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心臓が停止した時点あたりを死と考えている人の場合だと、生き返ること答えることはありえるよな。「うちの父ちゃん生き返ったことがあるよ」
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
死の定義を与えたのか (スコア:5, すばらしい洞察)
「うちの父ちゃん生き返ったことがあるよ」
あいまいな質問を与えておいて結果を良いように使うのは怪しい。
妖精哲学の三信
「だらしねぇ」という戒めの心、「歪みねぇ」という賛美の心、「仕方ない」という許容の心
Re:死の定義を与えたのか (スコア:0)
なんだかなぁ。そんなレアケースをいくつもかき集めるだけで「中学生の2割が」ってのを説明できるとでも? 厳密な定義を与えてないからといって、2割という数字は重大な結果だと思いますよ。
なんか、粗をほじくり出して、「こんなアンケート結果なかったことに」なんて気があるのかと。
蛇足だけど、中学生といえども(日本)社会の一部を構成してるんだから、厳密な定義を与えない「死ぬ」という語の共通認識を持っていてほしいと思いますよ。そうでないと友達が死にたいといってもその深刻さも理解できないことになっちゃいますから。
Re:死の定義を与えたのか (スコア:0)
死を「不可逆な機能停止状態」と定義して「定義により、生き返ることはない」と言うことは可能です。しかし、同時に、「実用上の死亡判定は、定義上の死の概念とはずれる」ということを生と死を理性的に認知している中学生なら理解していてもおかしくはありませんし、アンケート文に安直に答えるか思索の末に答えるかは回答者の自由です。正答が一つだけ用意されていて誰でもその答えに至れる、あるいは一般常識で判断できれば必ず妥当な答え一つに絞れる、といった単純な状況のみを是ととらえることのほうが幼稚な部分を含んでいると考えます。それは、対象を極度に単純化し、自らの思考まで単純化しているからです。
「医者に一度死亡判定された人が生き返ることがある」という情報ぐらいは持っている子供も多いでしょうから、「死」を実社会上の死亡判定=医者による死亡宣告と捉えれば論理的に考えて生き返ることもありうると言う選択肢もとりえます。必ずしも、そこに至るのに空想的な道筋しか考えられないわけではありません