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教育

ノルウェーの研究者チーム、子供の安全を守りすぎる運動場に疑問を呈する 100

ストーリー by hylom
かわいい子には旅をさせろ 部門より

danceman 曰く、

運動場で遊ぶ子供を調査したノルウェーの研究者チームが、落下や事故が起きるのを恐れ、高さがあったりスピードの出る遊具を排除する安全第一主義の運動場のあり方に疑問を呈している(本家/.The New York Times記事)。

ノルウェーQueen Maud大学のEllen Sandseter教授によれば、「子供は運動場で危険と向き合い、恐怖を克服する必要がある」のだそうだ。子供が運動場で徐々に危険に立ち向かっていくのは、大人が恐怖を克服するのを助けるためにセラピストが開発されたテクニックと同様であるという。また「運動場が増々つまらなくなってきているなか、雲梯や高い滑り台は、子供が高さとスピードを味わってワクワクできる残された数少ない遊具」であるとのこと。

落下により怪我することで高所恐怖症になるのではないかという心配の声もあるようだが、落下したのが9歳以下である場合、10代になる頃には高さへの恐怖を克服できているのだそうだ。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 日本でも耳にしますが (スコア:5, すばらしい洞察)

    by kcg (26566) on 2011年07月25日 12時53分 (#1991691) ホームページ 日記

    遊具で事故が起きるとまず撤去され、そのあと過剰反応だとか、子供を守りすぎるのは良くないといった意見は日本の記事でもたびたび目にします。
    しかし、そもそも公演に大型の遊具など要らないと思うわけです。

    金属を加工した大型でテコの力がかかったり、大きな遠心力を生むような遊具は、そもそも自然界にあるものではないし、日常生活でもなかなか出会うものでもありません。
    「無茶をすると痛い目に合う」という経験を積む前に死んでしまっては無意味です。

    必要なのは「正しい遊び方」などが限定される遊具ではなく駆け回るのに十分な面積とよじ登れる木といったあたりじゃないでしょうか。

    • by Ryo.F (3896) on 2011年07月25日 13時29分 (#1991722) 日記

      金属を加工した大型でテコの力がかかったり、大きな遠心力を生むような遊具は、そもそも自然界にあるものではない

      田舎に育つとそんな感覚はありません。
      例えば、木に巻きついた蔓植物を切って作る、所謂「ターザン」なんかは、大きな遠心力を生む遊具で、自然界にあるものです。
      金属製ではありませんが、木の枝・幹を使った梃子で、河原の石をひっくり返したり、なんてこともやった覚えがあります。

      よじ登れる木

      木登りだって、下手すれば死にます。

      親コメント
      • 感覚としては、子供が自身で開発できる自然のつたを使ったターザンごっこ程度の遠心力なら高が知れてる。対して大きな遠心力でもない。
        というような認識です。
        昔公園でよく見かけた鉄製で中心軸にぶら下がるような円形の回転体をぐるぐる回して遊ぶ遊具などは
        それ自体が鉄でとても重たく重たいものにだんだん角速度を与えていくので非常にエネルギー量が高くて危険でした。
        自然のツタと自重で振り子運動するのとは格段に大きな力が働いていると思います。

        カゴ型のブランコもよく見かけましたが、ゆれ角度が高まると自然と足を挟んで鉄製の重みがテコのように足にかかり破壊力が高くて危なくほとんど撤去されました。

        子供が自分自身で開発していく場合、その開発能力自体が小さいので、段階を追って経験がつめます。
        大人が(自分では対して使わないのに9子供が楽しむだろうと適当にこしらえた鉄製の大型遊具は、
        大人の経験による常識が邪魔して、暗黙のうちにこんな使い方はしないだろうという油断が入り、結果的に子供にとって危険なものとなりがちなのではないかと思います。

        木登りは、梯子や階段の掛かった鉄製の遊具にくらべれば、まず上りにくいので自分で登れる高さまでしか行けないという制限があるため、落下死の危険性は十分少ないんじゃないだろうかと、勝手に思ってます。

        まぁ、つまり子供が自分で開発できる程度の遊びで十分なので、遊ぶことを前提とした金属の大きな遊具などをわざわざ作らなくてもいいんじゃないかという話です。
        自然界に存在している程度のものでいいと。

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        • by Ryo.F (3896) on 2011年07月25日 14時41分 (#1991774) 日記

          感覚としては、子供が自身で開発できる自然のつたを使ったターザンごっこ程度の遠心力なら高が知れてる。対して大きな遠心力でもない。

          蔓でどのくらいの半径になると思いますか?

          鉄製で中心軸にぶら下がるような円形の回転体をぐるぐる回して遊ぶ遊具

          こっちより半径は数倍大きいですよ。
          それに、高さがありますから、やっぱり落ちれば死ぬことは無いとは言えませんよ。

          大人の経験による常識が邪魔して、暗黙のうちにこんな使い方はしないだろうという油断が入り、結果的に子供にとって危険なものとなりがちなのではないかと思います。

          それはあり得ますね。
          であれば、

          木登りは、梯子や階段の掛かった鉄製の遊具にくらべれば、まず上りにくいので自分で登れる高さまでしか行けないという制限があるため、落下死の危険性は十分少ないんじゃないだろうかと、勝手に思ってます。

          これも油断の一つだ、と言うことが理解できるでしょう。高さ1mだって、打ち所が悪ければ、あるいは、直後の処置が悪ければ、死ぬときは死にます。
          子供の学習能力は高いですし。

          公園に大型遊具が必要ない、という意見は理解できなくはないです。

          ただ、自然界がどうの、と言う根拠に違和感があります。自然界には、公園の遊具より危険なものがいっぱいありますから。
          私の実家の近所にも蝮も出ますし、川で溺れるこや崖から落ちることだって無くはないです。某政令指定都市で、猪に遭って怪我をしたって話もありました。

          自然界をなめてるな、って感じです。

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          • なるほど。自然界を舐めてると言われるとそうかも知れません。
            ニュータウン建築現場育ちでどこもかしこも「危ないので入ってはいけません」という環境で育ったせいかもしれません。

            無いところに人がわざわざ遊ぶために作った物で事故に遭うよりは
            どうせ怪我をするならなるべく自然に存在するもので遊んで欲しいという気持ちももあります。

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        • by Tothwing (28827) on 2011年07月25日 17時39分 (#1991911)

          仰るようなぶら下がって回転する遊具は、私の通った小学校の校庭の事実上一年生専用となる位置に設置されていました。
          一方、田舎なのでツタを使ったターザンごっこの類も経験があります。
          たしかに、前者でしつこく禁止されていた遊び方をして指を切断する直前の怪我を負った子もいましたが、それでも尚後者の方が安全だなどとは到底言えません。

          まず、前者は子供が足の力で加速できる範囲で、しかもあれの回転部は意外と抵抗が大きいので、あまり回転速度は出ません
          しかも、地面を蹴って勢いを付ける作業が楽しい訳では無いので、誰もがすぐに足を浮かせてしまうのでなおさらです。
          そして、私の同級生のように何かあっても、それほど遠くない位置に救護の訓練を受けた大人がいる上に、救急車が乗り付けることも出来る場所です。

          対して後者は、単にツタにぶら下がるだけならどうってことは無いのですが、だいたいどの子供も木の上や岩の上など高いところから飛び降りたがります。
          位置エネルギーを速度に変換する訳ですから、かなりの速度がつく上にツタが切れない保証は何処にもありません。
          更に厄介なことに、飛び降りて振り子運動をした先に障害物が無いことを確認できるのは当人だけです。
          そして、自然の中の場合、たいてい別の木や岩などがそこら中にある訳ですから、飛び込んで安全な空間など限られています。
          目測を誤れば勢いがついたまま木や岩などに突っ込み、骨折程度の怪我をするのは必定でしょう。
          おまけに地面も全く整地されてない上に、マムシが潜んでいることもあり得る場所ですから、失明などより重篤な怪我や命に関わることも考えられます。
          そして、それはそれなりの距離を走らなければ大人がいない上に、救隊員が歩いて入るしか無い場所です。

          これで、後者の方が安全だと言えるあなたの想像力や経験の欠落自体が、タレコミの研究の正当性を示していると言えるのでは無いでしょうか?
          田舎に育った人間としては、注意深く大人が安全を確認し、或いは注意し、管理できる環境や遊具の方が圧倒的に安全です。
          子供が学び取ることは自然の中の方が多いのは間違いないと思いますが
          #私自身はかなりのインドア派だったんだけどね

          #ちなみに、回転遊具で怪我した子はどうも遊具にのぼって回転部に指を入れたらしい
          #遊具を廃止すべきという意見も出たけど、やってはいけないといったことをやって怪我した子が出たから遊具を廃止した、では教育にならないと主張して、担任が遊具を再開させた。
          #その後、少なくとも卒業するまで、その遊具で(保健室で対応できない)怪我をしたという話は聞かなかった。
          #二十数年前の話だけど、個人的には英断だと思う
          #ああいう人が多ければ、蒟蒻畑もいろいろ言われずに済んだだろうに……

          #危険といえば、絶対に泳いではならないといわれた場所も
          #かつて体育大の大学生がおぼれて死んだことさえあるといわれる場所で、助かったものは水中に引きずり込まれそうになったと口を揃えていう場所
          #もちろん、心霊現象なんかじゃ無くて、川の流れの関係で、その場所はいつも渦を巻いていて危険な場所というだけの話
          #体育大は伝聞だけど、そこで普通の大学生とか若者が溺れ死んだという話は数年に一度はテレビで見かけるし、いまでも毎年数回は捜索のヘリが飛んでる

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    • by loser(japan) (38750) on 2011年07月25日 13時10分 (#1991710) 日記
      登った我が子が落ちて怪我をした!
      公園に登り木を設置しているのが悪い!!
      そしてただの平地になった。
      本当に必要なのは親という子供の管理者の目だと思うのです。
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    • by Anonymous Coward on 2011年07月25日 14時57分 (#1991785)

      こういう議論の論点ていつも「本人が、本人の判断で、痛い目にあうか否か、それを防ぐか否か」なんだよね。
      ひいては、遊び方がすべて個にクローズしてるんだよね。

      昔は遊具を集団で扱う/集団で扱っている様を傍観する機会があって、そこから危険性の境界線の判断を得ることができたもんだよ。
      でも今は「本人が、一人で遊び、判断する」ことの議論しかなされない。
      危険性を教えるお兄さんお姉さんが不在な世の中だもの、遊具単品の危険性を論じるしかないじゃん。

      昔とは、子供同士の関係性すらも、変わってしまったんだよ。

      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2011年07月25日 14時05分 (#1991753)

      自然界に存在しないものが多量に存在する環境で生活するから、成長過程で慣れておく必要があります。

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      • 公演に設置される遊具のようなものって実際あまり日常には無いと思います。
        滑り台はまぁ非常脱出用にありますが、シーソーもブランコも公園ぐらいにしかありません。
        公園で遊ぶために公園で慣れておくというのも本末転倒なので、なくしてしまえばよいと思います。

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        • by Anonymous Coward on 2011年07月25日 15時28分 (#1991798)

          >シーソーもブランコも公園ぐらいにしかありません。

          シーソーやブランコって、遊具であるだけでなく、天秤や振り子という道具あるいは物理現象を
          身をもって体感する装置でもあると思うんだ。
          体重の違う子供がどうやってシーソーでうまく平衡をとってぎっこんばったんするかを遊びの中で
          学んでなければ、天秤の原理を理解するのはかなり難しくなるんじゃないかと思う。

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          • シーソーは二人でないと遊べません。しかも、二人の息が合わないと楽しくありません。(ココでちょっとズレるとイジメになってしまう)。
            小柄な自分はわざと大きな友達に頼んで、おしりが浮かぶ感覚を楽しんでいました(正しい遊び方ではありませんが)。
            いまの子供たちにとっては複数の子供がいないと遊べない遊具という物も重要ではないかと思っています。
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  • by NOBAX (21937) on 2011年07月25日 12時57分 (#1991695)
    江戸時代にのように、1人の女性が歩留まりを考えて、子供を5.6人くらい生む時代なら、
    成年に達するまでに多少の取りこぼしは容認されたかもしれないが、
    今は1.3人くらいしか産まないから、冒険なんてことは言っていられない。
    親が許さない時代ですよ。

    淘汰がなく、過保護で、ひ弱になるのも止むを得ない。
    • by Ryo.F (3896) on 2011年07月25日 13時31分 (#1991725) 日記

      歩留まりに加えて、養育コストだったり、損害賠償額だったりも、いろいろ絡んでくる気がするね。

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    • by s02222 (20350) on 2011年07月25日 15時00分 (#1991787)
      遊具を撤去しなかったことで、 全国で、○人が怪我をして、そのうち□人が跡が残るほどの怪我、△人は日常生活に支障の残る取り返しの付かない大けが、×人は死亡。 でも、△と×を除いた子らは、遊具無しで育った場合よりも、微妙に優れた人間になった。運動が得意になったとか、危険予知が出来るようになったとか。

      社会全体でどうしようかと言うときは、その損得のどっちが大きいかという視点で考えるべき。

      遊具でいちびってて落ちて骨折ぐらいまでしたことあるけど、うちの親は、子供は怪我するもんだよね、でほぼスルーしてた。まあ結果として、大事なかったからだけど。 どうも声の大きい人の意見に引っ張られ過ぎなような気がする。忌憚ない平均的な許容範囲ってどの辺なんだろ。
      親コメント
  • オランダでは、河や海に落ちない事を優先するより、落ちてからでも助かるようにと、水泳の授業は定期的に服を着たまま泳いだり、コンビニ袋につかまって泳いだりするんで、ヨーロッパとは日本と違うなぁと思っておったのですが。

    「水遊びっぽくて、たのしそうやん」って言ったら「泳げる子は、しんどいだけで、飽きた」って。飽きるほどやらせるんだ。

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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家

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