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「生徒が運営する講習会」で「ゆとり教育」の有効活用」記事へのコメント

  • by libitina (23445) on 2005年02月13日 17時15分 (#693123)
    土曜が休みになってもその分、塾やらが入るわけで、逆に塾とかに行かないのとは差が開く一方で二極化が進んでないか?
    むしろ問題に思うのは、問題集を解くことしかできなくて、自分で解法を捜そうとする人が減ったこと。何かする前に人に聞いて確認取るとか、失敗を恐れて最初から行動しないとか・・・
    失敗できるうちに失敗して、失敗から学ぶ方が何倍も身につくと思うんだがなぁ・・・

    #ようやくプロジェクトが開けたので今は「ゆとり」よりも「休み」が欲しい。
    • by Anonymous Coward on 2005年02月14日 0時47分 (#693283)
      > むしろ問題に思うのは、問題集を解くことしかできなくて、自分で解法を捜そうとする人が減ったこと

      更に大事なのは自分で問題を探す能力かと。
      親コメント
      • >更に大事なのは自分で問題を探す能力かと。

        更に更に問題なのは、自分を探す能力かと(w
        • by Anonymous Coward on 2005年02月14日 18時31分 (#693584)
          > 更に更に問題なのは、自分を探す能力かと(w

          注意していただきたいのは、「本当の自分」探しを決してしてはならないということですね。
          本当の自分を探してしまうと、何をしていても「もっと他にあるはず」となってしまいます。
          「成りたい自分」に向かって努力することに注力してください。
          親コメント
    • びんぼー人に必要な教育はその程度、というのがゆとり教育です。
      # ゆとり教育を推進したのはたぶん余裕のある人であろう。
      • 自発的な学問にはそんなにコストはかからないんじゃないかと思う。なので、貧富の差より親が学問に意義を感じてて、それを伝えられるかどうかにかかってくるかも。収入との相関もあるんだろうけど。
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        • by HEEP's Gypsy (20069) on 2005年02月14日 2時32分 (#693322)

          >自発的な学問にはそんなにコストはかからないんじゃないかと思う。

           ここらへんのことは、東大・苅谷剛彦氏や教育社会学方面でしばしば触れられています。。
          端的に言ってしまうと、低収入=対学習低意欲がほぼ成り立ってると。
          学習に限らず演芸や美術館通い等の文化活動頻度も大きく差が出てきます。

           結局、親に相応の経済的バックボーンがあって始めて、 本(ライトノベル等の娯楽本は含まない)や博物館への出費を厭わなくなるわけで。

          #「ゆとり教育」による二極化が指摘する所もここに行き着き、
          #皆塾に通うからといっても塾費用が家計を圧迫するような収入帯では
          #文化活動費は捻出できないわけで、結局差異は変わっていないことになるわけです。

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          • | 端的に言ってしまうと、低収入=対学習低意欲がほぼ成り立ってると。

            物凄い勢いで激しく同意。
            「ゆとり教育」は義務教育の形骸化を招き、公立学校が事実上使えない場になってしまった。
            真っ当な知識と思考力を子供に与えようと思うなら、潤沢な教育費用を用意して私立に通わせ、塾に行かせなければならない。
            貧富の差が教育レベルの差を生み出し、それは子供の社会的行動のベースになる判断力の差にも結び付く。
            ここ最近の凶悪な少年犯罪とゆとり教育は、決して無関係ではないと思う。

            受験戦争などと言われていた頃の方がまだ良かった。
            結局社会に出りゃ生存競争なんだから、その為に必要な知識や思考能力を付けておくのは必然。
            義務教育を決して軽視してはいけない、と思います。
            親コメント
        • >自発的な学問にはそんなにコストはかからないんじゃないかと思う。
          >なので、貧富の差より親が学問に意義を感じてて、それを伝えられ
          >るかどうかにかかってくるかも。収入との相関もあるんだろうけど。

          あー。
          学問についてはその通りなんだろけど、問題は、
          生徒らが習得しないとならない(義務という意味じゃなく、しないと将来貧乏になっちゃう)のは
          学問ではなくて(^^;ジュケンベンキョーである(らしい)、ってのが問題なわけだよね。

          しかも、ジュケンベンキョーの習得のほうには
          お金が必要である(という構図が作られちゃってる)、と。

          ところで、日本は一頃よりは受験戦争が凄くなくなったと聞いてるんだけど、
          それでも相変わらず、受験勉強の量(藁)とその後の収入には、正の相関があるんでしょうか?

          #よくわかんないけど、ただ、こないだのNHKのフリーター工場労働哀歌(?)番組を見ると、
          #すごく「貧富の差」という概念が不安が心配になったんでG7
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          • > しかも、ジュケンベンキョーの習得のほうには
            > お金が必要である(という構図が作られちゃってる)、と。

            本当にそうですか?
            塾に行ったり、家庭教師を雇ったりと「お金を掛ける方法」もいろいろあるけれど、わざわざそんなにお金を掛けなくても数冊の参考書代程度の「お金を掛けない方法」もあるし、前者が優れた方法だということもないと思います。
            あと、どこの学校でもやってるのかは知らないですが私の母校の公立高校では、希望者を募って受験対策向けの講座を無料でやっていましたし、塾的なものもお金が掛かるとは限らないと思います。
            # 講座に興味はなかったですが、好きな女の子が参加していたので
            # その講座に参加していました(笑)

            「お金を掛ける方法」は、親が勉強させてる気分になって安心するという効果が高い為に人気なだけではないでしょうか?
            親コメント
            • by Anonymous Coward on 2005年02月14日 14時01分 (#693484)
              一般論として、収入が多いほうが勉強しやすいのは否定できません。
              特に進学校は私立だけの地方だと、シンドいかもしれません。

              でも、北海道だと進学校が公立ばかりなので、貧乏でもなんとかなります。図書館は無料ですから、本ならいくらでも読めますし。
              国立大学に進学して、親の収入証明出したら3年半ずっと授業料免除してくれたので、ウチはかなり貧乏だったと思います。親はそういう制度を知らずに入学金と最初の授業料は借金して出してくれたみたいですが。
              もちろん、生活保護を受けるくらいの収入で、勉強するより子供がアルバイトして生活をささえてて、参考書やノートを買うなんて無理、電気代も払えなくて、ローソクで夜をすごす、という状態だと、勉強するのはかなり困難でしょう。
              親コメント
              • >北海道だと進学校が公立ばかり

                そのかわり、地域差が大きいですよね。
                #私の生まれた町だと、進学したいなら私立の「ある特定の高校に」通ってないと厳しい状況みたいです。
                #それでも、全道のト
            • 進学塾に行かせるのは、勉強しているのが当たり前な高学歴を狙う人たちの中に放り込み、同じく染め上げることにあると思うよ。
              子供って友達に影響されやすいものだし。
    • by Anonymous Coward
      そもそも「ゆとり教育」って、日教組の連中が単に休みを増やしたいから
      言い出しただけじゃね?

      学校教育の時間が減って誰が一番になるか、よく考えてみ。
      日教組なんて文句は垂れるが楽することしか考えてないクズどもの集まり。
      まともな教育ができてない。

      何たって、「子供を躾るのは親の義務です」すら言えなくて、
      アホな親どもが「
      • 生徒の学力の低下より先生のレベルの低下が・・・
        なんつったって「公務員」というだけで教員志望するやつが多過ぎ。
        昔は給料安いけど聖職だった(もちろんろくでもないのがいたのも知ってる)。

        まじめに教えようとすると時間が足らず、足らない時間に詰め込むので理解が進まず、そして授業内容は低レベルになるので馬鹿ばっかり&できるやつも授業中は寝て塾で勉強。
        今の中学の教科書なんて私らの頃からだいぶ範囲が狭くなってて、この程度でええんかいなと思うよ。
        親コメント
        • >なんつったって「公務員」というだけで教員志望するやつが多過ぎ。
           それはそうかもしれないけど、希望者多数でポストは稀少なわけだから
          大勢の希望者の中から上澄みの優秀な人材を採り放題じゃないですか。
          それが何でレベル低下になるのかが不思議で仕方がない。
           教育学部出て教師になるのがとても難しいのが現状なんですよ。

           むかしの「でも・しか」で先生になれてた時代なら、先生のレベルも
          低かったのかもしれんが。
          親コメント
          • 「でも・しか」世代が適当に偉くなってて下が身動き取れてないんじゃないかと。
            親コメント
          • でもさ、大学で教職を選択しているのって、優秀だった?
            成績の基準があるから、試験には強そうな奴が選ばれてるけど、
            俺の中では、定期試験には強いが本番に弱いっつーか、
            一夜漬けに頼らない真の実力は無いって印象。

            教員の倍率が高いのは知ってるけど、
            下層部の上澄みを掬ってもやっぱり下層部ですからー。
          • > 教育学部出て教師になるのがとても難しいのが現状なんですよ。
            私は、学部出身の人がゆとり教育に適した指導ができるのか、
            する能力があるのか、ということを疑問に思っています。
            自分の体験として、考えることの必要性などを学部卒の人は話せるのだろうか?
            #
            • それよりもまず、院卒か学卒かで判断する時点で思考停止だと思わないかい?
              それとも「高卒は工場、中卒は死ね」ってタイプ?

              #学歴が職業を作るわけではあるまい。
              #まあ、現実のいびつな社会構造ではそうなっているわけだが。
              • by nim (10479) on 2005年02月14日 18時17分 (#693572)
                元コメントがどういう意図だったのかは私にはわかりませんが、
                大学を卒業してすぐ教員になるのではなく、何らかの社会活動をしてから教員になる
                というのは有用かもしれないと思います。

                学生→教師

                ではなく

                学生→(何かわからないけど何か)→教師

                ということですね。
                大学院には進学しなかったので、大学院生が果たして「学生」かどうかは
                わかりませんが。
                親コメント
            • >ゆとり教育は、理想は素晴らしいけど、教える教師の技量、

              とても素晴らしいとは思えない。

              確かに教師の技量の低下は問題だが、
              教師の技量に依存されすぎた教育システムは
              及第レベルの安定供給にはデメリットでしかない。

              自分が生徒だった頃を振り返ってみると、
              そこまで教師に頼ってたわけではないし。
      • >>「子供を躾るのは親の義務です」
        義務教育も親の義務なんですが。

         それはさておき、躾などという困難なことは若い両親に任せて
        上手くいくのは偶然に過ぎないと思います。
         寺、教会、等と上手く連携できればいいのですが、「宗教」=
        「カルト」のイメージからか活用する人は居ないんですねぇ。
         例えば、親が無神論者でも日曜学校に行かせても良いんじゃないかと思う
        んですが。
        #あっ、特定の宗教をお勧めする気は全然ありません。
        親コメント
      • >教育の荒廃をもたらしたのは奴等だ。

        うまくいかないことはだれかのせいにしたくなるんだよね。
        そのだれかをスケープゴートって言うんだ。資本家とかユダヤ人とかね。
        • >うまくいかないことはだれかのせいにしたくなるんだよね。

          一体、何がうまくいかなかったの?
          そんなことはどこにも書いてないでしょ。
          荒廃したとは書いてあるけど。

          >そのだれかをスケープゴートって言うんだ。

          連帯責任は無責任と同義。
          みんなで責任をかぶりましょうなんて奴は世間を知らない甘ったれだ。
          • >連帯責任は無責任と同義。
            >みんなで責任をかぶりましょうなんて奴は世間を知らない甘ったれだ。

            そのあなたは自分の名前を出して自分の発言に責任を持つわけでもなく、Anonymous Cowardの中で責任を逃れているわけですね?
            --
            ↑↑↑この線で切り取ってもうひとつジャケットを作ろう!↑↑↑
          • #693197 [srad.jp] wrote:
            > 連帯責任は無責任と同義。

            連帯責任の分まで責任回避しようとするのは無責任の極み。

            でもそういう奴のほうが世渡りは上手いんだよな。結局損するのは真面目な人ばかり。元の書き込みがそういう皮肉を込めた当てこすりだったら私の無粋なので謝る。
    • 先生が文科省の「ゆうとおり」(言う通り)にさせるのが「ゆとり教育」。
      別に生徒や先生に「ゆとり」を持ってもらおうなぞということはそもそもなかった。
      一方で教育現場では「日の丸・君が代」を処分を背景に強制されながら、「ゆとり」、「ゆーとおりに教育せよ」と言うのがこの間の流れで教師は疲弊し切ってきた。

      で、最近では、
      • 教師個人の宗教だけで卒業式妨害したりするほうが混乱の元だろ。
        • 政府の宗教だけ(^^;で卒業式進行するのも、問題なんですけど(^^;

          で、政府のほうは最近、そのへんを突っ込まれなくするために、
          憲法のほうを変えようとしているようです(T_T)

          http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050213ia01.htm
          >信教の自由(20条)については、「政教分離原則を守りつつ、国や地方自治体の地
          >鎮祭関与や玉ぐし料支出については、社会的儀礼や習俗的行事の範囲内であるとして、
          >許容する」と明記した。

          なんか、ここ数十年で
          「政府自民党が」不便を感じた点ばかりに
          パッチ当てようとしてる感じ。

          >混乱の元だろ。

          混乱という表現は、問題を的確に表現しないってゆーか、むしろ本質を隠蔽するよね。

          というのは、「どっちが」混乱させてるのか?は、
          本当は相対的な問題なんだけど、
          混乱という言葉はどうやら、どっちか一方を一方的に混乱の元と
          決めつける効果が有るようなので...
          親コメント
          • by apj (8158) on 2005年02月14日 1時13分 (#693298) 日記
            >http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050213ia01.htm
            >>信教の自由(20条)については、「政教分離原則を守りつつ、国や地方自治体の地
            >>鎮祭関与や玉ぐし料支出については、社会的儀礼や習俗的行事の範囲内であるとして、
            >>許容する」と明記した。

             こういうことを言い出す時点で立派な馬鹿が育っているってことですよね。
            その、ゆとり教育じゃない世代の方に。

             「憲法とは国家権力を制限するものである」という、憲法学の最低限の基本
            も知らない無知どもが国の中枢に居る時点で既に終わっていると思うわけだが。
            国民に何らかの規範を押しつけるものじゃないんですよ、憲法ってのは。
            親コメント
            • 自己フォロー。
              >国民に何らかの規範を押しつけるものじゃないんですよ、憲法ってのは。
              国が自己弁護するためのものでもないわいな。
              親コメント
            • >「憲法とは国家権力を制限するものである」という、憲法学の最低限の基本

              ちょっとだけ突っ込まさせてもらうと、
              憲法は「国を形成するための基本原則」であって、
              国家権力を制限するものではないです。
              (結果的にそうなるものもありますが)
              そうでないと、民法や刑法が成立できなくなる。

              行政を拘束するのが目的の法律は、
              行政法等の憲法に対する特別法群です。
              親コメント
            • > 国民に何らかの規範を押しつけるものじゃないんですよ、憲法ってのは。

              それはどうだろう?
              だって、現行憲法の中にも国民の義務は少ないながらも制定されているじゃないですか。
              その一つは、勤労の義務で、ごく道徳的な規範ではないでしょうか。

              憲法の中に国民の義務が定められているのは、極一般的です。
              親コメント
          • >政府の宗教だけ(^^;で卒業式進行するのも、問題なんですけど(^^;

            (通常の)卒業式に宗教の入る余地なんてあるんですか?
            別に、(親記事で問題になっているであろう)君が代も国旗も宗教とは関係ないはずですが……。
    • そもそも「ゆとり教育と呼ばれているもの」がいかにあやふやなものかを調べてみてください。ゆとりの是非を論じるのはそれからです。

      >失敗できるうちに失敗して、失敗から学ぶ方が何倍も身につくと思うんだがなぁ・・・

      本来ゆとり教育の目指したものはずばりコレですよ。
    • そもそも、(私立はわからんけど) 公立の指導方法は塾と比較すると効率が非常に悪い、教え方が悪いまま授業時間を削減すれば内容を削るしかなくなるから基礎学力の低下を招いている。4桁以上の計算は電卓でとか、円周率

アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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