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なんでもかんでも、ほら、簡単だよ、難しくないでしょ、という教え方を止めるべきだと思う。貴方達の習っていることは、長い時間、幾人もの天才の成果です、滅茶苦茶難しいことです、って教え方も有用だと思うんだけどな。
それで微分積分を理解した気になっていたんだが、積分を使って立体の体積を求める問題に出会って初めて、全然理解していなかったことに気付いた。積分って曲線の面積を求めるものじゃないじゃん。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
量とか配置をいじるりも (スコア:5, すばらしい洞察)
その意味で網羅的課目は歓迎するところだが中身が相変わらず細切れじゃ意味がないなー。
繋がりがあるというのは例えば歴史なら昔ゆうきまさみ氏が提唱してた「現代から始めて因果関係を軸に時間を遡って教える」みたいなのとか、数学なら「三角関数から微積分、指数、虚数、オイラーの公式までをその意味を中心に中一あたりで大雑把にやっておく」とか、英語なら「スープは『食う』」とか「コジツケてでも主語が必要」みたいに概念の違いとセットにするとかみたいに、要は全体像を掴めるもの。
で、現在の無茶苦茶なカリキュラムを決めてる連中はそういう学習順序の概念みたいなものがブッ壊れてるとしか思えないわけだが...某アニメじゃないけど、フェルマーの最終定理を「美しい」と力説する数学教師が糞カリキュラムを押しつけられてる。というのはありそうな話。ヲレ自身の(生徒サイドの)経験で言うと課外であろうとカリキュラム外の事を教えるのは立場的に微妙だったはずだし...どうなることやら。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:5, 興味深い)
なんでもかんでも、ほら、簡単だよ、難しくないでしょ、という教え方を止めるべきだと思う。
教科書の微分、積分の説明はわかりやすかったし、先生の説明も簡単丁寧で理解しやすかった。
実際に公式は簡単だし、それを使って問題集を解くことも出来るようになった。
それで微分積分を理解した気になっていたんだが、
積分を使って立体の体積を求める問題に出会って初めて、全然理解していなかったことに気付いた。
積分って曲線の面積を求めるものじゃないじゃん。
高校は文系だったので数Ⅱ・Bまでしか習ってないし、理系だとまた違うのかもしれないけど。
貴方達の習っていることは、長い時間、幾人もの天才の成果です、滅茶苦茶難しいことです、
って教え方も有用だと思うんだけどな。
下から長い時間をかけて積み上げていったものを、上から見下ろしても理解できねえよ。
Re:量とか配置をいじるりも (スコア:0)
特に自然科学の成果って(基本的には)発見された当時ではすごく難しいものだが、長い年月を経た現在からみたら「簡単だよ、難しくない」ものなんですよね。そういう意味では全面的に賛同できません。
しかも、貴方の論は
つまり、積分の概念がわかったつもりになったけど「全然理解していなかったことに気付いた」からということ? つまり「先生は簡単だっていってたけど、難しいじゃん、だったら簡単って言うな。難しいと言っとけ。」っていうのが根底にあるわけでしょ。なんか後ろ向きの議論だという感じが否めません。
ここから本論。
あなた一人がスラドで書く程度ならどうでもいいんですが、どうも政府が著名人を呼んでやってる(た?)教育再生会議なんかでも自分の学生時代の怨念が根底にありそうな主張がちらほらあることに嫌気がさしますね。「数学難しかったら、『数学は簡単』っていうな」なんて“提言”も今後でてくるかもしれませんね。