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まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
「国語」という言い方からして古い (スコア:2)
まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
知るは楽しみなり (スコア:4, すばらしい洞察)
欧州の学校では、今ではろくに使われていないラテン語を子供に教えてますよね。
なぜか?それが教養というものだからです。全然実用的ではないが
それを学ぶことによって人生に深みと渋みを与えてくれる、それが古典です。
京都の岩清水八幡宮に行ったとき、ふと
「仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を…」
と口をついて出て来たり、
みんなでドイツ語の参考文献を四苦八苦しながら訳しているとき
「杉田玄白先生のフルヘッヘンドの苦労はこんなもんじゃなかったぞ、ガンバレ」
と言ってみたり、
花見の後片付けをしてるときに
Re:知るは楽しみなり (スコア:0)
> なぜか?それが教養というものだからです。全然実用的ではないが
> それを学ぶことによって人生に深みと渋みを与えてくれる、それが古典です。
> 京都の岩清水八幡宮に行ったとき、ふと
> 「仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を…」
> と口をついて出て来たり、
> みんなでドイツ語の参考文献を四苦八苦しながら訳しているとき
> 「杉田玄白先生のフルヘッヘンドの苦労はこんなもんじゃなかったぞ、ガンバレ」
> と言ってみたり、
> 花見の後片付けをしてるときに
Re:知るは楽しみなり (スコア:0)
:
>> みんなでドイツ語の参考文献を四苦八苦しながら訳しているとき
:
>> 花見の後片付けをしてるときに
>ほんとにこんなこと言う or つぶやく人いますかね?
いますよ。私も。私の場合は駄洒落ですが。
結構周りの人も理解してくれましたよ。「お前の駄洒落はひねりすぎだっ!」って。
こういう応酬が人生の深み、渋み、楽しみなんだなあ。