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>層の厚い開発者コミュニティー最初はLinus一人だったのだし、これはある程度"結果"なのではないかなぁもちろん優秀な人材が集まればさらに開発が加速 and/or 高品質化するという正のフィードバックがかかるだろうけれど
人生は運と縁
linuxが盛り上がったのはちょうどそんな時代だったからではないかな。CPUやメモリ、通信などが日進月歩の時代に、自分でいじれるおもちゃとして人気と知名度が高まっていった。GNUなどオープンなソフトも増えそれを支えた。
当時ホンモノのunixワークステーションを使っていた私はそれを使って何をするが主眼で、自分でワークステーションをPCベースで作り上げるという発想はなかったな。むしろlinuxをぱちもんと見ていた。
> 自分でワークステーションを> PCベースで作り上げるという発想はなかった
私は、386BSDが出たときは、
> それを使って何をするが主眼
という観点で、大学の研究室と同じような環境が自宅に持てるということに狂喜乱舞しましたよ。ワークステーションなんて個人で手を出せる値段じゃありませんでしたし。
#NeXT station を個人で買うような剛毅な者も…希にいましたけど…
486DX2-66MHzで、だいたいSparcStation2と同じぐらいの速度が出たので、スペック的にもあんまり負けてる感じはなかったです。後にXも動くようになってからは、本当に同じ環境が作れた…
>当時ホンモノのunixワークステーションを使っていた私はホンモノの定義ってなに?
UNIX(R)って出るやつじゃないの?
3B2かもよ。
MINIXかもよ
ここは、Apollo DOMAINといってみる。(Appleじゃ無いよ!)
ライナスっていう学生が本物のUnixをパクって自分の名前とかけてLinuxって名前になったんですよ一般常識です
哀れタンバネウム…
> 哀れタンバネウム…
名前をきちんと覚えてもらえない哀れなタネンバウム…
ハリルホジッチ日本サッカー代表監督 [kyoko-np.net]に比べればマシかも。
UNIXは今でも伏字で書く人居るけど、当初はAT&Tのベル研究所というところで生まれた。日本では商標登録できなかったけど、本国はじめ世界各国で商標として登録されていて、本物、といえばAT&TのUNIXもしくはそれをライセンスして作られたOSのことだよ。#その後いろいろあったね、SCO,カルデラ,権利が転々としてもうそんな昔話を知っているのはおっさんだけだが##ちなみに、赤本といったらAT&Tのリファレンスのことだ。CCITTの赤いのはなぜかレッドブックw
他ACで恐縮だが。
本物とは、当時のその世界に限り「ホンモノ感がびしばし出まくってるもの」だよあの時の空気感はそりゃあ一種独特のもので、もう30代以下の若造には理解できまいでも、確かにあったんだよ。私もひどく憧れた。自宅でやれたことはせいぜいZ80とかのちには8086(要するにNECのマシン)のハック程度だったがね。入手性の問題だね。
たとえば、若い世代が知ってそうなので言えば、ギリギリSunのピザボックスとかランチボックスか?これだと既に失笑が出そうだが、あれだってIIJやらBekkoameやRIMが出る前にはやっすい大学でもおける程度の価格だが個人で買うにはかなりお悩みな値段で、貫録があった。
いいか悪いかは措いて、そういうもんだったんだよ、とだけ言っておく。
BSDが訴訟されて開発が停滞してしまったのもLinuxに有利に働きましたね。
Linuxを0.96だったか0.98だったかの相当初期から使ってきた人間の感覚だと、カーネルを公表し始めた頃の(要は、タネンバウム先生との論争の前後の時期の)Linusのどんな人でもいいコードを書いたらマージしていくという、GNUですらどこまでやれていたか厳しいレベルまで徹底してオープンマインドでやっていったのが、功をそうしたんだと思うんですよね。その内、カーネルはi386なPC/AT以外でも動くようにパッチが公表されるようになり、それまでソースコードからコンパイルするしかないソフトウェアをディストリビューションとしてバイナリでまとめて配布する動きが出始めて(最初はSLS [wikipedia.org]だったかな?)、そういう動きを批判とか排除とかせずに、却って歓迎して、コミュニティを盛り上げていった訳ですよ、LinusとかAlanは勿論、その当時に参加していた開発者たちの大半が。
そういうLinusたちのオープンさ・功利主義と、80年代以降のUSENETを舞台にした(GNU以外も含めた)広義のフリーソフトウェア文化とが、上手いことシンクロしたというのが一番大きかったし、その精神の基本的な部分は、クローズドソースな配布に対する寛容さと共に、ここまで多くの開発者がLinuxカーネルやGNU/Linuxディストリビューションに集い、Linuxと言うカーネルが成功したんだと思いますよ。
ごもっとも。Linuxは正のサイクルを生み出せたことで成功したとも言える。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
コミュニティ (スコア:0)
>層の厚い開発者コミュニティー
最初はLinus一人だったのだし、これはある程度"結果"なのではないかなぁ
もちろん優秀な人材が集まればさらに開発が加速 and/or 高品質化するという正のフィードバックがかかるだろうけれど
Re:コミュニティ (スコア:1)
人生は運と縁
linuxが盛り上がったのはちょうどそんな時代だったからではないかな。
CPUやメモリ、通信などが日進月歩の時代に、自分でいじれるおもちゃとして
人気と知名度が高まっていった。
GNUなどオープンなソフトも増えそれを支えた。
当時ホンモノのunixワークステーションを使っていた私は
それを使って何をするが主眼で、自分でワークステーションを
PCベースで作り上げるという発想はなかったな。
むしろlinuxをぱちもんと見ていた。
Re:コミュニティ (スコア:1)
> 自分でワークステーションを
> PCベースで作り上げるという発想はなかった
私は、386BSDが出たときは、
> それを使って何をするが主眼
という観点で、大学の研究室と同じような環境が自宅に持てるということに狂喜乱舞しましたよ。
ワークステーションなんて個人で手を出せる値段じゃありませんでしたし。
#NeXT station を個人で買うような剛毅な者も…希にいましたけど…
486DX2-66MHzで、だいたいSparcStation2と同じぐらいの速度が出たので、
スペック的にもあんまり負けてる感じはなかったです。
後にXも動くようになってからは、本当に同じ環境が作れた…
Re: (スコア:0)
>当時ホンモノのunixワークステーションを使っていた私は
ホンモノの定義ってなに?
Re: (スコア:0)
UNIX(R)って出るやつじゃないの?
Re:コミュニティ (スコア:1)
3B2かもよ。
Re: (スコア:0)
MINIXかもよ
Re: (スコア:0)
ここは、Apollo DOMAINといってみる。(Appleじゃ無いよ!)
Re: (スコア:0)
ライナスっていう学生が本物のUnixをパクって自分の名前とかけてLinuxって名前になったんですよ
一般常識です
Re: (スコア:0)
哀れタンバネウム…
Re: (スコア:0)
> 哀れタンバネウム…
名前をきちんと覚えてもらえない哀れなタネンバウム…
Re:コミュニティ (スコア:1)
ハリルホジッチ日本サッカー代表監督 [kyoko-np.net]に比べればマシかも。
Re: (スコア:0)
UNIXは今でも伏字で書く人居るけど、当初はAT&Tのベル研究所というところで生まれた。
日本では商標登録できなかったけど、本国はじめ世界各国で商標として登録されていて、本物、といえばAT&TのUNIXもしくはそれをライセンスして作られたOSのことだよ。
#その後いろいろあったね、SCO,カルデラ,権利が転々としてもうそんな昔話を知っているのはおっさんだけだが
##ちなみに、赤本といったらAT&Tのリファレンスのことだ。CCITTの赤いのはなぜかレッドブックw
Re: (スコア:0)
他ACで恐縮だが。
本物とは、当時のその世界に限り「ホンモノ感がびしばし出まくってるもの」だよ
あの時の空気感はそりゃあ一種独特のもので、もう30代以下の若造には理解できまい
でも、確かにあったんだよ。私もひどく憧れた。自宅でやれたことはせいぜいZ80とかのちには8086(要するにNECのマシン)のハック程度だったがね。入手性の問題だね。
たとえば、若い世代が知ってそうなので言えば、ギリギリSunのピザボックスとかランチボックスか?
これだと既に失笑が出そうだが、あれだってIIJやらBekkoameやRIMが出る前にはやっすい大学でもおける程度の価格だが個人で買うにはかなりお悩みな値段で、貫録があった。
いいか悪いかは措いて、そういうもんだったんだよ、とだけ言っておく。
Re: (スコア:0)
BSDが訴訟されて開発が停滞してしまったのも
Linuxに有利に働きましたね。
オープンマインド(Re:コミュニティ (スコア:1)
Linuxを0.96だったか0.98だったかの相当初期から使ってきた人間の感覚だと、カーネルを公表し始めた頃の(要は、タネンバウム先生との論争の前後の時期の)Linusのどんな人でもいいコードを書いたらマージしていくという、GNUですらどこまでやれていたか厳しいレベルまで徹底してオープンマインドでやっていったのが、功をそうしたんだと思うんですよね。
その内、カーネルはi386なPC/AT以外でも動くようにパッチが公表されるようになり、それまでソースコードからコンパイルするしかないソフトウェアをディストリビューションとしてバイナリでまとめて配布する動きが出始めて(最初はSLS [wikipedia.org]だったかな?)、
そういう動きを批判とか排除とかせずに、却って歓迎して、コミュニティを盛り上げていった訳ですよ、LinusとかAlanは勿論、その当時に参加していた開発者たちの大半が。
そういうLinusたちのオープンさ・功利主義と、80年代以降のUSENETを舞台にした(GNU以外も含めた)広義のフリーソフトウェア文化とが、上手いことシンクロしたというのが一番大きかったし、その精神の基本的な部分は、クローズドソースな配布に対する寛容さと共に、ここまで多くの開発者がLinuxカーネルやGNU/Linuxディストリビューションに集い、Linuxと言うカーネルが成功したんだと思いますよ。
Re: (スコア:0)
ごもっとも。Linuxは正のサイクルを生み出せたことで成功したとも言える。