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ただ単に書類を集めるような仕事ならITによって置き換え可能なのかもしれないが、 扱う情報の量がどんどん増えている昨今、 その情報の意味、意義、あるいは価値を計ろうとする場面において、 人間の頭の価値は無くなるどころか、いよいよ価値を増しているのではないか。
ITによって仕事が減っているというのは、実はその仕事は情報をコピーしたり、 単純な計算をするだけの仕事だったのではないのか。
高学歴者に求められているのは、 単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、 解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。 あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、 制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、 それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。 つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、 高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
でもね、今時の日本の大学生(世界標準で見れば高学歴者)には、Google で出てくることは答えられるけど、出てこないと「わかりません」「できません」てな輩もけっこういますから。
>高学歴者に求められているのは、単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。
それが、IT化で、少人数で済む様になりそうだってのが元の話。要は、「高度な知識が必要な単純作業」が、単なる単純作業化しつつあるって事。
>学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
実情は、かなり違う。端的に言えば、「専門馬鹿」でも、従来なら「高学歴」としての仕事が在った。で、それを可能にする人材を大学が量産して、それで高給が取れてたとの云うのが大元の記事。(但し、米国での事情)
が、ITに因って、高度な知識が必要な単純作業の需要が低下してる(様に見える)から、どうしようかね?って話。特に、これで中間クラスの収入を得ていた層の対処が社会問題だとも、元記事には在る。米国は、収入基準の階層化社会だから、階層ピラミッドの瓦解は、大問題なんだろうね。
>あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
こっちの方の「高学歴」の需要は落ちてないと思う。でも、これって、従来の「高学歴」の枠を超えた、「超高学歴」な人の作業範疇になる。
要は、IT化で学歴に要求される水準が上がってるけど、実情はそうじゃないし、容易に人の知識水準も引き上げられないのが問題だよねって事で。
> その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
ということが自動的、あるいは半自動的に行われるようになってきている、ってことじゃないかな。もちろん全てにおいてじゃないけど。
確かにそういう側面もあるでしょう。Googleで検索すれば有用な情報が上位に来ますからね。
そのような、ある種の評価関数を作るのはできるとは思うのですが、その結果と現実がどうあっているのか、あっていないのかを考察する上ではやはり人間の認識の力は必要でしょう。また「情報を要約する」というのは要するにいらないと思われる情報を切り捨てることですが、現実にある情報を取り扱う上では機械的にはできない場合が多いと思います。
少しは歴史に学ぼうよ。
今まで、「こんなに難しいことは我々人間でなければ絶対に不可能だ」と思われていた部分が、自動化されて機械に置き換えられたり、半自動化されて必要な人数が減少したり、効率化されて敷居が下がった結果、「こんなに難しいこと」に従事していた人の価値が暴落する、ってのを何度も繰り返してきてる。それがそもそもの論旨じゃないのかい?
「○○なんて難しいことは、我々人間でなければ…」うん、確かに今はそうさ。でも、産業革命前の職人たちも、自分たちの仕事をそう思っていたんだよ。明日も明後日もそうだとどうして言えるんだ?
どんなに優れた道具(機械、ロボット、あるいはコンピューター)でもそうですが、 それをどう使うのか決めるのは人間ですし、人間であるべきであると、私は思います。
同様にそれら道具で生み出された製品、あるいは情報を、どのように認識し、 どのように評価するのか、それを決めるのもやはり人間であるし、 機械にできるのは、その補助的役割だけだと思うのです。 なぜなら欲を、衝動を、感情を、意思を持つのは人間だけだからであり、 そうあるべきであると私は思うのです。
産業革命以後、確かに手工業的な産業は壊滅的なダメージを受けたかもしれません。 しかし、その一方で、大量生産では生み出せないものも好まれ、残っている側面もあります。 スイスの機械式腕時計とか、イタリアやフランスの高級服、革製品、 日本の陶器や着物もそうでしょう。 これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
もう一度このトピックに戻ると、情報産業の発達で、 ある種の(情報をコピーするだけの存在であるような)事務員の雇用は、 やはり減るでしょう。しかし、ここで言いたかったのは、 そんな仕事は、実は学歴のある(学問を修めた)人間の仕事ではないはずだ、 ということです。学問的観点から (例えば、経済学的、社会科学的、心理学的、工学的観点から)情報を分析し、 評価し、新しい情報なり製品を生み出すのが、学問を修めた人間の仕事であるはずだし、 それはITで支援はできても直接解決できる仕事ではないと思うのです。 ワープロにいくら金をつぎ込んでも美麗な文章を書けるようにはならないし、 どんなに優れたNC旋盤を持っていても、物質の物理的特性を理解せず、何が好まれるのかも理解しないでは、 ろくな製品を作れないのと一緒です。
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、 その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、 明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
総論は賛成なんですが…
人間であるべきであると、私は思います。
現状ではそうにちがいありませんが、そんな「べき」はありません。まあ、思うのは勝手なんですがね。以下同様。
これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
その通りです。が、それは結果から逆順に説明したに過ぎませんね。それに、どれだけの割合の人が、そういう職業で食っていけるんだろう、と考えると…
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
私もそう思います。が、それらの仕事は、誰にでもできるというわけではないんですよね。しかも、できない人たちの方が圧倒的多数じゃないかな?それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
「何が我々にとっての価値であるか」と書きましたが、これはトップ判断だけではなく、 組織にとっての価値を考える意味でも重要であると思います。 組織を小さく区切って行き、自分の専門領域を定めれば、 ある程度は対応可能なのではないかと思います。 つまり問いをもう少し狭くして 「我々のグループにとっての計算機的価値とは何なのか」などを しっかり問うことができれば、有用な人材たりえると思います。
それと、 高学歴者はしっかりとした問いを持ちながら進む必要はあると思いますが それ以外の人間が不要になると言っているわけではないです。 組織活動を円滑にするための活動は依然として残ると思います。
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
高学歴者に求めるもの (スコア:4, すばらしい洞察)
ただ単に書類を集めるような仕事ならITによって置き換え可能なのかもしれないが、 扱う情報の量がどんどん増えている昨今、 その情報の意味、意義、あるいは価値を計ろうとする場面において、 人間の頭の価値は無くなるどころか、いよいよ価値を増しているのではないか。
ITによって仕事が減っているというのは、実はその仕事は情報をコピーしたり、 単純な計算をするだけの仕事だったのではないのか。
高学歴者に求められているのは、 単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、 解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。 あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、 制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、 それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。 つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、 高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:1)
でもね、今時の日本の大学生(世界標準で見れば高学歴者)には、Google で出てくることは答えられるけど、出てこないと「わかりません」「できません」てな輩もけっこういますから。
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:1)
>高学歴者に求められているのは、単に情報をコピーするだけではなく、その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。
それが、IT化で、少人数で済む様になりそうだってのが元の話。
要は、「高度な知識が必要な単純作業」が、単なる単純作業化しつつあるって事。
>学問というのは現実認識の方法であり、あるひとつの客観的方法論であるはずだ。つまり一人ひとりの立場を超えた議論(で価値判断)ができるということが、高学歴者に求められるひとつの素養であると私は思うのだが....
実情は、かなり違う。
端的に言えば、「専門馬鹿」でも、従来なら「高学歴」としての仕事が在った。
で、それを可能にする人材を大学が量産して、それで高給が取れてたとの云うのが大元の記事。
(但し、米国での事情)
が、ITに因って、高度な知識が必要な単純作業の需要が低下してる(様に見える)から、どうしようかね?って話。
特に、これで中間クラスの収入を得ていた層の対処が社会問題だとも、元記事には在る。
米国は、収入基準の階層化社会だから、階層ピラミッドの瓦解は、大問題なんだろうね。
>あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
こっちの方の「高学歴」の需要は落ちてないと思う。
でも、これって、従来の「高学歴」の枠を超えた、「超高学歴」な人の作業範疇になる。
要は、IT化で学歴に要求される水準が上がってるけど、実情はそうじゃないし、容易に人の知識水準も引き上げられないのが問題だよねって事で。
-- Buy It When You Found It --
Re: (スコア:0)
> その情報を要約したり、解釈を加えたり、価値を推し量ったりすることなのではないのか。あるいは情報がどう扱われるかのシステムを把握し、制度疲労を起こしている場合にはどこをどう直すべきかを考察し、それをシステムに落とし込む能力ではないのか。
ということが自動的、あるいは半自動的に行われるようになってきている、ってことじゃないかな。
もちろん全てにおいてじゃないけど。
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:3, すばらしい洞察)
確かにそういう側面もあるでしょう。Googleで検索すれば有用な情報が上位に来ますからね。
そのような、ある種の評価関数を作るのはできるとは思うのですが、その結果と現実がどうあっているのか、あっていないのかを考察する上ではやはり人間の認識の力は必要でしょう。また「情報を要約する」というのは要するにいらないと思われる情報を切り捨てることですが、現実にある情報を取り扱う上では機械的にはできない場合が多いと思います。
Re: (スコア:0)
少しは歴史に学ぼうよ。
今まで、「こんなに難しいことは我々人間でなければ絶対に不可能だ」と思われていた部分が、
自動化されて機械に置き換えられたり、
半自動化されて必要な人数が減少したり、
効率化されて敷居が下がった結果、
「こんなに難しいこと」に従事していた人の価値が暴落する、ってのを何度も繰り返してきてる。
それがそもそもの論旨じゃないのかい?
「○○なんて難しいことは、我々人間でなければ…」
うん、確かに今はそうさ。
でも、産業革命前の職人たちも、自分たちの仕事をそう思っていたんだよ。
明日も明後日もそうだとどうして言えるんだ?
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:2)
どんなに優れた道具(機械、ロボット、あるいはコンピューター)でもそうですが、 それをどう使うのか決めるのは人間ですし、人間であるべきであると、私は思います。
同様にそれら道具で生み出された製品、あるいは情報を、どのように認識し、 どのように評価するのか、それを決めるのもやはり人間であるし、 機械にできるのは、その補助的役割だけだと思うのです。 なぜなら欲を、衝動を、感情を、意思を持つのは人間だけだからであり、 そうあるべきであると私は思うのです。
産業革命以後、確かに手工業的な産業は壊滅的なダメージを受けたかもしれません。 しかし、その一方で、大量生産では生み出せないものも好まれ、残っている側面もあります。 スイスの機械式腕時計とか、イタリアやフランスの高級服、革製品、 日本の陶器や着物もそうでしょう。 これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
もう一度このトピックに戻ると、情報産業の発達で、 ある種の(情報をコピーするだけの存在であるような)事務員の雇用は、 やはり減るでしょう。しかし、ここで言いたかったのは、 そんな仕事は、実は学歴のある(学問を修めた)人間の仕事ではないはずだ、 ということです。学問的観点から (例えば、経済学的、社会科学的、心理学的、工学的観点から)情報を分析し、 評価し、新しい情報なり製品を生み出すのが、学問を修めた人間の仕事であるはずだし、 それはITで支援はできても直接解決できる仕事ではないと思うのです。 ワープロにいくら金をつぎ込んでも美麗な文章を書けるようにはならないし、 どんなに優れたNC旋盤を持っていても、物質の物理的特性を理解せず、何が好まれるのかも理解しないでは、 ろくな製品を作れないのと一緒です。
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、 その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、 明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:1)
総論は賛成なんですが…
人間であるべきであると、私は思います。
現状ではそうにちがいありませんが、そんな「べき」はありません。まあ、思うのは勝手なんですがね。以下同様。
これらに独立した価値を我々が認める限り、何々革命が起きようが、やはり残るのです。
その通りです。
が、それは結果から逆順に説明したに過ぎませんね。
それに、どれだけの割合の人が、そういう職業で食っていけるんだろう、と考えると…
まとめると、「何が我々にとっての価値であるか」を真剣に考え、その価値を生み出せる人間は、いつの時代も需要があるし、明日も明後日もその需要が消えてしまうことはないと、私は思います。
私もそう思います。
が、それらの仕事は、誰にでもできるというわけではないんですよね。しかも、できない人たちの方が圧倒的多数じゃないかな?
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
Re:高学歴者に求めるもの (スコア:2)
それらの人達は、今後、どうやって生きていけばいいんですかね。
「何が我々にとっての価値であるか」と書きましたが、これはトップ判断だけではなく、 組織にとっての価値を考える意味でも重要であると思います。 組織を小さく区切って行き、自分の専門領域を定めれば、 ある程度は対応可能なのではないかと思います。 つまり問いをもう少し狭くして 「我々のグループにとっての計算機的価値とは何なのか」などを しっかり問うことができれば、有用な人材たりえると思います。
それと、 高学歴者はしっかりとした問いを持ちながら進む必要はあると思いますが それ以外の人間が不要になると言っているわけではないです。 組織活動を円滑にするための活動は依然として残ると思います。
Re: (スコア:0)
出てきたというか主人公だったっけ
Re: (スコア:0)
ググれで済まないことが大半で、Google等の検索エンジンを上手く使いこなせるかどうか、そして
見つかった情報が正しく価値があるのかどうかを判断するのは、結局は「何か」を探し出したいと
思った人にしか分からないから、自動化は出来ないし高学歴で知識がある人でないと判断も何を
探し出したかったのかもハッキリ出来ない。
検索が上手くない人がよくやってしまうのは、Wikipediaで正しいかどうか考えずに分かった気なること。