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今よりは「警察のやっかいになりそうもない」って分だけマシかと。
>理論的思考を養うのに高等数学は必要かと。
理論的思考なんて、本来四則演算出来ればどうにかなるものですよ。 いや、もしかすると高等数学的な思考で考えるよりも四則演算的程度に考える人の方が物事を必要以上に小難しく考えない分理論的かもしれない。 実際、高等数学なんて概念の無い時代の人が別に理論的思考を持たなかったって訳でも無いですしね。
>実社会で生きてける「だけ」の人間ばかりつくってもねぇ。
ってか、「実社会で生きていける」最低限すら危うい人間が増えているのではって危惧しているだけです。
大体に置いて、人は自分の興味のあることなんか自分で学ぶもんだから、それを出来る基本だけを教えれば十分ですよ。
そう「見せる」だけで十分かと。そして、それは学校でやる必要もないことです。
私の子供の頃でも学校に1人は「怪獣博士」なる子供がおりました。 が、彼はその知識を学校で教わった訳じゃ無いです。 TVで見て興味を持ったから自ら学んだ訳です。 他にもペットボトルロケットが高じて物理を勉強し始めた子供とかの話も聞いたことがあるかと思います。 ですんで、堅苦しく「これ勉強だよ」って学校で教える必要も無いのではありませんか?
>微分積分などの高等数学から派生する分野だってかなりあるでしょうに。
割り切りだけの問題では? それを言ったら「選択科目ってのはけしからん」ともなりかねないですよ。全ての分野でそれから派生する事はあるでしょうから。
>興味のあること「しか」知らない人間なんて、良くない気がします。
「範囲を狭めては?」ってだけで、興味のあること「しか」教えるなって意味ではないのですけど。
興味がない分野についてだけでなく、興味がある分野についてもその表裏、良い面と悪い面をよく調べておくことが必要ではないでしょうか? よく電車でかぶりついて「運転士になりたい」なんていう子供がいますが、実際には鉄道職員は駅なら24時間勤務が当たり前、乗務でも泊まりは必須(特に貨物や長距離路線)という、体力のいる仕事です。そのような乗り越えなければならないハードルを一体どれくらいの人が知っているでしょうか? もしそれを知らずに就職したりしたらどうなるんでしょう?
そして、その中の目に付いたものに興味を持てば、当然学ぼうとする子もいると思われます。 例えば、飛行機を見て作りたいと思えば、それに付随した技術・学問をこなす必要が出てくるのは理解するだろうし、熱意があれば当然自分で学ぶでしょう。また、それに付随する別のものへの興味が出ることもあるでしょう。
ですから、別に国とか学校が決め付けた狭い範囲のみを限定した「その他の分野」として可能性を狭める必要性も無いかと思います。
その位なら本当の基礎をしっかりやっておいて、将来に直接繋がるようなモノを学びたくなった時の為に、学び方・考え方を身につけるのに徹底した方が、義務教育としては正しい方向だと思うのですが。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
なにを「出力」すべきか (スコア:2, 興味深い)
・加工手段において、画期的技術革新がある訳でもない。
・オギャーと産まれてくる赤ん坊なんて、それこそニュータイプでも登場
Re:なにを「出力」すべきか (スコア:1)
-- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
趣味的教科が多すぎるかも。 (スコア:1)
極論を言えば、読み書き算盤が出来れば実社会では生きていける訳で、ならばそれ以外のものを教えるってのは無駄に近い事と考える事も出来ます。
実際”微積分”なんぞ学校から出て一度も使わないって人も多いわけですし、現在との関連の薄い遥か昔の歴史なんかもそれこそ知らなくとも大して問題は無いですし。
#その割にどの学校で
Re:趣味的教科が多すぎるかも。 (スコア:1, 興味深い)
で、出来上がるのは、警察のやっかいになりそうもない(道徳)、読み書き算盤だけ出来る有能で従順な労働者っと。
理論的思考を養うのに高等数学は必要かと。
実社会で生きてける「だけ」の人間ばかりつくってもねぇ。
知識と知能は比例しない。 (スコア:1)
>読み書き算盤だけ出来 る有能で従順な労働者っと。
今よりは「警察のやっかいになりそうもない」って分だけマシかと。
>理論的思考を養うのに高等数学は必要かと。
理論的思考なんて、本来四則演算出来ればどうにかなるものですよ。
いや、もしかすると高等数学的な思考で考えるよりも四則演算的程度に考える人の方が物事を必要以上に小難しく考えない分理論的かもしれない。
実際、高等数学なんて概念の無い時代の人が別に理論的思考を持たなかったって訳でも無いですしね。
>実社会で生きてける「だけ」の人間ばかりつくってもねぇ。
ってか、「実社会で生きていける」最低限すら危うい人間が増えているのではって危惧しているだけです。
大体に置いて、人は自分の興味のあることなんか自分で学ぶもんだから、それを出来る基本だけを教えれば十分ですよ。
Re:知識と知能は比例しない。 (スコア:1)
ならば、その導入部分は見せてやらないといけないのでは?
微分積分などの高等数学から派生する分野だってかなりあるでしょうに。
それに、興味のあること「しか」知らない人間なんて、良くない気がします。
どの分野の人間でも他分野のことを知っていれば、そこから得るものもあるはず。
たとえその他分野が、全く興味のない分野だったとしてもね。
Re:知識と知能は比例しない。 (スコア:1)
そう「見せる」だけで十分かと。そして、それは学校でやる必要もないことです。
私の子供の頃でも学校に1人は「怪獣博士」なる子供がおりました。
が、彼はその知識を学校で教わった訳じゃ無いです。
TVで見て興味を持ったから自ら学んだ訳です。
他にもペットボトルロケットが高じて物理を勉強し始めた子供とかの話も聞いたことがあるかと思います。
ですんで、堅苦しく「これ勉強だよ」って学校で教える必要も無いのではありませんか?
>微分積分などの高等数学から派生する分野だってかなりあるでしょうに。
割り切りだけの問題では?
それを言ったら「選択科目ってのはけしからん」ともなりかねないですよ。全ての分野でそれから派生する事はあるでしょうから。
>興味のあること「しか」知らない人間なんて、良くない気がします。
「範囲を狭めては?」ってだけで、興味のあること「しか」教えるなって意味ではないのですけど。
興味とハードル (スコア:1)
興味がない分野についてだけでなく、興味がある分野についてもその表裏、良い面と悪い面をよく調べておくことが必要ではないでしょうか? よく電車でかぶりついて「運転士になりたい」なんていう子供がいますが、実際には鉄道職員は駅なら24時間勤務が当たり前、乗務でも泊まりは必須(特に貨物や長距離路線)という、体力のいる仕事です。そのような乗り越えなければならないハードルを一体どれくらいの人が知っているでしょうか? もしそれを知らずに就職したりしたらどうなるんでしょう?
Re:知識と知能は比例しない。 (スコア:1)
私もそう思います.リベラルアーツってやつは重要だと思うのですけど.
いまは専門馬鹿みたいに専門ばっかやってますけど,高校・大学前期課程くらいまでにもうすこしいろいろな事を見ておくべきだったとおもう次第.
少なくとも目先の勉強だけが学習や教育ではないでしょう.
高等教育までは全科目やるというのも悪くはないと思うのですが……
Re:知識と知能は比例しない。 (スコア:1)
私も教えるなとは言ってないです。
>大体に置いて、人は自分の興味のあることなんか自分で学ぶもんだから、それを出来る基本だけを教えれば十分ですよ。
と言う発言から私が思ったのは、興味のある分野は自分から学ぶけど、その他の分野は学ばなくなるんじゃないかと言う事です。でも、興味のある分野を学んでいく上で、その「その他の分野」を学ぶ事にそれなりの価値はあると思うんですよ。それに「その他の分野」を学んでいく過程で興味を持つかもしれませんし。
なので、義務教育中では範囲を狭めるのは危険かなと思うのです。
周知させる為の教育なら減らしても良いのでは? (スコア:1)
しかし、現在は昔とは異なって巷は情報に溢れています。
ですから、「学校で教えない」が即ち「知り得ない」って事には繋がらないかと。
そして、その中の目に付いたものに興味を持てば、当然学ぼうとする子もいると思われます。
例えば、飛行機を見て作りたいと思えば、それに付随した技術・学問をこなす必要が出てくるのは理解するだろうし、熱意があれば当然自分で学ぶでしょう。また、それに付随する別のものへの興味が出ることもあるでしょう。
ですから、別に国とか学校が決め付けた狭い範囲のみを限定した「その他の分野」として可能性を狭める必要性も無いかと思います。
その位なら本当の基礎をしっかりやっておいて、将来に直接繋がるようなモノを学びたくなった時の為に、学び方・考え方を身につけるのに徹底した方が、義務教育としては正しい方向だと思うのですが。