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slashdotの記事では64MB(SIMM-72って規格だよね)になってたけど当時64MB積むってかなり大変な気がする。16MBぐらいでも動くものなのかしら。
64Mbyte ってすごい大容量に聞こえるんですが・・
初めて Windows3.1 を PC-98(286マシン + Cyrix486) で動かした時って10Mbyte でした。 2Mbyte の EMSメモリが1~2万円くらいはして。(まぁ、当時の Windowsって ただの Windowマネージャみたいなものですが)
そう思うとLinuxですら今は 64Mbyteも必要なのかと。
当時だと K-ON + muleなら 4MBとかじゃなかったっけ。X使っても8MB - 16MBもあれば十分みたいな。
#いかん、一瞬4"GB"って書きそうになったw
emacsが、Lispのリストを省メモリに表現するための小手先の技として、「32bit前提なポインタ変数の上位8bitを別の目的に流用しているため、残りの24bit=16MBまでのメモリしか扱うことができない」ようなプログラムだった時代ですね。
>32bit前提なポインタ変数の上位8bitを別の目的に流用しているこれは68000上のLisp実装の話でEmacsには限らなかった記憶があるんだが
♯アドレスレジスタは32ビットで演算、バスには24ビット分出力(LSBは直接は出てこない)♯上位8ビット分はついて回るんでタグとして利用♯省メモリより高速化目的だったかと
Macでも初期は同じことやってて後で困ってたなあ。Mode32というサードパーティのパッチが出たりして。
いや30pinSIMMかな。8bit幅なので4個一緒。ペンティアムからバス幅64bitになって72pinSIMMになった。メモリチャンネルあたり2つ以上のモジュール積めたから、スロットは8あると思う。16MB SIMMなんてよく手に入れたものだ。メモリバスも遅かったから引き回してまとめてスロットがあった。カーネルを小規模システム向けにコンパイルする必要があるから、Gentooなのかな。なお、当時のLinuxは0.9
ああ、この機種は72pinSIMMですね。BIOS画面見る限り64MBでスロット2つですね。それで32MBSIMM手に入りやすかったのだと思います。ローカルキャッシュらしきランドがある。高級機だぁAMD5x86に換装しているぽい。
AMD5x86に換装しているぽい。
あら。じゃあ、看板に偽りありっていう感じですね。
1993年当時のSIMMって16MBはかなりレアというか、最上位クラスだったのではないかと思います。(単に自分で買えなくて視界外だけだったかもしれないけど)95年ころでも、8MBのSIMMを1枚4万円くらいでドスパラで買ったと記憶しています。
と書いていて思ったのですが、メモリは1993年に一緒に買い揃えたものとは限らないですね。「見つけたPCに、探し出してきた16MBのSIMM×6を追加してみた」ってあたりが妥当な線ではないかと。で、SIMMはPentium時代にバカスカ安くなっていったので、そのころのものではないかなぁと妄想。
ミスリード32MB×2って書いてましたね。
> ミスリード
mislead:1a 〈人を〉誤解させる,迷わせる; 欺く.2 〈人を〉誤って導く[案内する].
l用に新しいカナ作ったら良いかもとはいえめんどうなのでら゜り゜る゜れ゜ろ゜で良いか
ミスリードじゃなくてミスリ゜ードですよ とか
misread [weblio.jp]
1…を読み違える,誤読する2…を誤解する
失礼しました。
つまり#3342514は、ミスリードをミスリードしてミスリードしたわけですね。けしからん。
95年発売のPC9821Xa9(Pentium 90MHz、標準メモリ8MB)に16MBのDIMMを2枚さして40MBで使っていたな。「あの」トライサルで1枚27000円くらいで買った記憶がある。(メモリを買ったのは96年かな?)
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた486だともうちょいマシだったのかな
64MB載るマザーに16MB DIMM 4枚挿しとかマジでいろいろな意味で大変そう
Pentium クラスでも、MAX 16MB のボードなんて普通だったからな。486 で 64MB積めるっていうと、PCサーバー用とかの特殊なマシンな気がする。
IBM PS/1 Machine 2133 Model 114 - Computing History [computinghistory.org.uk]
こちらの記事をみると、IBM PS/1 2133 は最大 RAM 64MB も積めたらしい。BIOS 画面みると 486DX だし、純正メモリが馬鹿高そうだが 1993年としては割とよいスペックだったんじゃないかと。
# ちなみに OS/Warp4.0 なら 16MB でも楽勝
16MBでも楽勝というか、OS/2でPMを動かすには16MBないときついという噂が流れてそれがOS/2スタートダッシュの大きな足かせになった様な記憶がある。
ああ MS OS/2 1.x の頃の話ね。16MBないときついという噂は知らんが、当時非常に高価だったメモリを DOS と比べて潤沢に要求したのからじゃなかったか。
OS/2Warp3.0 ではかなり軽量化されて、最低 8MB あれば Workplace Shell が使えた。つーか OS/2Warp4.0 がリリースされた当時は Windows95 に惨敗した直後で、企業向けにシフトした頃なので、あなたが書いているスタートダッシュとは関係ないね。当時のガースナー会長がどうやって OS/2 を終わらせようかと考えていた時代だから。
# MS 時代の OS/2 には興味ないのでID
93年発売のFM-TOWNSII MXは486SXで最大100MB(オンボード4+32x3)積めましたし翌年以降発売の486系の後継機も最大72MB(オンバード4+32x2)が多かったのでそんな特殊で無い気がします私自身も96年頃にジャンク扱いの72pinのNp,70nsの32MBのSIMMを2枚10万近くで購入してFM-TOWNSに刺し雑誌の付録のLinux(Slackware)を突っ込んで勉強した記憶があります最終的にはFM-TOWNS II Fresh EにAm5x86と72MBとFMR用のLANカードをアダプタ噛まして刺してWindows95までいきました
FM-TOWNSが特殊と言われると返す言葉がありませんが
初代TOWNSは,メモリは最大6MBまで。CPUは80386DXですが,浮動小数点演算コプロセッサは別売りで10万円ぐらいしていました。
これでSlackwareを使ってましたが,メモリとコプロセッサがネックになって,X Windowが遅いのなんの。Xの画面になるまでに,少なくとも30分ぐらいは待っていたように思います。
やってられないので,KON上のMuleでLaTeXの原稿を書き,レポート・卒論・ゼミのLaTeX講座テキストを書いていました。
特色は,HDDを買わずに,MOディスク(128MB)にSlackwareをインストールして,MOから起動して上記の作業をしていたことぐらいかな。
それほんとにメモリの問題?MOなんて使ってたからじゃないの?386・4MBのDOS/V機でもHDDがあればけっこう普通にXは立ち上がっていたよ。
当時のMOはHDDとタメ張れるぐらいに早いよ。書き込みは遅いけど。だからOSの起動ディスクとしての使い方は出来た。もっともAT互換機のAdaptec AHA-1542使った場合。
MOが出た頃はハードディスクもPIOだったことも有り、MOが早いと言うかハードディスクが遅かったと言うか・・・しかも初代(というかほぼ全機種の)TOWNSのSCSIしばらく経ってから広まり始めたSCSI2ではなくSCSI1なので更に遅くメモリにウェイトが挟んであったので、同スペックの互換機と比較しても遅い可能性は高かったのでは?と思います
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
386sxの頃にDIMMがあったとは驚き
Gentoo Linuxじゃなければ16MBで動くようなのもありそう
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メモリはないと厳しそう (スコア:2)
slashdotの記事では64MB(SIMM-72って規格だよね)になってたけど
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
16MBぐらいでも動くものなのかしら。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
64Mbyte ってすごい大容量に聞こえるんですが・・
初めて Windows3.1 を PC-98(286マシン + Cyrix486) で動かした時って
10Mbyte でした。 2Mbyte の EMSメモリが1~2万円くらいはして。
(まぁ、当時の Windowsって ただの Windowマネージャみたいなものですが)
そう思うとLinuxですら今は 64Mbyteも必要なのかと。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:2)
64MBではカーネルのビルドができなくなってましたよ。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:2)
けいおん! (スコア:0)
当時だと K-ON + muleなら 4MBとかじゃなかったっけ。
X使っても8MB - 16MBもあれば十分みたいな。
#いかん、一瞬4"GB"って書きそうになったw
Re:けいおん! (スコア:2)
emacsが、Lispのリストを省メモリに表現するための小手先の技として、「32bit前提なポインタ変数の上位8bitを別の目的に流用しているため、残りの24bit=16MBまでのメモリしか扱うことができない」ようなプログラムだった時代ですね。
Re:けいおん! (スコア:3)
>32bit前提なポインタ変数の上位8bitを別の目的に流用している
これは68000上のLisp実装の話でEmacsには限らなかった記憶があるんだが
♯アドレスレジスタは32ビットで演算、バスには24ビット分出力(LSBは直接は出てこない)
♯上位8ビット分はついて回るんでタグとして利用
♯省メモリより高速化目的だったかと
Re:けいおん! (スコア:1)
それよりも前からメインフレームの時代からある実装方法で,
IBMが31ビットアドレッシングを発表したときに大変だったはず.
Re: (スコア:0)
Macでも初期は同じことやってて後で困ってたなあ。Mode32というサードパーティのパッチが出たりして。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
いや30pinSIMMかな。8bit幅なので4個一緒。ペンティアムからバス幅64bitになって72pinSIMMになった。メモリチャンネルあたり2つ以上のモジュール積めたから、スロットは8あると思う。
16MB SIMMなんてよく手に入れたものだ。
メモリバスも遅かったから引き回してまとめてスロットがあった。
カーネルを小規模システム向けにコンパイルする必要があるから、Gentooなのかな。
なお、当時のLinuxは0.9
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
ああ、この機種は72pinSIMMですね。BIOS画面見る限り64MBでスロット2つですね。
それで32MBSIMM手に入りやすかったのだと思います。
ローカルキャッシュらしきランドがある。高級機だぁ
AMD5x86に換装しているぽい。
Re: (スコア:0)
あら。
じゃあ、看板に偽りありっていう感じですね。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
1993年当時のSIMMって16MBはかなりレアというか、最上位クラスだったのではないかと思います。
(単に自分で買えなくて視界外だけだったかもしれないけど)
95年ころでも、8MBのSIMMを1枚4万円くらいでドスパラで買ったと記憶しています。
と書いていて思ったのですが、メモリは1993年に一緒に買い揃えたものとは限らないですね。
「見つけたPCに、探し出してきた16MBのSIMM×6を追加してみた」
ってあたりが妥当な線ではないかと。
で、SIMMはPentium時代にバカスカ安くなっていったので、そのころのものではないかなぁと妄想。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
ミスリード
32MB×2って書いてましたね。
Re: (スコア:0)
> ミスリード
mislead:
1a 〈人を〉誤解させる,迷わせる; 欺く.
2 〈人を〉誤って導く[案内する].
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:2)
l用に新しいカナ作ったら良いかも
とはいえめんどうなので
ら゜り゜る゜れ゜ろ゜
で良いか
ミスリードじゃなくてミスリ゜ードですよ とか
Re: (スコア:0)
misread [weblio.jp]
1…を読み違える,誤読する
2…を誤解する
Re: (スコア:0)
失礼しました。
Re: (スコア:0)
つまり#3342514は、ミスリードをミスリードしてミスリードしたわけですね。けしからん。
Re: (スコア:0)
95年発売のPC9821Xa9(Pentium 90MHz、標準メモリ8MB)に16MBのDIMMを2枚さして40MBで使っていたな。
「あの」トライサルで1枚27000円くらいで買った記憶がある。(メモリを買ったのは96年かな?)
Re: (スコア:0)
当時64MB積むってかなり大変な気がする。
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
486だともうちょいマシだったのかな
64MB載るマザーに16MB DIMM 4枚挿しとか
マジでいろいろな意味で大変そう
Re: (スコア:0)
Pentium クラスでも、MAX 16MB のボードなんて普通だったからな。
486 で 64MB積めるっていうと、PCサーバー用とかの特殊なマシンな気がする。
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:1)
IBM PS/1 Machine 2133 Model 114 - Computing History [computinghistory.org.uk]
こちらの記事をみると、IBM PS/1 2133 は最大 RAM 64MB も積めたらしい。BIOS 画面みると 486DX だし、純正メモリが馬鹿高そうだが 1993年としては割とよいスペックだったんじゃないかと。
# ちなみに OS/Warp4.0 なら 16MB でも楽勝
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re: (スコア:0)
16MBでも楽勝というか、OS/2でPMを動かすには16MBないときついという噂が流れて
それがOS/2スタートダッシュの大きな足かせになった様な記憶がある。
OS/2スタートダッシュっていつの話? (スコア:1)
ああ MS OS/2 1.x の頃の話ね。16MBないときついという噂は知らんが、当時非常に高価
だったメモリを DOS と比べて潤沢に要求したのからじゃなかったか。
OS/2Warp3.0 ではかなり軽量化されて、最低 8MB あれば Workplace Shell が使えた。
つーか OS/2Warp4.0 がリリースされた当時は Windows95 に惨敗した直後で、企業向け
にシフトした頃なので、あなたが書いているスタートダッシュとは関係ないね。
当時のガースナー会長がどうやって OS/2 を終わらせようかと考えていた時代だから。
# MS 時代の OS/2 には興味ないのでID
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re: (スコア:0)
93年発売のFM-TOWNSII MXは486SXで最大100MB(オンボード4+32x3)積めましたし
翌年以降発売の486系の後継機も最大72MB(オンバード4+32x2)が多かったのでそんな特殊で無い気がします
私自身も96年頃にジャンク扱いの72pinのNp,70nsの32MBのSIMMを2枚10万近くで購入してFM-TOWNSに刺し
雑誌の付録のLinux(Slackware)を突っ込んで勉強した記憶があります
最終的にはFM-TOWNS II Fresh EにAm5x86と72MBとFMR用のLANカードをアダプタ噛まして刺してWindows95までいきました
FM-TOWNSが特殊と言われると返す言葉がありませんが
Re:メモリはないと厳しそう (スコア:2)
初代TOWNSは,メモリは最大6MBまで。CPUは80386DXですが,浮動小数点演算コプロセッサは別売りで10万円ぐらいしていました。
これでSlackwareを使ってましたが,メモリとコプロセッサがネックになって,X Windowが遅いのなんの。Xの画面になるまでに,少なくとも30分ぐらいは待っていたように思います。
やってられないので,KON上のMuleでLaTeXの原稿を書き,レポート・卒論・ゼミのLaTeX講座テキストを書いていました。
特色は,HDDを買わずに,MOディスク(128MB)にSlackwareをインストールして,MOから起動して上記の作業をしていたことぐらいかな。
Re: (スコア:0)
それほんとにメモリの問題?MOなんて使ってたからじゃないの?386・4MBのDOS/V機でもHDDがあればけっこう普通にXは立ち上がっていたよ。
Re: (スコア:0)
当時のMOはHDDとタメ張れるぐらいに早いよ。書き込みは遅いけど。
だからOSの起動ディスクとしての使い方は出来た。もっともAT互換機のAdaptec AHA-1542使った場合。
Re: (スコア:0)
MOが出た頃はハードディスクもPIOだったことも有り、MOが早いと言うかハードディスクが遅かったと言うか・・・
しかも初代(というかほぼ全機種の)TOWNSのSCSIしばらく経ってから広まり始めたSCSI2ではなくSCSI1なので更に遅くメモリにウェイトが挟んであったので、同スペックの互換機と比較しても遅い可能性は高かったのでは?と思います
Re: (スコア:0)
386sxの頃で1MBのDIMMが1万円くらいしてた
386sxの頃にDIMMがあったとは驚き
Re: (スコア:0)
Gentoo Linuxじゃなければ16MBで動くようなのもありそう