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教員のゆとりが教育内容の改善に繋がる可能性は少くないのです。公立学校の教員 から話を聞く限り、「教材研究」という本来なら第一義的仕事に時間を割けないで 苦しんでいる人は稀ではないようです。ですから教員のゆとりが増せば、授業の質 が向上する可能性はおおいにあると思います。
ただ、それを学校の営業日時と会わせる必然性は全くないのでは? 年中無休のお店の店員は休みが無いって訳ではありませんよね。要は労働者間で就労時間の調整さえ出来ればそれで良いのでは?
また、政府がいつもの様に言葉だけで何も考えてなさそうなワークシェアリングなんかの実施例としてしまうのも良いかも。 実際、児童は減少傾向にある訳ですから、将来的に教員は過剰となる事は決まったようなもの。 それなら未だ余裕がある今の内にその辺りの改善策を考えとくのも良いのではないでしょうか。
で、復活した土曜日の授業は、朝から昼迄ずっと「道徳」を希望。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
ゆとり教員 (スコア:3, 興味深い)
言われてるけど、結局の所教師を週休2日にするって意味が強くて。
そういう意味じゃ休み時間なくなっても本末転倒どころか本懐成就な
気分もあるんじゃない?特に組合員は。
親も土曜日やって欲しい、子供も土曜日も通った方がためになるし
友達とも会える。じゃあ誰が得するかって言うと教職員であると。
成
Re:ゆとり教員 (スコア:2, 興味深い)
教員のゆとりが教育内容の改善に繋がる可能性は少くないのです。公立学校の教員 から話を聞く限り、「教材研究」という本来なら第一義的仕事に時間を割けないで 苦しんでいる人は稀ではないようです。ですから教員のゆとりが増せば、授業の質 が向上する可能性はおおいにあると思います。
佐藤亮一 in Frankfurt Germany
ワークシェアリングとか (スコア:1)
ただ、それを学校の営業日時と会わせる必然性は全くないのでは?
年中無休のお店の店員は休みが無いって訳ではありませんよね。要は労働者間で就労時間の調整さえ出来ればそれで良いのでは?
また、政府がいつもの様に言葉だけで何も考えてなさそうなワークシェアリングなんかの実施例としてしまうのも良いかも。
実際、児童は減少傾向にある訳ですから、将来的に教員は過剰となる事は決まったようなもの。
それなら未だ余裕がある今の内にその辺りの改善策を考えとくのも良いのではないでしょうか。
で、復活した土曜日の授業は、朝から昼迄ずっと「道徳」を希望。