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slashdotの記事では64MB(SIMM-72って規格だよね)になってたけど当時64MB積むってかなり大変な気がする。16MBぐらいでも動くものなのかしら。
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた486だともうちょいマシだったのかな
64MB載るマザーに16MB DIMM 4枚挿しとかマジでいろいろな意味で大変そう
Pentium クラスでも、MAX 16MB のボードなんて普通だったからな。486 で 64MB積めるっていうと、PCサーバー用とかの特殊なマシンな気がする。
IBM PS/1 Machine 2133 Model 114 - Computing History [computinghistory.org.uk]
こちらの記事をみると、IBM PS/1 2133 は最大 RAM 64MB も積めたらしい。BIOS 画面みると 486DX だし、純正メモリが馬鹿高そうだが 1993年としては割とよいスペックだったんじゃないかと。
# ちなみに OS/Warp4.0 なら 16MB でも楽勝
16MBでも楽勝というか、OS/2でPMを動かすには16MBないときついという噂が流れてそれがOS/2スタートダッシュの大きな足かせになった様な記憶がある。
ああ MS OS/2 1.x の頃の話ね。16MBないときついという噂は知らんが、当時非常に高価だったメモリを DOS と比べて潤沢に要求したのからじゃなかったか。
OS/2Warp3.0 ではかなり軽量化されて、最低 8MB あれば Workplace Shell が使えた。つーか OS/2Warp4.0 がリリースされた当時は Windows95 に惨敗した直後で、企業向けにシフトした頃なので、あなたが書いているスタートダッシュとは関係ないね。当時のガースナー会長がどうやって OS/2 を終わらせようかと考えていた時代だから。
# MS 時代の OS/2 には興味ないのでID
93年発売のFM-TOWNSII MXは486SXで最大100MB(オンボード4+32x3)積めましたし翌年以降発売の486系の後継機も最大72MB(オンバード4+32x2)が多かったのでそんな特殊で無い気がします私自身も96年頃にジャンク扱いの72pinのNp,70nsの32MBのSIMMを2枚10万近くで購入してFM-TOWNSに刺し雑誌の付録のLinux(Slackware)を突っ込んで勉強した記憶があります最終的にはFM-TOWNS II Fresh EにAm5x86と72MBとFMR用のLANカードをアダプタ噛まして刺してWindows95までいきました
FM-TOWNSが特殊と言われると返す言葉がありませんが
初代TOWNSは,メモリは最大6MBまで。CPUは80386DXですが,浮動小数点演算コプロセッサは別売りで10万円ぐらいしていました。
これでSlackwareを使ってましたが,メモリとコプロセッサがネックになって,X Windowが遅いのなんの。Xの画面になるまでに,少なくとも30分ぐらいは待っていたように思います。
やってられないので,KON上のMuleでLaTeXの原稿を書き,レポート・卒論・ゼミのLaTeX講座テキストを書いていました。
特色は,HDDを買わずに,MOディスク(128MB)にSlackwareをインストールして,MOから起動して上記の作業をしていたことぐらいかな。
それほんとにメモリの問題?MOなんて使ってたからじゃないの?386・4MBのDOS/V機でもHDDがあればけっこう普通にXは立ち上がっていたよ。
当時のMOはHDDとタメ張れるぐらいに早いよ。書き込みは遅いけど。だからOSの起動ディスクとしての使い方は出来た。もっともAT互換機のAdaptec AHA-1542使った場合。
MOが出た頃はハードディスクもPIOだったことも有り、MOが早いと言うかハードディスクが遅かったと言うか・・・しかも初代(というかほぼ全機種の)TOWNSのSCSIしばらく経ってから広まり始めたSCSI2ではなくSCSI1なので更に遅くメモリにウェイトが挟んであったので、同スペックの互換機と比較しても遅い可能性は高かったのでは?と思います
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
386sxの頃にDIMMがあったとは驚き
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メモリはないと厳しそう (スコア:2)
slashdotの記事では64MB(SIMM-72って規格だよね)になってたけど
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
16MBぐらいでも動くものなのかしら。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:0)
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
486だともうちょいマシだったのかな
64MB載るマザーに16MB DIMM 4枚挿しとか
マジでいろいろな意味で大変そう
Re: (スコア:0)
Pentium クラスでも、MAX 16MB のボードなんて普通だったからな。
486 で 64MB積めるっていうと、PCサーバー用とかの特殊なマシンな気がする。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
IBM PS/1 Machine 2133 Model 114 - Computing History [computinghistory.org.uk]
こちらの記事をみると、IBM PS/1 2133 は最大 RAM 64MB も積めたらしい。BIOS 画面みると 486DX だし、純正メモリが馬鹿高そうだが 1993年としては割とよいスペックだったんじゃないかと。
# ちなみに OS/Warp4.0 なら 16MB でも楽勝
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re: (スコア:0)
16MBでも楽勝というか、OS/2でPMを動かすには16MBないときついという噂が流れて
それがOS/2スタートダッシュの大きな足かせになった様な記憶がある。
OS/2スタートダッシュっていつの話? (スコア:1)
ああ MS OS/2 1.x の頃の話ね。16MBないときついという噂は知らんが、当時非常に高価
だったメモリを DOS と比べて潤沢に要求したのからじゃなかったか。
OS/2Warp3.0 ではかなり軽量化されて、最低 8MB あれば Workplace Shell が使えた。
つーか OS/2Warp4.0 がリリースされた当時は Windows95 に惨敗した直後で、企業向け
にシフトした頃なので、あなたが書いているスタートダッシュとは関係ないね。
当時のガースナー会長がどうやって OS/2 を終わらせようかと考えていた時代だから。
# MS 時代の OS/2 には興味ないのでID
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re: (スコア:0)
93年発売のFM-TOWNSII MXは486SXで最大100MB(オンボード4+32x3)積めましたし
翌年以降発売の486系の後継機も最大72MB(オンバード4+32x2)が多かったのでそんな特殊で無い気がします
私自身も96年頃にジャンク扱いの72pinのNp,70nsの32MBのSIMMを2枚10万近くで購入してFM-TOWNSに刺し
雑誌の付録のLinux(Slackware)を突っ込んで勉強した記憶があります
最終的にはFM-TOWNS II Fresh EにAm5x86と72MBとFMR用のLANカードをアダプタ噛まして刺してWindows95までいきました
FM-TOWNSが特殊と言われると返す言葉がありませんが
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:2)
初代TOWNSは,メモリは最大6MBまで。CPUは80386DXですが,浮動小数点演算コプロセッサは別売りで10万円ぐらいしていました。
これでSlackwareを使ってましたが,メモリとコプロセッサがネックになって,X Windowが遅いのなんの。Xの画面になるまでに,少なくとも30分ぐらいは待っていたように思います。
やってられないので,KON上のMuleでLaTeXの原稿を書き,レポート・卒論・ゼミのLaTeX講座テキストを書いていました。
特色は,HDDを買わずに,MOディスク(128MB)にSlackwareをインストールして,MOから起動して上記の作業をしていたことぐらいかな。
Re: (スコア:0)
それほんとにメモリの問題?MOなんて使ってたからじゃないの?386・4MBのDOS/V機でもHDDがあればけっこう普通にXは立ち上がっていたよ。
Re: (スコア:0)
当時のMOはHDDとタメ張れるぐらいに早いよ。書き込みは遅いけど。
だからOSの起動ディスクとしての使い方は出来た。もっともAT互換機のAdaptec AHA-1542使った場合。
Re: (スコア:0)
MOが出た頃はハードディスクもPIOだったことも有り、MOが早いと言うかハードディスクが遅かったと言うか・・・
しかも初代(というかほぼ全機種の)TOWNSのSCSIしばらく経ってから広まり始めたSCSI2ではなくSCSI1なので更に遅くメモリにウェイトが挟んであったので、同スペックの互換機と比較しても遅い可能性は高かったのでは?と思います
Re: (スコア:0)
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
386sxの頃にDIMMがあったとは驚き