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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
アプローチが間違っているような… (スコア:4, 興味深い)
養成課程の設置のハコとか予算枠を用意しても、
それを執行・実行する人員がいないので無理。
>各大学からアイデアを募集する
結局ノーアイディアってこと?
官僚がやるべきことは、金をばら撒くことではなく、
きちんとした制度を設計すること。
問題は、「大学→大学院 → 教職」のキャリアパスが非常に狭いことであって、
教職に関する教育制度そのものをきちんと見直すことじゃないかなぁ。
もしくは、教職を取らなくても小中学校で理科教育に
研究者や理系出身者を引っ張りだす仕組みを考えるとか。
「教職を持っている→教える資格がある(採用したらもう切れない)」じゃなくて、
「試しに採用してみたら評判がよい→教える資格がある」という考え方がいいと思う。
Re: (スコア:2, 興味深い)
まずは全ての基盤となる国語力(論理力)の強化 [atmarkit.co.jp]が先じゃないのかな。まずは教員から。そうでなければただの対症療法でしかなさそう。
「スーパー」な教員を養成しても平均的な教員に頭の中で知識を体系化するスキルが乏しいと、「できる人」に仕事が集中してしまったり当たり外れが大きかったりして、その施策を長続きさせるためには更にお金を注ぎ込まなければならなくなりそう。
脱「感想文」教育 (スコア:0)
「読書感想文」に代表されるような文芸偏重な内容を改善しなければ。
Re: (スコア:2, 興味深い)
やはり論理的な文章作成に加えて、「ディベート」と「プレゼンテーション」かな。
テレビの討論番組とかを見る限り、まともなディベートができる日本人は100人に
一人もいないみたいに見えます。プレゼンテーションは「パワポの使い方」ではなく、
論理的な主張を段階的に構築していく方法を教えるものにすべきでしょう。だから
必ずしもパソコンを使う必要はありません。
>「読書感想文」に代表されるような文芸偏重な内容を改善しなければ。
その「読書感想文」も「作文」も、まともな文章作成の基礎さえ教えて
もらえなかったりする。少なくとも私の時代はそうでした。
Re:脱「感想文」教育 (スコア:0)
という言葉が良く横行するのですが、正直、理系の人間で論理的という言葉を
多用する(重要視する)人で話の中身が論理的かつ建設的であったためしがあ
りません。
日本語の文法の授業を学んでいるわけではないので、言葉じりを捕らえて論理
的であるかの判断は間違っていると思います。その手の論理が横行しすぎるか
と。
ディベートもプレゼンも、相手をその場で打ち負かすことや、ごまかしても良
いからとりあえず納得させるという技術と、きちんと物事を伝える議論するこ
ととは異なります。論理という言葉を先行させる人はたいていは、相手を打ち
負かすことや、意見そのものの含んでいる価値より文章の組み立てそのものを
重要視するので、中身のない人が多い印象があります。
自分を飾らずに、分かっていることと分かっていないことと、問題点や議論し
なくてはならないことを伝えて、「正直」に議論するという理系の人間にとっ
てもっとも重要なセンスが、論理という言葉でいっしょくたに塗られてごまか
されて、華美に装飾されてあやふやになってしまうことが多い。
薄い内容や何ら目新しいことのない内容にも関わらず論理という言葉と技術で
それが伸ばされて、あたかも中身があるかのように表現される。これは、理系
の人間にとって忌避すべきことです。その議論は何が新しいのか?何が君のオ
リジナルなのか?どの議論が科学の発展に寄与するのか?するべきなのか?き
ちんとするべきで、装飾してごまかすべきではない。
それと、意外に思うかもしれませんが、いわゆる文系人間の方が実は論理とい
う言葉を多用します。理系人間は中身で勝負なので実はそれほど論理論理とは
表だって言いません。
理系の人間にとって、最低限、論理的であるのは当たり前で、論理的でない議
論や研究はそもそも議論の題材にもなりませんので。論理性よりも、その論理
の目新しさや、着想のすばらしさなどの「中身」の勝負になります。論理的な
のは言うまでもなく当たり前なのです。大事なのは中身です。
ですから、むしろ論理という言葉を声高らかに叫ぶのは文系の人間が多い。
漫画に出てくるようなキザな男が、メガネをクィクぃ上げながら、「君の話の
**は**という観点からすると論理的ではないね、***という論文は読ん
だの?」とか言う人間が実は、「文系のエリート」さんたちにはやたらに多い
です。金融や証券会社のトップ企業の若手はたいていコレです。
彼らの「論理性」は、中身がゼロの状態から、言葉だけでの上塗りと装飾が多
くて、非常に腹が立ちます。彼らをみていると、論理という言葉を多用する人
間にはなるなと思いたくなる。
とにかく、理系の人間も文系の人間も論理って言葉が大好きで、多用しすぎま
すね。ダメですよ。理系のプロは論理がどうとかあまりいいません。
それよりも大事なのは、もっと「正直」に徹底的に議論する習慣を持つことだ
と思います。中身を磨くこと。人類が気づき上げてきた知識の大系を少しでも
多く学び、議論し、それから新しい何かを、自分が産み出していくか?です。
自分が人類の発展に、学問の発展にどのように、どれだけ寄与できるか?です。