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他人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
#自分の前を走っている車が無いってことが何を意味するのか考えてくれ。#自分の前を歩いている人がいないってことが何を意味するのか考えてくれ。
> 他人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
どちらの意味にも取れますね。
GPLなソフトを書いた人は、自分の書いたソフト(「俺のもの」)に自由なライセンスを設定する権利がある。それを使おうとする他人は、そのライセンスに従う必要があり、それが嫌なら使わなければいい。それを、「GPLソフトをパクりたい、でもライセンスに従いたくない」(他人のものを俺のものにしたい)と考える人がいる。
一方、GPLなソフトを使う(ソースコードを流用する)とき、別のソースコードとまぜてひとつのソフトを仕上げたいとき、GPLは、別のソースコード(GPLなソフトから見て「他人のもの」)にGPLの適用を要求する(俺のものにする)。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
拡大解釈 (スコア:0)
他人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
#自分の前を走っている車が無いってことが何を意味するのか考えてくれ。
#自分の前を歩いている人がいないってことが何を意味するのか考えてくれ。
Re:拡大解釈 (スコア:0)
> 他人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
どちらの意味にも取れますね。
GPLなソフトを書いた人は、自分の書いたソフト(「俺のもの」)に自由なライセンスを設定する権利がある。
それを使おうとする他人は、そのライセンスに従う必要があり、それが嫌なら使わなければいい。
それを、「GPLソフトをパクりたい、でもライセンスに従いたくない」(他人のものを俺のものにしたい)
と考える人がいる。
一方、GPLなソフトを使う(ソースコードを流用する)とき、別のソースコードとまぜてひとつのソフトを
仕上げたいとき、GPLは、別のソースコード(GPLなソフトから見て「他人のもの」)にGPLの適用を
要求する(俺のものにする)。