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今の大学院教育は将来学者となる人材を育成することを目標とした教育が行われており、修士・博士で民間に就職する人はそのコースに乗る能力がなかった人、と位置づけられているように思えます。東大の岩本康志氏がだいぶ前に「社会科学における研究大学院と専門大学院」http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/Courses/ProfessionalSchool.html [u-tokyo.ac.jp]なるエッセイを書かれていますが、学問の発展のために研究を行う人材を育成する大学院と、社会の実益に貢献するために研究を行う人材を育成する大学院はそれぞれ別の目的を有した別の組織として取り扱うのが妥当であるように自分も思います。
なお、自分は博士に進学する資金の当てがなかったため修士で就職してお金を稼いでから留学しようと思っていたために、専門大学院に相当するコースに進んだのですが、指導教官の薦めで学術振興会特別研究員に応募したところ、運良く採択されたため、今こうして学者をしています。研究大学院と専門大学院の間の壁が大きくなるとこのようなパスを辿る事が難しくなるため、大学院進学前の振り分けがより重要になるはずです。中教の答申は適正に応じた振り分けという視点を軽視し、ひとまずより上の課程に大勢を突っ込んでから何とかできるようにしようという方針に見え、適正や希望に応じた指導のあり方を真摯に考えているようには思えません。現在の日本の経済学系大学院では将来の学者としての適正は、修士論文が学術誌に採択される水準で書けるか否かでかなり見分けることができます。逆に言うと、多くの経済学教員には将来の学者としての能力を十分に見抜く能力が無く、外部の第三者の評価を通じてようやく判別ができるという事です。十分な見識がない者が作成したQualifying Examなど妥当性を持つわけが無く、国際的な学術研究との乖離がますます大きくなるだけです。既に日本の大学が十分世界の一流と呼べる水準に達している分野であればそのような制度も意味を持つでしょうが、そうではない分野には百害あって一利なしでしょう。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
研究大学院と専門大学院 (スコア:4, 興味深い)
今の大学院教育は将来学者となる人材を育成することを目標とした教育が行われており、修士・博士で民間に就職する人はそのコースに乗る能力がなかった人、と位置づけられているように思えます。
東大の岩本康志氏がだいぶ前に「社会科学における研究大学院と専門大学院」
http://www.iwamoto.e.u-tokyo.ac.jp/Courses/ProfessionalSchool.html [u-tokyo.ac.jp]
なるエッセイを書かれていますが、学問の発展のために研究を行う人材を育成する大学院と、社会の実益に貢献するために研究を行う人材を育成する大学院はそれぞれ別の目的を有した別の組織として取り扱うのが妥当であるように自分も思います。
なお、自分は博士に進学する資金の当てがなかったため修士で就職してお金を稼いでから留学しようと思っていたために、専門大学院に相当するコースに進んだのですが、指導教官の薦めで学術振興会特別研究員に応募したところ、運良く採択されたため、今こうして学者をしています。
研究大学院と専門大学院の間の壁が大きくなるとこのようなパスを辿る事が難しくなるため、大学院進学前の振り分けがより重要になるはずです。
中教の答申は適正に応じた振り分けという視点を軽視し、ひとまずより上の課程に大勢を突っ込んでから何とかできるようにしようという方針に見え、適正や希望に応じた指導のあり方を真摯に考えているようには思えません。
現在の日本の経済学系大学院では将来の学者としての適正は、修士論文が学術誌に採択される水準で書けるか否かでかなり見分けることができます。
逆に言うと、多くの経済学教員には将来の学者としての能力を十分に見抜く能力が無く、外部の第三者の評価を通じてようやく判別ができるという事です。
十分な見識がない者が作成したQualifying Examなど妥当性を持つわけが無く、国際的な学術研究との乖離がますます大きくなるだけです。
既に日本の大学が十分世界の一流と呼べる水準に達している分野であればそのような制度も意味を持つでしょうが、そうではない分野には百害あって一利なしでしょう。