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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
脳みその作り (スコア:0, フレームのもと)
女が理系に進む必要無いと思いますけど。
ただ、女性が理系職場、学校に沢山いた方が良いという願望はありますが。
Re: (スコア:2, 参考になる)
ご参考
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1077.html#more
Re: (スコア:0)
Re:脳みその作り (スコア:2, 興味深い)
この発言を女性差別と捉えるのは政治的にも一面しか見ていないと言わざるを得ない。
それはともかく、彼の発言は女性に科学者が少ないという事実は単純な事実と仮定から説明がつくということの一つ方法論を示したのみで、
正しさについては彼自身が「おそらく間違っている」と念を押しているにもかかわらず、こんなことですら政治的に弾圧されるのでは臆病な科学者は口を閉ざすしかないわな。
すぐれた女性科学者の長谷川真理子も政治的正しさの前には事実を語らざること止むなしとしているし、おれも山形浩生と同じく恐しく思う。
http://cruel.org/cyzo/cyzo200107.html [cruel.org]
ぼくはこれに賛成なんだけれど、ここはまあ議論の分かれるところだ。が、この本でぼくは本文よりも、ぼくは訳者のあとがきに強い衝撃をおぼえた。訳者の長谷川真理子は、きちんとした学者だし、リドレーが書いている内容自体については否定しない。だが、一方で彼女はそれが差別的な主張の根拠に濫用されかねないことも知っている。この板挟みになった彼女はこう主張するのだ。
「科学的事実というものには、それなりの重みがあるし、それが我々の持っている価値観と異なっている場合には、そのギャップを埋める方策を考えなければならない。そして、そうするため納得のいく方策が出せないのならば、むしろ科学的事実を明らかにしないほうがよい、という意見もあながち否定できるモノではないと私は思う」
「科学的説明を提出するときには、処方箋をも考えなければならない、と私は思うのである」
ゾッとしない? 自分の価値観にそぐわない事実は隠してもいい、と彼女は言っているわけだ。処方箋が思いつかなければ、都合の悪い事実は隠蔽すべきだ、と。長谷川真理子は、特に性に関する遺伝と進化の話では優れた仕事をしているし、彼女の言いたいこともわかる。その問題意識もわかる。わかるけれど、ぼくはこれから、長谷川真理子の書いたものをもはや今までほどは信用しないだろう。彼女が何かを隠し、事実をゆがめている可能性を排除できないだろう。
Re: (スコア:0)
理想をいえば
「その処方箋を考えるコストを、提出する人ひとりだけが負うのは、可哀想すぎる。」
んだよね。
>処方箋が思いつかなければ、都合の悪い事実は隠蔽すべきだ
たしかにそう書いてるが、
>自分の価値観にそぐわない事実は隠してもいい
(少なくとも引用した部分には)そうは書いてないと思うなあ。
自分の「能力に」そぐわない部分は隠蔽…とは書いてあると思うけど。
まあ、価値観のほうも否定はされていないから、
その可能性も有ると