少し前のNature Web Newsに「To know science is to love it [nature.com]、 科学を知れば好きになる [mypress.jp]」という記事が出ていました。1998年から2003年にかけて世界40ヵ国で行われた200の調査について分析を行ったものなのですが、「人々がより多く科学に関して知っている場合、年代、国籍、正式な教育のレベルなどの他の要素にかかわらず、科学をより好意的に見る傾向が有った」という事が分析結果として報告されています。
「科学に関してさらに学ぶ人々がそれを好むようになる傾向があるのか、それとも逆に、既に科学を好きでそれを支持する人々が単にさらに深く事実を学ぶ傾向があるのかは不明だ」、と指摘されていますが。
結局、だめなような気がする。 (スコア:2, 参考になる)
はいいんだけど、その後の新聞記事を読むと知識偏重な感じで結局変らない。それでは、理数ぎらいや"数学や算数なんて社会に出たら役に立たない"と公言する大人(自称文系人間)を増やすばかりで結局いままでとおんなじ。数学は、"論理的思考"を、理科は、"一定規則に基づいている状況を観察分析し規則性などを見付ける力"を養うものでこれらはどの分野においても大切なことであり、米国の教育では、経済分析や自分
Re:結局、だめなような気がする。 (スコア:1)
大人が自分で知識を得ようとする場合、やみくもに情報を収集するわけではなく、自分の視点で自分にとって「必要」であるか「楽しい」ものを得ようとするのだと思います。科学常識の部分って「必要」ではないと思いますので、大人に「身につけるべき」という形で押しつけるのは無意味な気がします。体系的に理解できない場合、身に付かないですし。
一括りに科学という言い方をしてしまいますが、それが網羅し、体系立てている現象は非常に幅広いですよね。また、お金儲けには直接役立たない部分も多かったりするようにも思えます。いっそ、思索は娯楽だ、という視点で攻めてはいけないものでしょうか?
科学って種々多様なジャンルを持っているのだから、みんな何か一つぐらいは気に入る分野が有っても良いような気がします。同じ文部科学省が進めている、「サイエンスカフェ」 [mainichi-msn.co.jp]の様な試みで、科学を知って好きになってもらえるきっかけを多く作るというのは、対応人数に問題が有るのでしょうか? 全てリアルサイトで行う必要は無いと思うのですが …
少し前のNature Web Newsに「To know science is to love it [nature.com]、 科学を知れば好きになる [mypress.jp]」という記事が出ていました。1998年から2003年にかけて世界40ヵ国で行われた200の調査について分析を行ったものなのですが、「人々がより多く科学に関して知っている場合、年代、国籍、正式な教育のレベルなどの他の要素にかかわらず、科学をより好意的に見る傾向が有った」という事が分析結果として報告されています。
「科学に関してさらに学ぶ人々がそれを好むようになる傾向があるのか、それとも逆に、既に科学を好きでそれを支持する人々が単にさらに深く事実を学ぶ傾向があるのかは不明だ」、と指摘されていますが。
文学だってスポーツだって、その中にいろんなジャンルが有りますが、それで食べているプロが少数いて、アマチュアがその下のレベルにいて、大多数は観客です。科学者だって、そういう形で多数の人に支えられて良いはずだと思うのは無謀でしょうか?
# 誰がその分野を扱っているか、というレベルで科学を認識しているので ID