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まぁ、早い話が「単なる見世物」で終わってしまう可能性が高いんだよねぇ。 音楽の「目的」と「意味」について自分の頭で考えさせられないと、何を聴かせても所詮は無意味。
なんて毒づくコメントをする人はあまりいないと思うのに、科学の実験になるといるんですよ、不思議なくらいに。考えてもみなさいよ、仕掛けるほうが「単に驚くだけじゃ困るんだ。きちんと目的、意味を考えてくれ」なんて気持ちでやってるイベントなんて、きっと
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
理科離れと関係ないと思う (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:1)
実験の「目的」と「意味」について自分の頭で考えさせられないと、何をやらせても所詮は無意味。最初からそれが出来る人にとっては、この手の本は有益だとは思うんだけど。
子供の頃に、「卵の殻を酢で溶かす実験」の本が流行ったこともあったけど、あれも意味が分かっていないと単なるお遊び以上のものじゃないしな。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:5, すばらしい洞察)
単なる見世物ですからそれでいいんじゃないでしょうか。でも、子供に音楽を聴かせたりするときに
なんて毒づくコメントをする人はあまりいないと思うのに、科学の実験になるといるんですよ、不思議なくらいに。考えてもみなさいよ、仕掛けるほうが「単に驚くだけじゃ困るんだ。きちんと目的、意味を考えてくれ」なんて気持ちでやってるイベントなんて、きっと
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:2, すばらしい洞察)
>期待するだけで十分という気がする。
それで充分な割には、科学離れは進行していません?
この手のイベントは結構前からあった割には効果は薄い様に見えるんですよね。
>なにか「『不思議だ、へぇ、驚いた、楽しんだ』だけじゃダメなんだよ」
>という主張には、科学が人を楽しませることができるという面を否定したり、
>低く見すぎてる気がする。
と言うか、「考える」事自体に居心地悪いと思っている人間が科学に興味を持つとは思えず。「楽しむな」とは言った覚えもないし、むしろ「考える」事自体が楽しいと思うんだけど違いますかね?
実験とマジックとかの見世物を(もちろん音楽も)同軸に捉えて考えても意味無いと思うんだけどなぁ。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:5, 興味深い)
>この手のイベントは結構前からあった割には効果は薄い様に見えるんですよね。
そんなに昔からありましたか?
こういう物の効果はそれを見た小学生が大学に進む時間を考えても10年はかかるから、
その普及効果を考えると仮に20年前からこの手の実験があっても、大きな効果がまだ
出る段階ではないと思いますよ。
>と言うか、「考える」事自体に居心地悪いと思っている人間が科学に興味を持つとは思えず。
>「楽しむな」とは言った覚えもないし、むしろ「考える」事自体が楽しいと思うんだけど違いますかね?
実験を見てなぜなんだろうと思う人が出て、さらに科学に興味を持ってくれれば成功なので
最初から考えることを前提にする必要はないです。
この手の否定する意見を見て思うのは、「なぜだろう」と思わなければ考えることもないのに
「なぜだろう」と考えると一緒くたにしてしまっているので、「なぜだろう」と考える
入り口の機会を増やすことを重要視していないのだろうということです。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:0)
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:3, 興味深い)
17年前ですが、「できるかな」 [wikipedia.org]の放映終了(1990年)とか?
私は「できるかなが、日本の技術立国を支えていた」んじゃないかと半分本気で信じてます…
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:0)
理系離れが20年前から起こったとは思ってないし書いてもいません。
#ただの注意書きなのでAC
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:5, すばらしい洞察)
考えることを嫌がるってのは感覚的には理解できないけど、それはお互い様で、
考えることを嫌がる人は、考えること自体を楽しむって感覚が理解できないらしい。
これは思考に限ったことじゃなくて、たとえば権力のことばかり考える人は、
権力に興味を示さない人を理解できない。
金が好きな人は金を欲しがらない人を理解できない。
で、誰もが自分は間違ってるなんて思いたくないから、互いに相手を嫌う傾向がある。
論理的思考の嫌いな人は、自分を馬鹿だと思いたくないから、科学を軽視する。
権力者は自分が有能だから権力を手に入れたと考えるし、他の人は無能だと考える。
金が好きな人は、自分に金があるのは賢いからだと考える。
「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言える人はごくわずか。
論理的思考が他と違うのは、論理的思考の出来ない人は明らかに損をしているという事。
論理的思考が出来ても感情を失うことはないし、感情を分析することすらできるようになる。
失うものはないし、しがらみができるわけでもないし、時間や労力をとられもしない。
だから権力主義や拝金主義を人に教えるかどうかは難しいけど、
論理的思考はできるだけ多くの子供に教えるべき。
できるだけ教えるべきなんだけど、思考法は記憶させてもしょうがない。
興味を誘導し、実際に論理的思考を辿らせて慣れさせるしかない。
論理的思考の最たるものは数学だけど、数学は子供の興味を誘導するには派手さが足りない。
そこで「科学手品」「科学おもちゃ」が出てくる。
ゆえに科学手品を見せる側が「論理的思考を教えるのだ」という目的を忘れてしまえば、
科学手品はただの手品と同じになる。
ちゃんと思考を誘導して、教えてやらなきゃ意味がない。
論理的思考をする人がすべて科学者になりたがるわけではないから、
科学手品に興味を持っても科学に興味を持つとは限らない。
でも、論理的思考の出来ない人が科学を志すことに比べれば遥かに有望。
仮に科学を志さなくても、論理的思考の出来る人は、少なくとも科学を軽視したりはしない。
子供が将来何をするかは、本人が決めればいい。
でも、何をするにしても、そのときに役に立つ力を与えてあげる。
それが教育の本質なんだから。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
論理的思考が大切でも (スコア:3, すばらしい洞察)
それは、論理的思考が大切という正しい部分に覆い隠されて、
今回のストーリーから考えると明らかに間違いだと僕には思える
一方的な推論が混じっているからです。
>できるだけ教えるべきなんだけど、思考法は記憶させてもしょうがない。
>興味を誘導し、実際に論理的思考を辿らせて慣れさせるしかない。
>論理的思考の最たるものは数学だけど、数学は子供の興味を誘導するには派手さが足りない。
>そこで「科学手品」「科学おもちゃ」が出てくる。
本当に今回の実験は、論理的思考を身につけさせるための内容ではないと思いますし
いわゆる「科学手品」もそこを狙っているのではないと思います。
あくまでも科学に興味を持たせるための手法だと思います。
>ゆえに科学手品を見せる側が「論理的思考を教えるのだ」という目的を忘れてしまえば、
>科学手品はただの手品と同じになる。
>ちゃんと思考を誘導して、教えてやらなきゃ意味がない。
「科学手品」が「ただの手品」と異なるのは「論理的思考を教えるのだ」という目的があるためではなく
(直接的には論理的思考を教えるのだという目的は存在しないと考えます。)
手品の種に科学が絡んでいるため、科学に興味を持つ可能性が比較として高いからだと思います。
#くり返しになりますが論理的思考は大切だとは思っています。
Re:論理的思考が大切でも (スコア:1)
仰る通り、アンケートしたわけじゃないですから、推論も入っています。
ただ、せめて誤解を減らせればと思い補足を。
私は今回、科学手品の製作者の意図は重視していません。
製作者は教育の道具を作る人であって、教育する人そのものではないんです。
そして、製作者の視点で考えるなら、私もあなたとほぼ同意見です。
私は、科学手品を我が子に見せる親の視点で考えています。(親なので…。)
「科学手品」が「ただの手品」と異なるのは、タネが科学的であるだけではありません。
必ずタネ明かしがされて、しかもタネ明かしが面白くなくてはいけません。
普通の手品にも科学的なタネのものはありますが、あまりタネ明かしはしません。
タネ明かしをしたら、面白くなくなってしまいますからね。
そして科学手品でも、普通の手品でも、大抵の子供は手品が好きです。
無理に働きかけなくても、面白いものに興味を持たせるのは簡単です。
科学手品も、手品の手順を明かすだけでは、普通の手品のタネ明かしと同じで面白くありません。
子供に論理的思考を辿らせて、「こうなってるんだよ」「君にも作れるよ」と言ってあげる。
そこではじめて、タネ明かしが面白くなります。
実際に、科学手品は必ずタネを明かしますし、自分でもやってみましょうという演出がありますね。
科学手品の作者がどう頑張っても、実演者が手品をただ見せるだけでは無駄になってしまいます。
タネが科学的であろうと無かろうと、タネ明かしが面白くなくては、子供の興味を引くことができません。
そしてタネあかしを面白くするためには論理的思考を教える必要があるのです。
----- 傷の治療は傷より痛い -----
Re:論理的思考が大切でも (スコア:0)
「論理的思考」というのはそれ自体を教えたり学んだりするものではなく、
教科の中でも特に科学や数学を学ぶ事によって身に付くものという
前提があるのではないでしょうか。
Re:論理的思考が大切でも (スコア:1)
僕は論理的思考を教えることは大切だと思っていますが、
「科学手品」は論理的思考を教える手法としては向いていないと思います。
論理的思考を教えるにはもっと別の手法があると考えています。
だから「科学手品」が担う役割としては、論理的思考を教えることではなく
「科学手品」のタネとして科学が存在することを見せ、
科学ってこんなことも出来るのか面白いと興味を持ってもらうことが
一番重要な目的だと考えています。
そういった考えの違いがあるので、きっと違和感があったのですね。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:1, すばらしい洞察)
論理的思考ができなくても,迫力と強引さで生活していて,
「本人は幸せ」の実例がいますよ.
ただし,周囲は不幸せですね.
論理的思考を教えるのは,本人のためというよりも,
社会全体としての幸せというか最適化のために必要なことではないかと.
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:0)
論理的思考ができても、論理を無視することができなくなるわけじゃないですから。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:1)
今も昔も、子供は十分に理科に興味を持っていると実感する
理科離れ抑制に必要なのは、子供への教育では無く、
親というか、大人というか、世間というか
その辺の人間に、興味を持って貰うことが大事
でも、下のような人が圧倒的に多いし
さらに、世間に影響力のある立場にいる
>で、誰もが自分は間違ってるなんて思いたくないから、互いに相手を嫌う傾向がある。
>論理的思考の嫌いな人は、自分を馬鹿だと思いたくないから、科学を軽視する。
どうしたもんかね、、、、、、、
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:0)
損得で生き方を決めるのは不自然で、論理的であることは即ち悪だと考えている人も存在します。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:5, すばらしい洞察)
> むしろ「考える」事自体が楽しいと思うんだけど違いますかね?
年末だし、いい機会だから一度自分の来し方を振り返ってみたらいい。「いきなり『考える」事自体が楽しいと思う』ようになったかどうかを。その前段階が一切なかったかを。
私の経験上、前段階として「見て楽しむ」段階があって、その次に「見てるだけじゃ物足りないから考える。考える、が楽しい」が来るんじゃないかと。
> 「考える」事自体に居心地悪いと思っている人間が科学に興味を持つとは思えず。
はっきり言って、大人ならいざ知らず子供の頃の好き嫌いなんて十年くらいのスパンで持続するとも思えず、この主張は机上の空論でしかありえませんよ。
> 実験とマジックとかの見世物を(もちろん音楽も)同軸に捉えて考えても意味無いと思うんだけどなぁ。
なんで、楽しませることをネガティブにとらえるかな。実験の意味、目的がわかっていたら楽しむのは当たり前。何も知らない人でも楽しませるのは十分意味はあります。
Re:理科離れと関係ないと思う (スコア:3, 興味深い)
その通りですよ。
実験を通して「発見」する楽しみから、その原理を「知る」楽しみを見つけだし、
さらに疑問を持つ事で、新たな謎を解決するための知識を見つけ出していく。
そうして、人はオタクになっていくのですよ。
# 途中から論点が変わった