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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
実は哲学的な設問かもしれません (スコア:3, 興味深い)
我々はこのことを知っている(あるいは知っていて当然)とみなしています.
しかし,歴史的あるいは地域的に見ると必ずしもこの“常識”は自明のことではないように思えます.
設問者,また回答者がどこまで意識しているか分かりませんが
たとえば宗教の世界では,
ゾロアスター教やユダヤ教,キリスト教,イスラム教に見られる「救世主による最後の審判」前の復活
仏教などに見られる輪廻転生,ギリシャ神話などの古代ヨーロッパ神話や神道の「よみがえり」など
「死から生」の思想はいくつもの時代,地域で見受けられます.
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:0)
土に埋めたり、焼いたり、刻んで鳥に食わせたり、ミイラにしたり・・・
普通は生きてる人間にはしない処理をしちゃいます。宗教上の建前とは別に、少なくとも肉体が死んだ際にはその復活は無いという直観に基づいているような気がします。だから死と言っても肉体の死なのか、それ以上の何かの死なのか、で区別するべきでしょうね。
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:0)
宗教の原理的処置が施されるのは手間をかけてもらえる地位を死後にまで維持できる人々に限られるのではないでしょうか。(あるいは、何か特別の事件に関わり多くの人の関心を得た死者の一部)
新興宗教や世間から隔離された宗教がおかしなことをやってしまうのは、被害を乗り越えて(表面的にでも)合理化するだけの経験を経る時間あるいは機会が限られているからでしょう。
一個人の人生においても、小さな生物の死体処置に困るといった経験はやはり必要なんでしょうね。応用と外挿も、種がないとなかなか進みませんしね。