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352 story

浦安市が小中学校に催涙ガス噴射器を配備 14

ストーリー by Oliver
自衛するための軍備 部門より

tar 曰く,"asahi.comの記事によると浦安市が小中学校に催涙ガス噴射器の配備を決めたそうだ。配備するだけじゃなくて、ちゃんと教職員に対する訓練も行わないと片手落ちだな。消火訓練と同様、「侵入者撃退訓練」なんてのも必要かもしれない。"

各校に1基づつでは校長の金庫の中に入れられて役にたたなさそうだな。

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  • 絶対にやるヤツがいると思う(^_^;)

    侵入者対策も大切なんだけど、そういう大人にならないために、
    どうしなきゃいけないかって、子供達と大人は語り合っている
    のだろうか。
    こんな殺伐とした時代の中で、子供達は自分の将来をどう描い
    ているのだろうか。

    最近の小・中学校って、道徳の時間って有ります?
    自分たちの時も、他の授業に割り当てられたり、してたけど
    その時に、先生が僕らに語った「人の道」は、今でも心に残って
    いるのだが。

    今の先生方に「人の道」を説くだけの技量がないと言うことか。

    --
    ======= nandabe =======
  • こないだ…といっても、もう2年くらい前は僕も中学生でしたが、
    同和教育は、ほとんどやった記憶がありません。
    部落差別について、ちょっと触れたくらいかな…。
    僕も、小学生のときはもっといっぱいやったのに…。
  •  ボクが中学のころ(何年前かはヒミツ)には、消火器を使った子がいたです。火災報知器のイタズラも、何回かあったかな?

     道徳……振り替えも多かったけど、普通の授業の時に道徳みたいなのがあったのかなあ。高校のころはもう「自分で考えなさい」でしたけれど。

     パニックになったときの対処を、どうするかがカギになってくるのかな。火事や地震と同じように、これからはこわい犯罪者の。

     これからも物騒な世の中になっていくんでしょうか。
    --
    -------- SORAMINE Yukino
  • by kensama (2552) on 2001年06月28日 16時52分 (#4220) ホームページ 日記
    同じasahi.comに、
    保育園通用門にモニターカメラって記事もありましたね。
    最初にこの見出しを見たときは、
    狂言防止策?」とか思ってしまった。
  • あ~、はるか遠い昔ボクが小学生だったころ、廊下を走っていたら角を曲がり損ねてつんのめり、そこにあった消火器に激突した奴がいたっけ。その消火器は古かったのか、思いっきり暴発してそいつはぐしょぬれに……(^-^;
    消火液って、なんだか生臭いというか、独特のヤな臭いがすることをそれで知りました。

  • 全教室に消火器を配置したほうが実用的です。 催涙ガスの代わりになり、火事も消せて、安くて安全。 生徒にも扱えます。
    他にも生徒の机やモップなど、身近に使えるものがいろいろあります。机を盾代わりにすればナイフ系の武器は使えません。先生たちにそういう技術も勉強してもらったほうがよいと思います。
  • そういえば、(多分中学生の頃だったと思うけど)体育でバレーボールやったときに消火器
    (消火剤が粉末の奴)に(故意ではないけど)アタックを決めて体育館を真っ白にした奴がいたっけ。
    粉末は特に臭わなかったような。
  • by sawaday (2083) on 2001年06月29日 2時38分 (#4293)
    たしかに。

    そんな訓練するほうが、よっぽど子供の心に傷を残しそうだな。神戸の児童殺人事件の時もそうだが、10年に一回、下手すると100年に一回の事件に過敏になりすぎていると思う。”羹に懲りて膾を吹く”ということわざがぴったりである。本気になった屈強な大人に子供がどう対抗するというのだろうか?そんな事件が毎年起こるような社会にしないための対策を練るべきだろう。

    それがもしかすると道徳教育(期待は薄いけども)なのかもしれないが、真似するバカが少なからずいるようなのでマスコミで大騒ぎした上に繰り返し放送するのを止めるか、社会的影響が大きい事件は早く結審して報復的刑罰を与えて”見せしめ”にするか。エキセントリックといわれそうだが、今回の事件はそんな結末でもよいと思う。

    催涙ガスなどという試みは、滑稽な結果に終わりそうなので別に見過ごしてもかまわないのだが、あまりに短絡しているので腹が立つ。
  • その通りだと思います。

    なんだかんだ云ったって、犯罪を犯してしまった人のほとんどは、
    その「周辺・生活環境」に何らかの問題がある場合が多く、
    特に「家族」と呼ばれる近親関係者(血縁は無関係)に因る影響は重大である。
    さらにその「家族」の中の(養育者・保護者としての)「親」の責務は
    非常に多大かつ重要であると確信できるのだが、
    この責務を放棄している「親」「現場」(家庭、場合によっては施設も?)が
    以前よりも多くなっているのだろうと、昨今のニュースを見るたびに暗澹とさせられる。

    道徳の授業を止める必要もないし、
    避難訓練や防衛術の講習を実施すること自体は意味あることだと思うが、
    それ以前に、「親」が「親」としての責務を果たす、果たすことの出来る、
    (躾は「親」の責務であり、これは自由に育てることと対立しない!)
    そんな社会であるべきだと考えます。

    #子供の自己を尊重し、自由に育て、自らも育てられていく
    #ことと、
    #子供の我が侭を許し、躾を放棄し、我が侭し放題にする
    #ことは、絶対に違います。
    #…って、こんな所で言っても、
    #このような話を聴かなくてはならないようなダメ親
    #に届くわけでもないのが歯がゆい…
    --
    -+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
  • その通りだね。

    何処の辞書かは忘れましたが「先生」と言う単語の意味を引いたら・・・
    世間一般の意味の他に「親のこと」と書いてある辞書が有りました。

    私、親から直接「人の道」を説かれた記憶って無いんですが、
    悪いことしたらこっぴどく叱られたし、とても怖かった。
    でも、何かあったときは頼りになった。
    ふだんの生活の中で、物事の良い悪いを教えてくれてたんだなぁと
    この年になって気づいた私。

    自分も、そんな「親」になれるか疑問ではあるんだけど。
    --
    ======= nandabe =======
  • by keybordist (3572) on 2001年06月29日 16時08分 (#4387) 日記
    生徒が使うってこともあるし、校長が金庫にしまってて肝心なときに使えなかったら、本末転倒。 だいいち、侵入者の撃退なんて教師の仕事にしたら、割が合いませんよ。 ただでさえ給料安いんですから。 そういうことするんだったら、きちんと学校に警備員を入れるべきでしょうね。 夜間は警備員入れて管理してるんですから、それを日中に入れても問題ないわけですし・・・
  • 生徒がいたずらする事はあるでしょうが、
    催涙ガスで人が死ぬわけじゃなし…

    社会的コストのバランスを考えるなら、
    やはり持って良いと私は考えます。

    殺人者から殺傷能力を奪うのに適した道具だとも
    思いますし。

    『人の道』云々は、この際独立事象と考えるべきかも?

    # そういう大人にならない努力は大切だが、
    # そういう大人の暴力にどう対処するかとは別問題.

    # っていう意見が一つも出てこない /. に、ちょっと
    # 偏り感じちゃったり(^^;)
  • by Anonymous Coward on 2001年06月28日 21時58分 (#4276)
    >消火訓練と同様、「侵入者撃退訓練」なんてのも必要かもしれない。"

    その訓練って小学生には刺激が強すぎるのかも・・・。
    #精神的に・・・
    こんなニュースもあるし。
    http://channel.goo.ne.jp/news/mainichi/shakai/20010628/0628E071.html
  • by Anonymous Coward on 2001年06月29日 13時05分 (#4347)
    道徳の時間はきちんとあります.
    総合とかいう時間の中で行うようですが.

    小学校で教鞭を取っている友人連中からの話と言うか
    愚痴を聞く事が多々有りますが・・・
    問題は子供たちで無く、その「親」が最大の問題である
    場合がほとんど.
    しつけを全くされていない為、何事も我慢出来ない子供が居て、
    これは親御さんと相談しないと不味いだろうと判断して
    家庭訪問に行くと親の方は、
    「私の家では子供に自由にやらせていますので」
    「しつけは学校でしてくれるんじゃないんですか?」
    「良いじゃないそれ位!勝手にやらせろ!」等々
    自分に責任は無いと思い込んでいる親ばかりって言うのが
    実情だそうで.
    どうしようもないとは言え、手を出すと
    「そら、体罰だ!」
    「この教師は悪い教師だ!」
    「裁判に掛けろ!」等々
    事の根源に居る「親」は文句をいうだけ.
    そりゃ、教師に問題が有る場合も多々あるでしょうけど
    なんでその「親」は「養育の義務を怠った」と
    処罰されないのか不思議だよね.

    確かに教師が道徳の時間に「人の道」を説くのは
    当たり前かもしれませんけど、それ以前に「親」が
    「人の道」を説かなくてどうするのか?
    そっちの方が問題だと思いますけどね.
    皆さんはどう思われますか?
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い

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