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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
結局何も変わらない (スコア:3, すばらしい洞察)
そもそも『コミニュケーションを成立させるための文章表現及び読解力』と『知識教養としての文学』というのは系統の異なるスキルだと思うのですが、これらを『国語』という一科目でカテゴライズしてしまう事が本当に妥当なのか、という検討が何もなされていません。
文章能力も教養も、どちらも大切なもので学校で学ばせるのはおおいに結構だと思いますが、まずそういう根本的な論議がなされない限り単なる『作文』しか出てこないでしょうね。
Re:結局何も変わらない (スコア:1)
その理由は簡単で「一科目でカテゴライズ」してなどいないからです。
『国語』は教科であり、「科目」ではありませんよ? 多くの方がご存じの通り『国語』という「教科」の中にもいくつもの「科目」があり、それぞれの目標が存在します。
たとえば高校であれば『コミニュケーションを成立させるための文章表現及び読解力』を養うための科目としては「国語表現」が独立してあるのですよ(現行の学習指導要領の場合)。
『知識教養としての文学』を特に重視する科目としては、「古典講読」がありますが、現在この科目を教育課程に入れている学校はあまり多くありません。
そういったことも含めて、不足を感じたんでしょうかねえ、審議委員のセンセー方は。
実際、古典学習で味わいや面白さが判るぐらいまでじっくりやろうと思うと、授業の時間は全然足りないんですけれどね。(古典学習の要不要は別の話です)
むしろあなたの方が「学校国語」という一言でカテゴライズしてしまっているように思われます。
No foolery,No life.
高城"Dunna"戎太郎