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792 story

英語で教える数学・理科・芸術・体育 62

ストーリー by kazekiri
芸術も英語なのか? 部門より
soramine 曰く," 毎日新聞インタラクティブの記事によると、文部科学省は、今後の国際社会で必要な英語力の習得のために、理科・数学・芸術・体育などの授業も英語で行う「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」を設定する方針を決めた模様。  まずは、学習指導要領にとらわれないでカリキュラムの組める研究開発学校に導入ののち、一般高校に広めたいとしている。  名称をカタカナで書かれるのもぱっとしないが、日本人教師が英語で授業して生徒がそれに応えるって、そう簡単に行くのかな?"
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  • Re:英語教育よりも先に (スコア:3, すばらしい洞察)

    by Hebikuzure (489) on 2001年08月14日 10時46分 (#13496) ホームページ 日記
    いわゆる「国語」の中に「文学」「語学」「コミュニケーション技術」の3つが混在していて、しかも「文学」が優遇されているという所に問題があると思います。
    小学校上級くらいから上は、この3つをきちんと分けて教育するべきではないかなあ。その方が外国語を学ぶときにも応用が効くし。
    英語での授業に関しては、そういう学校がある事自体は賛成。もっともまともな教員を揃えるのが至難の技のような気もしますが。全員アメリカかイギリスから連れて来るとか....。あ、別に香港やシンガポール辺りでもいいのか。
  • Super(上位の)って、変じゃないかなあ。だって、「上位の英語高等学校」だよ。だいたい英語で話したけりゃ留学したりアメリカンスクールにでも行けと言いたいのですが。

    こんなことしても、「ここがヘソだよ日本人」のネタにされてギャグまがいに扱われるのがオチかも。

    # あの役所の杜撰さは流石だ。(謎:読めるかな)

  • 修論とか博論はもうだいぶ英語化が進んでいますよね。
    その練習だと思えばいいのでは。
  • 「重複(ちょうふく)」は当然でいいんだよな。

    「山茶花(さんざか)」は難しいかもね。

    # 「新(あらた)し」とか。
    --
    "Quidquid latine dictum sit, altum videtur."
  • それってつまり、、、

    Run!! Yamada, Run!!!
    Run!! Forrest, Run!!
    Run!! Lola, Run!!

    、、、楽しそうだなー。
    (怒らないで、これはちょっとしたジョークなんだから。
    クリエイティヴだと思うなら、アイデアを提供して。)
    --

    There is no spoon.
  • > 「重複(ちょうふく)」は当然でいいんだよな。

    編集ミス。

    「重複」は当然「ちょうふく」でいいんだよな。

    と直す途中で投稿してしまった。

    > 「山茶花(さんざか)」は難しいかもね。

    こっちはミスじゃないからね。
    --
    "Quidquid latine dictum sit, altum videtur."
  • by crouton (9) on 2001年08月13日 18時11分 (#13292)
    文学作品の読解だの読書感想文だののウェイトを減らして、
    ディベートやプレゼンテーションの指導を国語教育の枠のな
    かで実施するのが先じゃないのかね。
    --
    "Quidquid latine dictum sit, altum videtur."
  • 学ぶべき事とは別のところで頭回さなきゃならなくなるよね。少なくとも大概の日本人は英語知らないんだから。
    ゆとり無いだろうなー、この教育現場。迂闊に駄洒落も言えない。

    や、功を奏しまくれば別かも知れませんけどね。
    何の負担にもならないくらい英語堪能に育つんであれば、将来は絶対に武器になるし。
    ....ん?みんながみんな英語喋れてたら、それは既にアドバンテージとは言えない?(^^;
  • 個人的には悪いアイディアではないと思うけど。
    とかく日本人が英語が苦手と言う背景には、英語を話す機会が少ない(無い)と言うことが影響していると思うので。

    拙くても日常会話で英語を話せれば、会話の際の心理的抵抗感も多少は減らせるんじゃないかな。
    まぁ実際問題としてどこまで有効かは教師側のやり方にも依存するので、ますます先生は大変だろうなぁ。
    外国人教師雇えばいいのに。

    こういう話と「日本語をちゃんと勉強すべき」と言うのは別問題(と言うか日本語やるのは当たり前だろう)と思っているので念のため。
  • by atmark (3747) on 2001年08月14日 0時05分 (#13388)
    東京都立国際高校では2泊3日の日本語禁止キャンプをやっているのですが、みんな教員に隠れて日本語をしゃべってしまうのであまり意味がないらしいです。そのほかにも日本人ばかりで固まっているとアメリカの英語学校に何年も通っても大学に入学できないというように、日本人同士で英会話力を付けるというプログラムには疑問を感じます。教員だって「これから教育する」と記事に書いてある通りどうせ英語がしゃべれないのだろうから、「ええい、めんどくさい。日本語でしゃべってしまえ」となるのが落ちです。

    ただ、私があるアメリカ人を連れてきたときに、知人のICU卒業生は辞書を片手に施設案内をして回ってくれました。ICUの授業は全部英語で行われ、外国人教授も多いらしいので、英語をしゃべり慣れているな、と感じました。まずは英語を「しゃべれるようになる」の前に「しゃべり慣れる」というのを目標にすべきかもしれません。

    もう一つの懸念はやはり「日本語力」ですね。卒業生の多くは日本で生活していくのでしょうから、日本語で文章を書ける必要があります。しかし、日本語と英語の構造は全く異なるので英語でばかり書いていると日本語で書けなくなってしまいます。アメリカの移民を見ていると英語も母国語もろくにできないという人が結構いますが、そうなると労働力として使い物にならなくなるので、最悪それだけはさけてもらいたいものです。

    # だから/.の日記を使って日本語の練習中。

  • by atmark (3747) on 2001年08月14日 5時44分 (#13444)
    > そもそも国際化なんてのは、国と国、文化と文化の接触なのだから、

    自分が「地球人」だと思っている私にとって、それは悔しいけれどそう取られる事実は否定しません。

    > その中で自分は日本人なんだという意識を強く持たないと相手もこちらのことを認めてくれない気がします。

    でもこれはどうかな?国に誇りを持っている人ほど排他的になって「外国人」を受け入れないと思うのですが(アメリカではその傾向が強い)。

    > 外国では自分の国に対する誇りをもつのはごく一般的なことですから。

    「外国」ってどこなんでしょうか。工業のあまり発達していない(南北)アメリカなどは結局ナショナリズムに訴えないと国がまとまらないというのがあるのでしょうが、ドイツなどの工業国は友達を見る限りそういったことはなかったですね。

    ワシントンDCの大使館街をバスで回ったとき、南米の大使館前を通ると歓声が上がるのに日本やドイツの大使館前では大変静かでした。

    # やばい、オフトピックだ...
  • べつに外国の文化に「対抗」する必要なんてないと思うけど。 日本人だからといって日本のスポークスマンとして振る舞う 必要はぜんぜんありません。まあたしかに、日本についての意見や知識を 求められることも多いだろうけど、「日本では××という習慣や考えかたが一般的だけど、おれ自身は△△と思う」というふうな答え方だってできるんだし。

    それよりかは、「日本語教育をまずしっかりしろ」というのは、論理的思考の訓練をしろということじゃないのかな。母語でまともな文章が書けない/しゃべれない人は、英語でもまともな文章が書ける/しゃべれるはずもない、と。で、論理的思考や文章の組み立て方を勉強するには、母語を使ってやるのが、内容そのものに集中できるので良かろう、ということだと思います。

  • 喋れないと思い込んでいる、と言うよりは、きちんと会話が出来ないのに喋るのは恥ずかしい、と思ってるんじゃないかな。
    実際には海外から来ている外国人なんて、たいしたことの無い日本語を片言で話すだけでも感心されたりするわけで、別に英語が喋れないのは恥ずかしいことでもなんでもないわけなんですが。

    と言うことで、言語なんて「習うより慣れろ」が一番だと思うのです。
  • まずは確立させる方が大事でしょう.

    チョーフクがduplicatedでもサザンカがやまちゃばなでも所詮単語だから, そんなのは後付けで明確化すればすむこと. 文法の明確な定義は全ての基本だし, 伝達しやすい文章構成のテクニックは数を訓練しなければ身に付かない. こういったことは学生時代までしか訓練の機会は無いうえに, 国語審議会に出てくるような人は自分が出来るものだから, 当然他人も出来るものだと思い込んでいる.

    結果, 国語の時間は文化的な日本語中心になって, 自分はコンピュータのマニュアルが読めずに悪文の最たる物などと宣う. まさか自分がその種を撒いてるとも気づかず.

  • by k3c (4386) on 2001年08月13日 17時53分 (#13287) ホームページ 日記
    「イングリッシュ・ランゲージ」ていう言葉もヘンではないですか?英語言語?まあ、名前なんてどうでもいいといえばそれまでですが。

    英語で英語以外の教科を教えても、実生活(仕事や日常)でその英語が役に立つことはなさそうな気がします。そういうところで要求されるのはむしろ会話や自分の意思を伝える能力ですよね。だったらネイティブの講師をメインに据えて、本当に「通じる英語でないと先生に理解してもらえない」くらいの追い込み方をしないと身に付かないのではないでしょうか。
    学術論文を読みこなすにはテクニカルタームとかの知識が必要ですが、それは英語で会話しながら授業するのとは関係のないことですし。

    英語で授業を行うことの必然性がイマイチ理解できません。英語にあくせくした挙句に肝心の授業内容の理解度が下がるような結果にならなければいいんですけど。
  • by rainforest (4616) on 2001年08月13日 18時07分 (#13290) 日記
    マトモな日本語の読み書きが出来る方が先でしょう。

    英語が話せることと、英語でマトモな事が話せることの間には深い溝があります。英語の出来が悪くても、筋の通った意味のあること言っている場合、相手は聞いてくれる場合が多いです。

    # 確かに英語が出来なってだけで馬鹿にする手合いはいますけど。

    論文を書くことの困難な点は、英語で書くことにあるのではなくて、論理的な文章を書くことにあります。英語で書けないヤツは、たいていの場合日本語でも書けません。日本語で書く場合は何となく文字がならんでゆくので書いた気分にはなりますけど。
  • by shikine (296) on 2001年08月13日 19時50分 (#13316) ホームページ 日記
    英語を使う外国人と話す機会のある人は全国民のうちでもごく少数の人でしかないが、洋書を読んだり、インターネットで英語を読み書きする機会はかなりの人にあると思う。単語を覚えとけば片言でも通じることはあるだろうし、ボキャブラリを増やすべく暗記が主目的の学習でいいんじゃないかしら。

    で、資格についてもそうなんだけど、一般大衆が知識をつけることに対して金持ちどもが警戒している向きがありますね。要するに「バカにはこの程度の教育でいいだろう」みたいな雰囲気を「ゆとり教育」にも感じます。結局、金持ちが楽していい大学に入れるように、その他の階級が意図的に愚民化させられてるってことに気づいて欲しいね。いかにして、貧民を受験から興味を逸らす教育を行うかってのがまさしく「ゆとり教育」の目的ではなかろうか。

    --
    他力本願。
  • サザンカは読めませんでした...。

    で、あまり英語英語と騒ぐのも結構だけど、何らかの形で日本語教育を充実させる必要があると、私も感じます。とゆーより、第一言語を貧弱にしてしまったら、すべての思考が貧弱になる...。

  • 古い単語を正確に覚えるのと日本の文化を理解する、ってのは等号で結ぶべきではないと思います。

    ふるきをたずねて新しきを知る、ってのも大事ですけどふるきを知らねば先も知れず、なんて事は決して無いですからね。(程度の問題かな?)

    #これまたオフトピックで失礼
  • by 2k (4210) on 2001年08月13日 20時31分 (#13327) ホームページ 日記
    日本人教師が英語で・・・なんてテンション高いだけの恥ずかしい米語しか身に付かないのは目に見えてると思います。友達同士で会話したり、って言う形でじゃないとじっくり伝わる言語能力は身に付かないですよ。

    それより論理的に考える事、っていうかディベートとかを若い時期から各科目に取り込んで、点取りゲームになってるテストを小論文に入れ替えて(誰が採点するんじゃ!って突っ込みはとりあえず勘弁ね、あくまで理想論なので)中学くらいからはそれに英語を交えてやる、とかってやり方は出来ない物なのかなぁ。

    英語嫌いとかゆとり教育云々の一番の問題は
    「学校=先生様が物を教えてやる場所」って考えだと思う。生徒が物を考える事を覚える機会となる教育ってのはどんな物か、具体的には解らないけど少なくとも最近のお上の提案聞いてるとどうも違う方向に進んでる気がしてなりません。
  • 「じゅうふく」と読んでしまったけれど・・・
    gooの大辞林によると
    1 じゅうふく 【重複】
    2 ちょうふく 【重複】
    となっているので、どっちでもいいのでは・・・
    本来の読み方と違う読みが定着してしまった例なのかもしれませんが、言葉は移り変わっていくものですし。
    • 数学--“微分”より,“デイファレンテーション”の方が
    • 理科--“原子”より,“アトム”の方が,
    • 芸術--“ヘ長調”より,“Fメジャー”の方が,
    • 体育--“気合”より,“コンセントレーション”の方が....

      ....ラクな気がするな.うん.
  • by Squal (2398) on 2001年08月13日 20時46分 (#13332) 日記
    英語で話せることはそれ自体重要ですが、英語で会話できるだけでは
    記事の文の冒頭にある「国際社会で通用する人材」にはなりません。

    ある科目 ( ここでは数学とします ) で英語で授業をやって成果があがるとすれば、
    それはもともと数学を自力で行う実力やモチベーションがある場合のみです。
    現段階ではそれを仮定するのはあまりにも非現実的です。

    そもそも授業というのは生徒と教師の間の意思の疏通をはかる必要があるのに、
    日本人にとって伝達能力が日本語よりも確実に劣るであろう英語を用いるのは
    上の前提が成り立っていない限り、利点になり得ません。

    元々英語の授業は、口頭での発言を主とした「実用英語」ではなくて、
    英文読解を主とした「教養英語」を身につけるためのものであったため、
    これまで実用英語はなおざりにされてきたという事実を考えれば、
    その点を補う意味で実用英語を重視しようという動きは重要ですが、
    とくに最近は実用英語だけに集中しがちな雰囲気があります。

    ...ここまで書いていてやっと気付いたんですが、
    そもそもモチベーションを高く保たせる授業を行なっていれば、
    このような学力低下などの問題は起こらないわけで、
    やはり、スーパーなんとかを支持することはできません。

    いくら国際化社会といっても英語を頻繁に使うことは当分ないと思います。
    例えば、UNIXなどの勉強をしなければならない状況になると、
    英語を読む必要が少なからずありますが、誰もがそのような状況になるわけではありません。
    また、そこで要求される能力が教養英語と実用英語の両方であるとは限りません。
    問題は英語が必要になったときに、自分から学ぼうとするための動機付けと、
    学ぶために必要な基盤が構成されているかどうかではないでしょうか。
    これは英語に限った話ではなく、数学や物理、その他全ての学問についてもいえるはずです。

    動機付けと基盤の両方が構成されていれば、あとは自分で学習をすすめていくことができます。
    本当に学校がするべきがするべきことはこの一人立ちをさせることだと思います。
  • 日本人はなぜ英語ができないのか? それは簡単だ。そもそも、先生が英語が喋れない。そして、大抵生徒は先生よりうまくならないのである。

    最近では状況はマシになったかと思い、知り合いの娘さんに聞いてみたところ、「学校に英語が本当に喋れる先生は1人だけいる」との事。おお! 私の頃とぜんぜん進歩していない。

    ところで英語で授業って、誰が教えるの? 英語の喋れない英語の戦線が、ひどい英語風日本語で、滅茶苦茶な英語でも生徒に叩き込むわけ?

    まあ、趣旨はいいんだけど、無理に進めても歪がでますね。「英語の」授業もボロボロなのに、「英語で」授業なんて、なおさら無理じゃん。
  • by Kz (3997) on 2001年08月13日 22時19分 (#13358)
    > とかく日本人が英語が苦手と言う背景には、 英語を話す機会が少ない(無い)と言うことが影響していると思うので。
    > 拙くても日常会話で英語を話せれば、 会話の際の心理的抵抗感も多少は減らせるんじゃないかな。

    有効性は疑問だけれども、 授業を英語で進行するとなると、 教師も生徒も必要以上に気負って、 疲れるだけではないだろうか。 それよりも、ホームルームだとか、 学級会の類を英語にするほうがいいのではないか。 会話に主体を置くのなら、 雑談くらいが丁度いい、と私は思う。
    授業となると押し黙ってしまう生徒でも、 目的が友達とのおしゃべりにあるなら、 自分が言いたいと思っていることを 英語でどのように言うのか、 自然に興味が向くのではないだろうか。
    もっとも、そうなると、それに答えなくてはいけない教師が一番大変かもしれないが。

    # ところでホームルームや学級会に雑談する時間なんてあったっけ?
    --
    ---- Kz
  • そもそも、漢字って、名前の通り昔の中国語じゃないですか。(笑) 何で英語には反対して、その一方で、昔の中国語や文化をいかに豊富に日本語に取り入れているかを自慢するというのは矛盾してません?

    何だか、昔から使われている言葉が正しくて美しいと無条件に思っているようでしたら、奈良時代の日本語でも学ばれたらどうでしょうか? 母音も現在の日本語より沢山あったようですし、活用もだいぶ違っているようですけれど、古い言葉が良いなら、それを現在に復活させる運動を推進したらどうでしょう?

    > 山茶花

    こんな漢字が読めるより、英語で世界の情報を得たり出来るほうがよっぽど楽しいですね。日本語は国際的に通用度が低いですしねぇ。あんまり、ムキになってこんな使用頻度の低い漢字まで学ばなくてもいいんじゃないでしょうか。
  • いくら英語ができてもネタがなけりゃ話せない。
    英語は学校外でも(というか、外の方が)習えるんだから
    学校にいるうちは、話すべき内容を身に付ける方が先だと思う。
  • 言語がどうとかいう以前に、コミュニケーションをとれない人間が多いのをなんとかした方がいいよな。 日本語で、口で喋っているのに満足な情報伝達ができないような 連中がいるのに。 簡潔な言葉で意志伝達できて、それを英語に直訳できれば、対して問題ないのに。。。
    --
    wild wild computing
  • by jvm16 (1311) on 2001年08月14日 0時03分 (#13387)
    すんごいけちくさい話をすれば,

     もしその教育を受けた人が功をなしたとき
     日本国政府の納税者になる確率はどのくらいあるのか?

    ...まるで右翼みたいだから別の言い方をする.

    通常日本人といわれる括りとは,けっして人種のことを指すものではなく,
    じつは言語的な括りを指すのだけれど(と断言すると刺されそうだが,まあより妥当な仮説だと思われ),
    そーゆーなかで非公用語で教育を行なうことの意味とかを考えてしゃべってんでしょうか?

    つうか,国民(とゆう意味不明な何か)にとって意味のある国民を再生産する,
    という仕事の役所のすることにしてはずいぶんとリターン率(とゆーのは使った費用に対する税収の戻り率のことですが)
    の低い話をしてるようなのですが,この人たちは正気?

    あ,それともそーゆー英語力を身につけさせた上で,なお日本国政府に税金を払っても良い,とゆー気分にさせる
    べつのカリキュラムが走り始める,とゆー記事なのかもしれない.
    そうだ,きっとそうに違いない.

    ...

    すいません,お盆スペシャルのせいですべってます.
  • たしか「重なる」というときには「チョウ」と読んで、「重い」というときには「ジュウ」と読むハズ。

    中国語でもそのように発音を区別しているし。

    まあ、「ジュウフク」と読んだって意味は通じるだろうからそれはそれでいいんだけれど。

    たとえば、「消耗」 これはあきらかに「ショウコウ」と読むはずだが、「ショウモウ」と読むようになってしまった、とかね。
    --
    ---Y^2
  • 恐らく、自国の文化、思想に対する理解がないまま外国に行くと、その国の思想に対抗することができなくなることを恐れているからだと思います。

    そもそも国際化なんてのは、国と国、文化と文化の接触なのだから、その中で自分は日本人なんだという意識を強く持たないと相手もこちらのことを認めてくれない気がします。外国では自分の国に対する誇りをもつのはごく一般的なことですから。
    --
    ---Y^2
  • 原題: Vanishing Voices という本が参考になるのでは。

    すべてが英語化する世界は無機質でしょうね。
  • 以上。

    ...だと話にならないな。
    例えば、英語ネイティブな留学生が英語喋ったときに「おお~」とかどよめいたりとかしませんでした?

    現在の英語のカリキュラムをどうにかするのが先だと思うんだけど...
    # そんな寝言言ってるようじゃ無能呼ばわりされちまうぞ~
  •  よく、TV番組などで、英語のできない日本人にあえて英語を喋らせて、笑いにする番組とかがあります(逆パターンもあるみたいですが)けれど、喋り慣れるという点、また、英語に関心を持たせるという点では、効果があるのかなあとちょっと考えてしまったです。
     日本語禁止の試みは面白いかもしれませんけれど、結局、一番手っ取り早い(もしくはやりやすい)コミュニケーションを取ろうとすると、日本にいる場合は当然日本語で、となってしまうのは致し方ないかなと思うです。

     英語に力をいれようという考えには賛同しますけれど、やり方はどうもぱっとしません。英語圏に長期留学する方が現実的な気がしないでもないです。
    --
    -------- SORAMINE Yukino
  • >芸術--“ヘ長調”より,“Fメジャー”の方が,

    音楽関係の芸術の場合は、英語よりもドイツ語・イタリア語が重要では?
    美術・工芸でもそうかもしれない。
  • >ただの英語コンプレックスじゃん
     それはあると思うのですよ。
     英語しゃべれる人口が少ないのは、「そもそも日本で
    暮らしているなら実は大して必要ではない」からでは
    ないかと思います。
     必要は勉強の母上様ということで、英語が必要な
    環境になったら必要な人が英語勉強するで十分では?
     その上で、ニーズが多いなら公教育でも対応を考えると。
     必要ないならしゃべれなくても堂々と胸はりゃいーんです
  • >重複

    おいらの勤務先、おいらとあと一人以外は皆「じゅうふく」って言います。
    そのたびに頭の中で「誤り」アラームが鳴るので、とっても迷惑。

    ちなみにATOK11で「じゅうふく」を変換すると「重複」が出てきます。
  • そりゃそうですね。
    必要ないのにやるのは趣味って言いますし。

    でも、おいらはどちらかというと「喋れない」んじゃなくて「喋れないと思いこんでる」方が多いんじゃないかと思うのです。
    で、喋れないと思いこまされている最大の原因が「教育指導要綱」だったり、「お勉強」しか知らない教師の授業だったりする。
    というワケ。
  • by 2k (4210) on 2001年08月14日 18時13分 (#13611) ホームページ 日記
    >意外や「日本語能力と英語教育に相関関係はなかった」という結果に

    ウルトライングリッシュラングエージハイスクール計画が立ち上がると。
  • by KUSANAGI Mikan (4522) on 2001年08月14日 21時55分 (#13644) 日記
    「秋葉原」を「あきはばら」と読むのは、秋葉原駅を造ったときに、国鉄がよみがなを振り間違えたからと言う噂を聞いたことがありますが、真実はいかに?
  • by kota (2142) on 2001年08月15日 2時30分 (#13690) 日記
    > ここで「まず日本語を教え込め」と気勢を上げている人たちの根拠はなに?

    日本語で苦労している日本人が多いということでしょう。

    英語の場合は本人が苦労するけど、日本語の場合は本人に自覚がないまま
    周囲が苦労することが多そうです。

    自分で不得意な事がわかっていれば、努力しようとも思いますが、
    自覚がなければ一生そのまま。
    だから強制力のある教育現場で日本語教育をなんとかせぃってことになるんでわ?

  • by taanii (2285) on 2001年08月15日 13時48分 (#13771) ホームページ
    Englishと言えば・・・
    EnglandはUK(the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)を構成する4国の1つだが 日本語で「イギリス」(Englishがなまってできたらしい)と言うとEnglandだけでなくUK全体を指すことの方が多いようだ。

    #私は the Beatles で英語を覚えたのでLiverpool訛りです(嘘
  •  でも、

    I can't English.

     と言ってしまって、みんなからバカにされた悲しい実話が(ToT)。さらには相手の方も

    ??

     となってしまい気まずいことに(xx)。

     どうやらボクは慣れる以前の問題のようで(;;)。

    # 頭が悪くてごめんなさいですの
    --
    -------- SORAMINE Yukino
  • by nbs (4368) on 2001年08月16日 11時46分 (#13983) 日記
    使われています。
    我々の使っているのと比べるとずいぶん画数が少ないですけどね。
  • >と言うことで、言語なんて「習うより慣れろ」が一番だと思うのです。

    そりゃ、日本語だって習ったんじゃなくて慣れてきたんですから、当然と云えば当然なんですけどね。
  • > I can't (speak) English ((well)).

    これはバカにする方が悪い。
    何かというとバカにする風習って何もいいことないと思うんだけど。

    というか、これこそが喋れないと思いこんだり、きちんと喋れないと恥ずかしいと思ったりする元凶だと思うのだ。
  • 確かに,外国の人が日本語を話している場合,ちょっと間違ってても,発音がおかしくても,けっこういいたいことは理解できるものですし,それはこちらがカタコトの英語を話す場合も同じなんだろうと思います.

    そういえば,海外旅行に行くと,タクシーの運転手とか,みやげ物やなんかでインドの人と会うことがありますが,彼らの英語はかなりなまっています.僕も英語はカタコトなんですが,彼らは明らかに向こうがなまっていてこちらがうまく聞き取れなかった場合でも「おまえ,本当に英語わかるのか?」みたいなことを言います.

    この自信はどっからくるんじゃー,とも思うんですけど,これくらい堂々とはなすことも大事だなあ,とも思いました.

  • by Anonymous Coward on 2001年08月13日 17時09分 (#13267)
    英語うんぬんより以前に正しい日本語と日本文化をたたき込
    んで欲しい。

    以下の漢字。正しい読み方できますか?
    重複
    山茶花
  • by Anonymous Coward on 2001年08月13日 18時53分 (#13302)
    "ちょうふく"、"さんざか"で当りです。
    でも、さんざかは既に辞書でもかな漢変換でもさざんかで
    すので、まぁ目くじら立てるほどではないですが、
    本来の日本語としては"さんざか"です。

    で、以下固有名詞なので日本語というより余談。
    /.を見てる方は秋葉原によく行くかと思うけど、
    これは、"あきばはら"が本来の正しい地名です。
    元は"あきばがはら"でそれが"あきばはら"、
    で戦後いつのまにか"あきはばら"と間違われたのです。

    だんだん元記事からハズレていく。
  • by Anonymous Coward on 2001年08月13日 18時59分 (#13304)
    English Language であれば、イングランドの言語って意味でしょう。 まちがっても、American Languageを教えるなよ。 キャンじゃなくて、カンに近いし、オフンではなくてオフトゥンだぞ。
typodupeerror

身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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