんが(笑)。
> そのようなものが学校教育の場でやりとりされるなど、日本列島が
> 宇宙空間に放り出されてもあり得ないことでしょう。
まぁ、学校教育の現場に大手を振って取り入れられることは無いでしょうね。そこは同意します。
老害の最たるもの (スコア:2, すばらしい洞察)
「読書を強制する」ことではありません。
このシンギカイとやらがどんなメンバーか知りませんか、
答申書に書かれている本当の答申は
「いまどきの若い者は」でしょう。
リストを見て、ン十年前に小説のタイトルと作者名
(もちろん読んだことなんか無い)を丸暗記させられたことを
思い出させられて鬱になりました。
ここで合言葉
「バーチャルリアリティは悪である!」
Re:老害の最たるもの (スコア:1)
> 「読書を強制する」ことではありません。
半分賛成で半分反対。程度問題でしょう。
まず、読書を強制する(し過ぎる)ことには私も反対です。私は比較的読書は好きな方ですが、もし学校の授業で読書を今まで以上に強制されていたら、読書が嫌いになったと思います。これはコンピュータでも同じで、学校でコンピュータの授業があったら、コンピュータを好きになったかどうか。
一方、「読む楽しみを教えること」については、賛成できません。そんなこと教えられるものじゃありません。きっかけを与える程度のことはできるかもしれませんけど。そういう意味では、読書感想文を夏休みの課題として与えることなどで、ある程度読書を強制してそのきっかけを与えるのは悪くないと思います。
#あ、でも、理科とかは学校で強制されたけど好きだなぁ。社会も。あれ?数学もか?うーん。
大学まで? (スコア:2, 参考になる)
ただ、大学?(大学って教育の場なの?ってのは置いといて)大学生になってまで「本を読め!」とまで言われなきゃいけないの?
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You can't always get what you want...
Re:大学まで? (スコア:1)
そういう科目を作ることも意味はあるでしょう(大変残念ながら)。
下手すると、大学の図書館で本を借りたことがないまま卒業する学生なんて
実はけっこういるんじゃないでしょうかね。
せめて社会に出る前、という一縷の望みかもしれませんが、
まぁ読書習慣なしに社会に出る人を一人でも減らすには
悪くないんじゃないか、と前向きに受け止めています。
Re:大学まで? (スコア:2, すばらしい洞察)
私自身は大濫読なんですけど、人に本を読めと言おうとは思わない。いくらでも情報の入手手段のある時代ですし、本は一つの手段なり、娯楽に過ぎない。持ち上げすぎだと思います。いま、現時点での多数の大人が本を読むのを好んでいるとは全く思えないし、それで「それが故に」困った状況が生じているとは同じく全く思えない。
#注記二点: ビジネス書、なんてのはここでの本からは除きます。いいですよね。
#それと、出版社や書店、取り次ぎが困るってのはなしね。
それほど新しいことではないよ (スコア:2, 興味深い)
「読書の時間」を取り入れて成功している例は実際にあります。普段の忙しい授業時間ではなく、読書だけにゆっくり集中できる時間を用意することで、通常の授業での読解力にも向上が見られたりします。
読”書”ではなく新聞を利用する、という活動もあります。これも歴史が長いですね。時事問題、社会問題への意識を持たせることができ、それを授業とリンクさせることで授業の幅を広げることもできます。新聞の記事を子どもに選択させ、発表させることで情報の取捨選択、プレゼンの練習にもなります。
「読書の時間」と「国語」という単語が並んでしまうと確かにあまりいい印象を受けませんが(^^;、志茂田景樹が読み聞かせ隊をやっていたり、この業界もちゃんと硬軟あるんだ、というくらいはみなさんに認識してもらいたいところです。
当たり前のことですが、審議会のニュースと現場の話はまったくベツモノです。
# リンクとか用意する時間ないので勘弁してちょ
Re:それほど新しいことではないよ (スコア:2, 参考になる)
「朝の読書」 [mediapal.co.jp]は、授業を削るのではなく、朝の10分間を読書に当てるという活動なので、今回の審議会の話とは、少し違いますが。
現場にいて痛感するのは、文章の読解力の無さ。教科書は英語以外日本語でかかれていますので、その文章の意味を理解することができないがために、成績が悪い子どもたちが沢山います。
そのために、本を読むことは重要だと、個人的には考えていますが、 授業を減らしてまで行うことには抵抗があります。
#そんなことより理科の時間を増やせ>文科省
なんにせよ、子ども達が本を読める環境が作れるのが一番です。
#先生のお勧めの本はと聞かれたら、「黒後家蜘蛛の会」と
#「銀英伝」と答えている、理科教員だからID
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年をとるのは素敵なことです。
NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
NIE: Newspaper In Education ってやつですね。これはいいと思いますね。書籍と違って、記事は短時間で読めますし。
大体、朝十分の読書の時間程度で読める本など限られてるでしょうに。むしろ、記事を朝家庭で読ませて、その日に内容と感想を発表するとかの方がいいんじゃないですかね。
Re:NIE: Newspaper In Education (スコア:1)
成人式の着物はまああれですけど、教育の場であるならそこまで想定する必要があるでしょう。
補足:審議経過の概要 (スコア:2, 参考になる)
これからの時代に求められる国語力について -審議経過の概要- [mext.go.jp]
これからの時代に求められる国語力について -審議経過の概要 参考資料- [mext.go.jp]
「国語」という言い方からして古い (スコア:2)
まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうがない。 古い廃語を時間をかけて生徒に教えても無駄じゃないでしょうか。 これほど沢山の本が次々に出版されては絶版になる時代に、 昭和初期とか、そんな古い文学作品だけを珍重するのはおかしい。 それは、本が滅多に出版されなかった時代のベストセラーに過ぎないですから。 先生が古い時代の人でそれしか教えられないなら引退してもらえばいい。 稀にしか使わない同意語や四字熟語を競うようにして山ほど覚えさせるのも同様です。 それよりもっと学ぶべき事があるでしょう。 コンピューターとか英語とか。
知るは楽しみなり (スコア:4, すばらしい洞察)
欧州の学校では、今ではろくに使われていないラテン語を子供に教えてますよね。
なぜか?それが教養というものだからです。全然実用的ではないが
それを学ぶことによって人生に深みと渋みを与えてくれる、それが古典です。
京都の岩清水八幡宮に行ったとき、ふと
「仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を…」
と口をついて出て来たり、
みんなでドイツ語の参考文献を四苦八苦しながら訳しているとき
「杉田玄白先生のフルヘッヘンドの苦労はこんなもんじゃなかったぞ、ガンバレ」
と言ってみたり、
花見の後片付けをしてるときに
「うき世にはとどめおかじと春風の/ちらすは花を惜しむなりけり」
なんて歌をそらんじたりできるのが教養であり文化であると思います。
>これほど沢山の本が次々に出版されては絶版になる時代に、 昭和初期とか、
>そんな古い文学作品だけを珍重するのはおかしい
黒澤の映画は時代を経ても素晴らしいものですし、
手塚治虫のマンガは今読んでも楽しめます。
古いから珍重されているのではなく、本当に素晴らしいからこそ時代をこえて
読まれつづけている、とは考えられませんか?
その内容の良さは書評家や出版社の宣伝ではなく、何代にも渡る読者の支持という
これ以上はない厳格な基準によって証明されているのです。
つまらない本は淘汰されます。
飽きっぽい読者が、何百年にもわたる長きの間読みつづけ楽しみつづけてきたものには
それなりの理由があると思うのです。「すげー面白い」とかね。
>それよりもっと学ぶべき事があるでしょう。 コンピューターとか英語とか
役に立つことだけを教えるのが教育でしょうか?
役にも立たないものを慈しみ楽しめるのが文化であり人生に深みとこくと味わいを
もたらしてくれるものであろうかと思います。
「知は力なり」――フランシス・ベーコン
「知るは楽しみなりと申しまして、知識をたくさん得ることは
人生を楽しくしてくれるものでございます」――鈴木健二
Re:「国語」という言い方からして古い (スコア:2, すばらしい洞察)
自分が思考の道具にしている言語、すなわち自国語の学習をないがしろにしておいて、どうしてよいコードを書けると思えるのだろうか。
ましてドキュメントをや。
「古典より英語のほうが先決」と読めますが、英語の国に限らず、欧米の方々は小学校からがっちりとギリシャ・ローマの古典を叩き込まれておるようですが?
それから、「古い文学作品だけを珍重するのはおかしい」と仰るのは一体どの会社の教科書を見てのものなのかソースをお示し願いたい。
蛇足ながら、「読みやすい改行のしかた」「段落の作り方」も古いとしてお捨てになったのではなければよいのですが。
現役国語教師(商業もやってるが)なのでAC
Re:「国語」という言い方からして古い (スコア:2, おもしろおかしい)
いや、どうでしょう。ドイツ人は日本語の力を持たずして英語を読み解いてると思いますが。
> 自国語の学習をないがしろにしておいて、
「自国語で学習」ならいいですが、「自国語を学習」ばかりしていても。言語は学習の手段であって目的ではないので。
> 欧米の方々は小学校からがっちりとギリシャ・ローマの古典を叩き込まれておるようですが?
でも、さすがにラテン語を学ぼうという人は減っているのでは? 日本において古典を学ぶというのは、欧米でラテン語を学ぶのと同等だと思うし、なぜ欧米でもラテン語学習が廃れたのかを考えれば、日本でも古典を学びつづける必要性が今後も減る一方としか思えません。 もう役目を終え、新たな社会的必要に置き換えられていくべき学問分野ですね。 いや、学びたい人は学べばいいのですが、押し付ける必要は無いと思うし、ましてや文学部の教授や学部が今後も存続するために古典を子供の時から教え込もうという意図が見え隠れしているのでは賛成できません。 教育は人生における投資であり、さほど役に立たない事にばかりリソースをつぎ込むわけにはいかないですから。
> それから、「古い文学作品だけを珍重するのはおかしい」と仰るのは一体ど
> の会社の教科書を見てのものなのかソースをお示し願いたい。
諮問の参考資料の子供たちに読んでもらいたい本のリスト [mext.go.jp]は、過去の遺物ばかりに思います。 現代の名作は少ないような。評価の定まった、大学の文学部あたりで散々研究し尽くされたような本ばかり目立ちますね。
Re:「国語」という言い方からして古い (スコア:2, 興味深い)
学校でそういうのを知るきっかけを与えることは必要だと思うので,導入部分を軽く流す程度ならいいのですが,その詳細ときたら,ほとんど趣味嗜好の領域だと思います。そんな趣味嗜好的なことまで試験範囲だとか採点対象だとか言われると,やる気をなくしてしまいます。
いろいろなことに興味を持たせることを目的として,評価に影響しないようなやり方でであれば,多少深入りしてもいいのかもしれません。
Re:「国語」という言い方からして古い (スコア:1, すばらしい洞察)
古典文学なんだから古いのは当たり前かと(爆)
> 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうがない。古い廃語を時間をかけて生徒に教えても無駄じゃないでしょうか。
そうかなぁ。「古きを訪ねて新しきを知る」じゃないですか?
あなたにとって無駄でも全員にとって無駄とは限らない。ならば、こういうものも有るのだよ、と教える価値は十分にある。無駄なことを一切教えない教育なんてつまらないことこの上ない。
> これほど沢山の本が次々に出版されては絶版になる時代に、昭和初期とか、そんな古い文学作品だけを珍重するのはおかしい。
こういう時代だからこそ、歴史の荒波に耐えて生き残ってきた作品は重要でしょう。別に昭和初期に出た作品が全て今でも残っている訳ではない。
とはいえ、どっちかというと最近は「昔(特に戦前の文学とか、体制とか)はよかった~、よかった~」という、いわゆる「のすたるじじい」がやたら多いのも事実で、そういう流れで今回の答申もでてきたのなら残念。
落語聞かせたほうが (スコア:2, すばらしい洞察)
わしら中学生か (スコア:2, おもしろおかしい)
代わりに (スコア:1, おもしろおかしい)
Re:代わりに (スコア:2, すばらしい洞察)
で、出羽の守みたいで悪いんだけど、俺が海外で通っていた学校ではどうしてたかというと、本について特定の課題を与えてレポートを書かせる。感想文のテーマをあらかじめ与えてやる訳だ。子供にとってはこっちの方が随分分かりやすいので、良い文を書きやすくなる。
よく考えてみると、テーマを与えず「感想を書け」というのは、小説の後ろに何故かいつもついている「解説」という奴を書けというのに等しい。でも、あれのネタを1から考えるのはプロの仕事な訳で、小中学生には明らかに荷が重かろう。やっぱり欧米風の方が理にかなっている気がする。
# 出羽の守なのでAC
解説 (スコア:1)
> 小説の後ろに何故かいつもついている「解説」という奴を書けと
> いうのに等しい。
でも、あの解説ってなぜついてるんですかね?本の一番後ろに解説がついてる形って和書独特のものらしいですよ。洋書の場合、解説があれば、それは普通最初に来ますよね。それは、最初に流れを「解説」して、本文への導入の役割を果たすためですよね。
一方、和書の解説は、ストーリーの要約だったり、作者の紹介だったりします。作者の紹介はともかくですけど、一番最後にストーリーの要約を読まされることにどういう意味があるというのか?あれはもしかして、読書感想文のためにあるんですかね?
嘘 (スコア:2, おもしろおかしい)
日本でも一部の図書愛好家が巻末にある後書きを最初に読みますが、あれは欧米流文化を取り入れた結果なのです。
_.. ._._._ _... ._._._ ._. ._._._
物は試しだ。コメントのしきい値を2にしてごらん
Re:代わりに (スコア:2, 興味深い)
面白くない本読んだら、やっぱり面白くなかったって感想が出てくると思うんですが、それに点数を付けるのは如何なものかと。
同じ本でも、読んだ感想はその時々で違うからって理由で3年間、同じ本の感想文を書いた俺もオレだが、
それを許してくれた国語のF先生、は教師として、どうなんだろうか。
生徒の受けは良かったが、父兄の受けは悪かったのかな~。
Re:代わりに (スコア:1)
複数の資料(あとがきや他の紹介文)から要点を抜粋してまとめる技術が身につくので、必要です。
あたしゃ、読書感想文のようなものがキライだったので、今でも(後づけの…)仕様書を作成するのが苦手です。
#ネタだけじゃないけどID
タブレット中毒者。
読書感想文 is not 仕事文書 (スコア:2, 興味深い)
『理科系の作文技術』木下是雄, 中公新書,(1981) を読んで下さい。
日本の国語教育のダメさ加減がわかります。
まわりにも買うように薦めておいてくださいね。
今の世の中、読書感想文と同じ気持ちで書かれた文章ばかりでしょう。例えば、パソコンの説明書。意味不明なのばっかりでしょ?
--
意味不明な文章ばかり書いている人より
Re:読書感想文 is not 仕事文書 (スコア:2, 参考になる)
おとなの小論文教室。 [1101.com]
をお勧めさせていただきましょう。
実際、理科系論文・報告書類に限らず、文章には目的があるわけで
社会生活上、目的を自覚した上で目的に応じた文章力を発揮すること
が必要とされるわけです。
なのに、読み書きそろばんのなかでも、
こと「書く」ことに関しては、
・文字レベルの教育
・文法レベルの教育
までは、存在していても
・文章レベルの教育
に関してはそもそも教育システム自体存在していなかったなぁ、
と思うのですね。
欧米では、これに関してきちんと一分野が存在すると聞くがホント?>識者
おとなの小論文教室 [1101.com]は、ベネッセで高校生向け小論文指導を
考えていた方が、おとな向けに様々なノウハウやその根本思想を
教えてくれます。
(例えばこういう試みから最小限のシステムを抽出して公教育に組み
込むようなことって、誰か「教育学者」みたいな人は考えてくれてい
るんだろうか?)
#「理科系の作文技術」は高校レベルで教えてよい内容だと思うんだけどなぁ。
Re:代わりに (スコア:1, 興味深い)
なにより読書感想文には「感想を強要する」という最悪の効果があります。
読み終わった後の余韻も読書の楽しみのひとつであり、
それを無理矢理文章にしろと言われるのは苦痛以外の何者でもありますまい。
昔、読書感想文のことを考えながら本を読まされるなんて憂鬱の極みでしたな。
Re:代わりに (スコア:1)
でもまぁ、世の中には感想を文章にまとめる事が好きだって人もいるわけですよね。でも、感想を文章にまとめる事を始めるきっかけが無ければ、それに気づかなかったかもしれない。そういう面も否定できないので、全面的には賛成できない。
Re:代わりに (スコア:1)
あらすじ書くのは禁止だったような気がしますけど、
それでもあらすじしか書かなかったような気が(苦笑)
Re:代わりに (スコア:1)
幼稚な文章しかできなかったのでさらに難儀です(^^;
>「~~~~が~~~~なのがよかったと思います」
という自分で読んでも恥ずかしいものになるというか、
その頃はどう表現していいのかがアレでした(笑
せめて感想文を書かせる前に教師自身が自分が読んで
面白かった本について
教師「子供の頃はこれこれこういう本を読んでたんだけど、
あれは好きだったなぁ、この本の面白いところは・・・
<<一時間経過>>
・・・俺が思うにこの主人公は・・・」
委員長「先生、もう時間がありません!」
というやりとりがあったかどうかは不明ですが自分が
読んだ本の感想をどう表現するかのお手本くらいは
やってくれていたらもうちょっと結果は違っていたのかも。
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
Re:代わりに (スコア:1)
現れることもありますね。
子を持つ親としては (スコア:1)
なのではないでしょうか?
個人的に、読書だけでなく自由に友達と遊ぶ時間も必要だと思うので、要は「学校以外で自由な時間を増やせ」のような気がするんですが。
仕事してる親だって、残業ばかりだと自分の時間が減るんで読書の時間だってなかなか取れないわけだし…
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
幼児の頃に読み聞かせをさぼってただけなのでは?、本嫌いの子供の親ってのは
Re:子を持つ親としては (スコア:1)
> ますけどねぇ
その影響は大きいです。それはそれとして認めますが、同じように育てても実際、本が好きな子に育ったり、読書をまったくしない子に育ったりしますから、「ひとえに親のやり方次第」という意見には賛成できません。
そういや小中学生の頃は (スコア:1)
きて好きな本を自由に探して読んでるわけです。小学生の頃は
学研とか科学の本ばかり読んでましたなぁ。おかげで理科の成
績だけは抜群によかったであります。
#読書をさせよう、という事は今はそういうのは無いのだろうか?
#それともうちとこだけの話だったのだろうか?
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
Re:そういや小中学生の頃は (スコア:1)
あと、中学校のとき、下校する前のホームルームの時間に灰谷健次郎の本を読み聞かせてくれた担任の(体育の(笑))先生もいました。
…なんか、何も目新しいことは言っていないような気がしてきた…<国語分科会
もしかして、委員の方々が教育の現場をよく御存知ない?それとも、ワタシが義務教育を終えてからの20年足らずの間に教育現場は大きく様変りしてしまったのでしょうか?
ますます、現役教師・生徒のレポート希望。
Re:そういや小中学生の頃は (スコア:1)
見せて主題歌を練習させたり、オカルト話やら怪談を沢山聞か
せてくれる小学校の担任の先生がいました(笑)
#やっぱりうちだけじゃなかったんですね、図書のお時間(^^
すらど宴会SNS開放中 [e-meet.jp]
Re:そういや小中学生の頃は (スコア:1)
あったあった。
図書の時間が一番の楽しみでした。
でも理科系の図鑑と少年朝日年鑑ばかり読んでいたような。
その後、ジュブナイルも読むようになって、社会系も
読むようになって。
思えば読書傾向が全然変わってないような…
#転校した先の小学校は「健康教育推進校」で、昼休み
図書館で本を探していたという理由で教師に殴られた
覚えが…ああこの学校の名前晒したい(笑
「感性」以外の国語教育を… (スコア:1)
のですが、わかりやすい文章の書き方とか論理的な思考のまとめ方
とか、そーゆーものを身につける教育っつーのは、国語の分野では
考慮されてないんでしょーか?
これも本来親がやっておくことでは? (スコア:1)
幼児のうちに本を目の前で広げて一緒に読むことを
生活習慣としてつけておけば済むこと。
食べ物の好き嫌いと同じで、親が食べない(読まない)ものは
生活習慣として受け継いでしまう。
というのが幼稚園の先生やっていた母親の言葉だったりする。
#わたしは「原色昆虫図鑑」で字を覚えた…らしい
Re:教科書 (スコア:2, おもしろおかしい)
萌える教科書シリーズなんかどうだ?
将来立派なアレゲに育つだろう。
Re:とりあえず審議経過、付録とも出ていますが (スコア:2, すばらしい洞察)
結果として本好きの子が少ないのは事実で、大学生も本を読んでいないわけだから本好きなんだけどたまたま読む本がない、といういいわけは通らない。小学校ではかなりの冊数の本を読ませているわけだから、子供の頃から本を読んでいないわけではない。そのうちのある程度の冊数は学校の課題図書でしょ。
それに、読書の時間、ってのも意義が感じられない。一冊の本を読むのに要する時間を仮に二時間としましょうか (速いと思うけど)。小学校では一月に 15 時間、中学校でも一月に5時間程度は読書に時間さいているわけです。仮に読書の時間が週に一時間としましょうか。そうすると、一月5時間です。15 → 20 時間、5 → 10時間、で、一月 2.5 冊です。誰がどう見ても質的な変化の生じるような変化とはいえないでしょう。それに、普通の子はもっと読むのが遅いから、読む本の数も読書の時間の効果もこれより少なくなる。
また、読みたい本が見つからない、ですけど、これまで別に推薦図書の紹介をさぼってきたわけではないでしょう。単に、教育界がこれまで推薦してきた本を子供が面白いと思っていないわけです。おまけに、付録であげられている本は、そういう線から外れたものではない、と言い切れますし。