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日本も、特に大学などの学術研究組織も、引用はおろかしようを含めて禁止を検討すべき段階にある。
リテラシー教育にはいいんじゃないかな。悪いものから遠ざけるのは一時的に危険を回避するには良いけれど成長を妨げてしまう。最近は子供を甘やかしすぎだという批判も多い。むしろWikipedia程度でトレーニングした方が安全とは言えないかな。
Wikipediaは既に、それなりに大きな(もしかするとWikipedianが思う以上の)影響力を持ってしまっているので 「Wikipediaの内容を信用しないでください」 と、自らもっとはっきりとアピールするべきではないかと思うんだけどね
すべてのページ末尾に、
誰も信じちゃいけない、裏切られるから。私を信じないで、貴方を裏切ってしまうから。
とでも書いておくとか。
# Wikipedia は鉄い調べ物にしか使わないので AC
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
Wikipediaは信用できない (スコア:3, 興味深い)
トリビアとか、余談とか、未来の予想とか、知ってもどうしようもないことだらけで、
果てには主義主張などを持ち出してバトルする人もいる。
ソースを示せ、といわれてもソースを示さないというパターンもあるし、
方針に従って編集せよと要求された人は、その方針が間違っているなどとけちを付け出す。
10万項目ワーイワーイ、20万項目おめでとー、30万項目やったねー、と
数だけを見て喜ぶ輩もいるが、そんなのはどうでもいい。それのみで百科事典の質を決定できるのであれば、
今頃BritannicaやNipponica、Encartaなども項目数を水増しして質を
Re:Wikipediaは信用できない (スコア:1, 興味深い)
リテラシー教育にはいいんじゃないかな。悪いものから遠ざけるのは一時的に危険を回避するには良いけれど成長を妨げてしまう。最近は子供を甘やかしすぎだという批判も多い。 [srad.jp]むしろWikipedia程度でトレーニングした方が安全とは言えないかな。
Re:Wikipediaは信用できない (スコア:1, 興味深い)
「リテラシー教育のためにWikipedaが利用出来る」のは、確かにそうかもしれませんが
現状では「Wikipediaのためのリテラシー教育」が必要となってしまっているのです
なおかつ、Wikipedaはそのコストを十分に支払っていない様に見える。
それどころか、安易な「百科事典」というキーワードで、リテラシー低下さえ招いている。
Wikipediaは既に、それなりに大きな(もしかするとWikipedianが思う以上の)影響力を持ってしまっているので
「Wikipediaの内容を信用しないでください」
と、自らもっとはっきりとアピールするべきではないかと思うんだけどね
ユーザ自身が判断すべきという主張は、正しいけれども現実にはそぐわない
多くのインターネットユーザは、自分で判断するという力さえ十分に持っていないのだから
# 恐らく内容ならば比較対象にもならない2chは、この点では十分に「信用できない」顔をしている
# 皮肉にも、ユーザが過ちを犯さないという点では2chの方が優良なコンテンツかもね
Wikipediaが責められる原因は、内容の誤りや質にあるのではなくて
本質的には、ユーザの誤解を利用して拡大している様に見える点にあるのじゃないかと思うね
「誤りは修正すればよい」とか「質を高める努力をしている」という反論は、あまり意味を為さない。
中身ではなく、枠組みに問題があるんだ。
「内容に誤りがある」という意見は、即ち内容の誤りのみを指摘しているのではなく
そのようなWikipediaを百科事典という枠組みで提供する事に対する異だろう
内容の誤りを指摘している(様に見える)意見と、修正すれば良いという意見がいつも噛み合わないのは、前者は指摘手段として内容を利用しているけれど指摘の目的はその枠組みにあるからだと思う
Re:Wikipediaは信用できない (スコア:0)
すべてのページ末尾に、
とでも書いておくとか。
# Wikipedia は鉄い調べ物にしか使わないので AC