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学校教育に「読書の時間」を」記事へのコメント

  • 少なくとも、「平成14年度における一ヶ月の平均読書冊数は、小学校で 7.5 冊であるのに対し、中学校で 2.5 冊、高等学校では 1.5冊という結果が出ている」および、「一ヶ月に一冊も本を読まなかった者の割合は、小学校では 8.9% にすぎないのに対して、中学校では 32.8%、高等学校では実に 56.0% に達している」(p6) から導
    • >現在の国語教育は本を好む子供を作りだしてはいない

       …という結論は飛躍しすぎでは?
       私に言わせれば、学校現場における国語教育が子供の生育に与える影響など、さほど大きくはない、と思います。むしろ周辺環境に寄るところが大きいかと。

       さて、某公立高校国語教員のワタクシが以前生徒200名弱に行った調査(うちはいわゆる「底辺校」)で、読書傾向の低い生徒の生育歴を辿ってみると、むしろ本との関わりはせいぜい小学校低学年ぐらいまでの言語体験に関わる方が大きいような気がしますよ。あくまでごく少数のデータの上に立つ推測の部分が大きいですが。

       小学校までに本を読む習慣(というほどでもないか)を身につけている生徒は、大概ずっと本好きであり、その生徒の様態は様々で中学校や高校での国語の授業の好き嫌い・成績ともあまり関係ない。

       一方、就学以前~小学校低学年にかけて読書をほとんどしていない生徒は年長者に読み聞かせてもらった経験に乏しい。そして高校生になっても書かれたものを読むことに慣れていない。そして国語は例外なく嫌いでありわけわからんものである。むろん授業にも(教員の援助無しでは)ついていけない。ていうか(<こういう言葉を使ってみたり)乱暴に言えばこの手の生徒には日本語が通じない(笑)。

       さて、だんだん本を読まなくなる生徒についてですが、多くの生徒がその理由として「読みたい本がみつからないから」と回答していました。「読書が嫌いになったから」より多数でした。そして前者の生徒は国語の授業が嫌いかというと必ずしもそうでもない。「聞けば判るし、教わるのは嫌いではない」という気分が見て取れます。
       問題の「国語教育のせいで本を読まなくなった」生徒は、つまりこの後者に当たるわけですな。

       で、自分から本を読む、という行動を(少しでも)とることがある(ホント少数ですが)生徒の多くが、本好きになったきっかけに「国語の授業」を挙げていましたよ?
      私に言わせれば、あるがままに育っては得られない体験を与えるのも学校教育の意義の一つですからね。

       まあ、ひらがなが8文字以上連続すると単語の切れ目が判らなくなるような高校生を毎日見ていると、例え無理矢理にでも機会は提供したほうがましと思えてきますね。
       何しろ「やらなくてもいい」ことはまずやらないのが「学校の人々」です。

       まあ、ソースを示す気もないし、私の思想的にも立場的にも非読書人は敵ですし自己弁護もしたいので、このあたり信じるかどうかはお任せしますね。

       …入試関連業務で忙しいときにこんな問答にはまってる場合じゃないんだよう。
      --
      No foolery,No life.
      高城"Dunna"戎太郎
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      • 仮に本好きの子を増やしたいとしたところで、事実を直視しなければなにもはじまらないのでは。

        結果として本好きの子が少ないのは事実で、大学生も本を読んでいないわけだから本好きなんだけどたまたま読む本がない、といういいわけは通らない。小学校ではかなりの冊数の本を読ませているわけだから、子供の頃から本を読んでいないわけではない。そのうちのある程度の冊数は学校の課題図書でしょ。

        それに、読書の時間、ってのも意義が感じられない。一冊の本を読むのに要する時間を仮に二時間としましょうか (速いと思うけど)。小学校では一月に 15 時間、中学校でも一月に5時間程度は読書に時間さいているわけです。仮に読書の時間が週に一時間としましょうか。そうすると、一月5時間です。15 → 20 時間、5 → 10時間、で、一月 2.5 冊です。誰がどう見ても質的な変化の生じるような変化とはいえないでしょう。それに、普通の子はもっと読むのが遅いから、読む本の数も読書の時間の効果もこれより少なくなる。

        また、読みたい本が見つからない、ですけど、これまで別に推薦図書の紹介をさぼってきたわけではないでしょう。単に、教育界がこれまで推薦してきた本を子供が面白いと思っていないわけです。おまけに、付録であげられている本は、そういう線から外れたものではない、と言い切れますし。

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        •  事実を直視したからこそ、危惧を感じるわけで。
           本が「好き」とか「嫌い」とかじゃなくて、「本?カンケーネーヨ」(心の底から)という感じの層が増えてるんですよ、実際。

           本来「読書」とは、自ら読むべきものを選択して読む行為だと思います。そのレベルには到底達してない生徒が増えているのが現状です。あなたが言っているようなことが実際に出来た(<課題図書を読む、推薦図書の紹介に耳を傾ける、小学校でかなりの冊数の本を読む、等を本当に実行した)生徒は心配ないんですよ。
          とにかく、やってねえんだよ!小中学校の先生はやらせようとしたが、やらずにきたの。そんな生徒でも定員割れなら入学させなきゃならないの!(ハアハア)

           あなたが「意義が感じられない」と言っているのは、「九九は小学校でやったから、高校で教える必要はない」「ひらがなは小学校に上がるぐらいで覚えたはずだから大丈夫」と同じような思いこみでしかない。
           現実は…どちらもやってますが?あなた自身にはバカバカしく思えるでしょう。それはある種正しいんです。

           それから、私は推薦図書に上がっている本の善し悪しについてはまったく論じていませんので念のため。
          --
          No foolery,No life.
          高城"Dunna"戎太郎
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          • いっていることは分かるんだけど、だから読書、ってのは違うと思う。率直に言って、読書というのは、こと目的を「日本語の表現力を高める」には迂遠なやり方だと、個人的には気がしてならない。そもそもの話題は、他の国語授業をつぶして「読書の時間」を設けるということなのですから、国語力という観点から見たらすごく危うく感じられる、というのが口挟んだ意図だったんですけどね。

            今から昔を思うに、多少乱暴だけど、小中学生にはある程度の基本的な表現力を付けることに絞る、高校では技術を (例えば「理科系の作文技術」でも本多氏あたりの実践的なジャーナリズム向けの技法でもいいですけど) 教えて欲しかったような気もする。日本語の伝達がぼろぼろ、ってのは私も常日頃分かってはいるし、そこ何とかして欲しい (というのは贅沢なのは分かっているんだけど)。

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      • 多種多様な表現方法がある今日において
        どうしても読書をしなければいけないのか
        他に見るべきもの聴くべきものは沢山有る
        貴重な時間を読書の為に割くのは時代錯誤としか思えない

        " 学をなすに三要あり、志なり、勤なり、好なり "
        という言葉があるが
        好きでもない事を強制させて何が得られるのか
        また、読書が好きな子供なら万難を排しててでも読もうとする

        「この時間にはコレをしろ、アレをしてはいかん」
        と、教師が生徒を縛りたいが為の方便でしかないのではないか
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        • 「~なくてもよいではないか」
           と言う論法では何も説得できませんよ…というのは置いておいて。

           出たな、「教師はとかく生徒を縛りたがる」という盲目的な教師不信が(笑)それは誤りです。
           きっと教師の多くは生徒を出来るだけ放置しておきたいと思っています。指導の必要が無ければね。

           冗談はこれぐらいにして、私が問題にしたいのは「すべきもの」を見つけられずさまよう生徒達、そしてそれが当たり前のようになって低いレベルで推移する生徒達をどうにか出来ないか、ということですよ。
           この場合は、読書の楽しみを知らない生徒ですか。よけいなお世話?それは教育というものを論じる考え方ではありませんね。

           素朴に考えれば、読書が好きな子供にとっては授業で読書をしていればいい、というのは歓迎すべきことでは?

           つまり、指導のしかた、評価のあり方によって本来楽しいはずの読書が苦痛にならないようにせねばならぬ、これが肝要ということでしょう。 「何?イヤ?…オレ、おまえに何か質問したっけ?「本を読め」って言っただけだよな?嫌いとかイヤとか、おまえ、意味わかんねえよ」<これじゃダメだよね

           #あと、読書の他の見るべきもの、聞くべきもの、に関しても拝聴したいっス
          --
          No foolery,No life.
          高城"Dunna"戎太郎
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          • >「教師はとかく生徒を縛りたがる」という盲目的な教師不信が(笑)それは誤りです。
            >きっと教師の多くは生徒を出来るだけ放置しておきたいと思っています。

            公立の学校だと1クラス40人ぐらいだと思いますが(自分はそうでした)
            これを一人の教師で扱うのは無理があるのでは
            だからこそ
            >教師の多くは生徒を出来るだけ放置しておきたいと思っています
            でしょうし また、生徒側からしてみれば
            >「教師はとかく生徒を縛りたがる」
            と感じられるような"管理教育"になるのではないでしょうか

            >私が問題にしたいのは「すべきもの」を見つけられずさまよう生徒達、
            >そしてそれが当たり前のようになって低いレベルで推移する生徒達をどうにか出来ないか、
            >ということですよ。

            本当に「すべきもの」を見つけられずにさまよってるのでしょうか?
            あなたが見落としているだけでは?
            親コメント
            • >本当に「すべきもの」を見つけられずにさまよってるのでしょうか?
              >あなたが見落としているだけでは?

               もしそうであったならば、私としてもとても嬉しくなれるのですが。
              --
              No foolery,No life.
              高城"Dunna"戎太郎
              親コメント

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