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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
実は哲学的な設問かもしれません (スコア:3, 興味深い)
我々はこのことを知っている(あるいは知っていて当然)とみなしています.
しかし,歴史的あるいは地域的に見ると必ずしもこの“常識”は自明のことではないように思えます.
設問者,また回答者がどこまで意識しているか分かりませんが
たとえば宗教の世界では,
ゾロアスター教やユダヤ教,キリスト教,イスラム教に見られる「救世主による最後の審判」前の復活
仏教などに見られる輪廻転生,ギリシャ神話などの古代ヨーロッパ神話や神道の「よみがえり」など
「死から生」の思想はいくつもの時代,地域で見受けられます.
生死を相容れない不可逆的な反応と見るのは,宗教を克服したきわめて近代的な思想様式であり,
それ(「生き返らない」と解答するを期待すること)を自明視する「我々」もまた
科学というパラダイムに捉えられているのかもと感じます.
同様のアンケート調査を世界中で行えば,「無宗教」の日本の8割はむしろ「異常」になるように思えます.
#コメントしつつも「私」は科学の世界で生きることを選びますけどね.
#ただ,優秀な科学者ほど真理に近づきすぎるのか,宗教家になってしまう傾向もありますが...
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:0)
初期仏教とかその流れを組む(?)上座部仏教などでは
死んでも生まれ変わること自体が「苦」ではなかったでしょうか?
# 四苦八苦って言葉もあるし。
だからその「輪廻転生」の繰り返しから「解脱」するために修行するんですよね。
ってことは「死んだら終わり」な日本人たちは「異常」どころか
仏教の世界では「ブッダ」なんですよ。
つまり日本人の8割はブッダってことで「神々の国 日本」でOK?
# 生き返るんだから人は殺してもいいか?って質問も聞けばよかったのに。
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:1)
大乗仏教でもそういうことになっていますね。そして、釈迦は「もはや生まれ変わることはないと自覚した」と覚った時のことを言っています。
# つまり、「私は釈迦の生まれ変わりである」と言っている某宗教は少なくとも仏教ではない、トンデモ宗教なんですよ。
ちなみに、仏教における輪廻の概念は、いわゆる転生とは違いますんで、「生まれ変わる」という言い方をするとちょっと違うです。仏教では無我説を取りますので、「生まれ変わる」としてしまうと「生まれ変わる主体であるところの何か(キリスト教で言うところの魂?)がある」かのように思ってしまいますが、仏教では魂のようなものはないことになってますんで。
無我 (スコア:1)
「我」とは「絶対的真理・原理」の意味。
そんなわけで、「生まれ変わり」は真理でも原理でもなく、ただの迷いにすぎないわけだ。
the.ACount
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:0)
土に埋めたり、焼いたり、刻んで鳥に食わせたり、ミイラにしたり・・・
普通は生きてる人間にはしない処理をしちゃいます。宗教上の建前とは別に、少なくとも肉体が死んだ際にはその復活は無いという直観に基づいているような気がします。だから死と言っても肉体の死なのか、それ以上の何かの死なのか、で区別するべきでしょうね。
Re:実は哲学的な設問かもしれません (スコア:0)
宗教の原理的処置が施されるのは手間をかけてもらえる地位を死後にまで維持できる人々に限られるのではないでしょうか。(あるいは、何か特別の事件に関わり多くの人の関心を得た死者の一部)
新興宗教や世間から隔離された宗教がおかしなことをやってしまうのは、被害を乗り越えて(表面的にでも)合理化するだけの経験を経る時間あるいは機会が限られているからでしょう。
一個人の人生においても、小さな生物の死体処置に困るといった経験はやはり必要なんでしょうね。応用と外挿も、種がないとなかなか進みませんしね。