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「学習曲線が延々と続く上り坂」という状態はやはり避けるべきではないでしょうか。
「初心者でも使える」エディタという意味ならば(snip)「初心者を鍛える」エディタ、と言う意味ならば、vi系とemacs系は両方使わせる必要がある。おそらく状況によって違うだろうが、root として育てたいならばviを先に、プログラマとして育てたいならばemacsを先に、だろう。しかしいずれにせよ両方、だ。vi使えないとだめだとかemacs使えないとだめだとか、そんなどうでもいいことで新人いじめてどうするんですか?
> 一般に学習曲線は「急峻に上がる」ほど学習しづらく、使えるようになるまでが大変。つまり、厄介なのは「崖」のような部分がある場合。「坂」が延々続くのはむしろ「よい」環境なんですが。なんだかあなたの話を聞いていると、emacsをマスターするのが苦行の連続のような印象を受けるのですが、実際そうでしょうか?
重要なことはこのあいだでどれだけ自分の好奇心がつづくかということです。好奇心がある者にとっては、こんなもん登り坂どころか下り坂です。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
『初心者向け』の意味による (スコア:2, 興味深い)
「初心者を鍛える」エディタ、と言う意味ならば、vi系とemacs系は両方使わせる必要がある。
おそらく状況によって違うだろうが、root として育てたいならばviを先に、プログラマとして育てたいならばemacsを先に、だろう。しかしいずれにせよ両方、だ。
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vi を教える理由は2つ。「正規表現を教えるため」と「システム管理者として必要な技能である」
fjの教祖様
そして初心者はみんなwindowsに逃げ帰った。。。 (スコア:3, すばらしい洞察)
それに「初心者を鍛える」という発想もいかがなものでしょう。それより「初心者はなまあたたかく見守る」というほうが、現実に即していると思いますよ。師が弟子に自ら来た道を最前の道として教えてしまったら、弟子は師を永遠に越えることはないでしょう。「俺はこうしてきたけど、おまえはどうする?」と問えば、あるいは弟子が師を越えていくということも将来あるかもしれません。
それにunix上のスキルだけがすべてではないと、私のように小
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
なぜ?
一般に学習曲線は「急峻に上がる」ほど学習しづらく、使えるようになるまでが大変。つまり、厄介なのは「崖」のような部分がある場合。「坂」が延々続くのはむしろ「よい」環境なんですが。
もちろん、「坂が無い」状態が一見よいように見えますが、実際には「坂が無い」とは「役立たずなソフト」だという証でもあります。初心者と熟達者が同じレベルの作業しか出来ないなんて、使えない。
また、坂がそこにあるからと言って「登らなくてはいけないわけではない」。
学習する暇が無いなら、とりあえず知っている事を使って。チャンスがあったら坂を登って。目の前の問題を解決できる。
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という「自発的学習」の概念が無い人だけ、篩から落ちていくのですが。
そういう人は「自発的学習の重要性」に気がつくまで、十分置いてきぼりを食らわないと目が覚めないので、しばらく放置プレイ。
fjの教祖様
Re: (スコア:0)
なんだかあなたの話を聞いていると、emacsをマスターするのが苦行の連続のような印象を受けるのですが、実際そうでしょうか?
私がemacsを触り始めた最初の印象は、viよりもプルダウンメニューがあって便利だなぁと、だから使ってみようってことでした。なんだか触っている内にmewとかdiredとかw3mとか便利な機能があるらしいことに気づく。eshellとか使えば、いちい
Re:そして初心者はみんなwindowsに逃げ帰った。。。 (スコア:0)
重要な部分を読み違えているのではないかと思いますが、新人に限らず、一般ユーザ、管理者教育、プログラマ教育とを分けて書かれているようですよ。
また、お二方、同じような話題を各々が違う視点で語るから無用に揉めているようですが。
viの基本機能をほぼ会得してると自負するvi派の私に言わせると、「実際そう」です。
多くの人々が、一癖ある(uni | Linu)xのエディタを会得する際、「私がやりたいのは新しくエディタの使い方を覚えるのではなく、単に文やコードを書きたいだけで、一般的なエディタは既に普通に使えるのだが...」などと、疑問に感じるのではないでしょうか。viもemacsも、そう感じさせるに充分な、独特のインタフェースを備えていると思います。しかし、その独特の、馴れると手放せない便利なインタフェースを会得する苦行を乗り越えてこそ、便利であり、よく考えて設計されたインタフェースであると理解できるのではないでしょうか。
コレは主観に基づいた生徒側の表現であって、教育する側から客観的に見た場合、好奇心を燃料に、上り坂や断崖を転げ落ちる逆の勢いで登りつめてしまう逸材であり、全体の一部です。全ての人々に、同様に好奇心が芽生えるような素晴らしい教育方法があるのなら、是非私も知りたいです。否定するだけでなく、建設的なご意見があれば是非に。