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まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
「国語」という言い方からして古い (スコア:2)
まず、今後の時代も考えれば「国語」ではなく「日本語」でしょう。在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族は自分の言葉を公立学校で教えてもらえるようになるというなら「国語」でもいいでしょうけど、そうでないなら古臭い貧弱な人権意識しかなかった時代の発想を今だに引きずってますね。 それに古典文学ねぇ・・今や時代遅れの学問分野ですね。 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうが
Re:「国語」という言い方からして古い (スコア:1, すばらしい洞察)
古典文学なんだから古いのは当たり前かと(爆)
> 例えば、いまさら清少納言がこの場面では何を考えていたのか、これはどんな意味なのかなんて議論してもしょうがない。古い廃語を時間をかけて生徒に教えても無駄じゃないでしょうか。
そうかなぁ。「古きを訪ねて新しきを知る」じゃないですか?
あなたにとって無駄でも全員にとって無駄とは限らない。ならば、こういうものも有るのだよ、と教える価値は十分にある。無駄なことを一切教えない教育なんてつまらないことこの上ない。
> これほど沢山の本が次々に出版されては絶版になる時代に、昭和初期とか、そんな古い文学作品だけを珍重するのはおかしい。
こういう時代だからこそ、歴史の荒波に耐えて生き残ってきた作品は重要でしょう。別に昭和初期に出た作品が全て今でも残っている訳ではない。
とはいえ、どっちかというと最近は「昔(特に戦前の文学とか、体制とか)はよかった~、よかった~」という、いわゆる「のすたるじじい」がやたら多いのも事実で、そういう流れで今回の答申もでてきたのなら残念。