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なんでいわゆるinitまわりでそんなに熱くなってるんですか?
systemdにおける討論は、表層的にはinitの話なのですが、根っことしてはプログラムというのは小さなことをきちんとやるべき(UNIX哲学)で、それによってソフトウェアの多様性が生まれるという立場と、巨大な中央集権的なプログラムは相互運用性のために必要である(systemd)という立場の違いによって生まれています。これは単純にソフトウェア設計に対する意見の差というだけでなく、Linuxエコシステム全体に関わる問題なのです。多くの人がsystemdに対する懸念を表明する一方、メジャーなディストリビューションでsystemd導入が進んでいるのもまた事実です。
小さなことをきちんとやるは別にUnix哲学では無い。
で、initで動いてたものだが・そもそも小さくない・リンクやらなにやら使いまる・実体格納場所がしっちゃかめっちゃかという複雑怪奇なものばかり。※ディストリのはそういうのがあまりない
システムをゴチャゴチャに「汚して」「他者が触りにくくするため」にinitに拘ってる感。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
よくわからんのですが (スコア:0)
なんでいわゆるinitまわりでそんなに熱くなってるんですか?
Re: (スコア:5, 興味深い)
systemdにおける討論は、表層的にはinitの話なのですが、
根っことしてはプログラムというのは小さなことをきちんとやるべき(UNIX哲学)で、それによってソフトウェアの多様性が生まれるという立場と、
巨大な中央集権的なプログラムは相互運用性のために必要である(systemd)という立場の違いによって生まれています。
これは単純にソフトウェア設計に対する意見の差というだけでなく、Linuxエコシステム全体に関わる問題なのです。
多くの人がsystemdに対する懸念を表明する一方、メジャーなディストリビューションでsystemd導入が進んでいるのもまた事実です。
Re:よくわからんのですが (スコア:0)
小さなことをきちんとやるは別にUnix哲学では無い。
で、initで動いてたものだが
・そもそも小さくない
・リンクやらなにやら使いまる
・実体格納場所がしっちゃかめっちゃか
という複雑怪奇なものばかり。
※ディストリのはそういうのがあまりない
システムをゴチャゴチャに「汚して」「他者が触りにくくするため」にinitに拘ってる感。