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低学歴層を大量生産する目的で考案されたのは間違いない。
結果の平等は必要ないが、機会の平等は必要だ。
「結果の平等」は、<<略>>「機会の平等」は、<<略>>
「進学塾」は残るだろうが、進学塾も教育の一環として認め、学力があるのに親の経済状態が悪くて通えない生徒には奨学金を与えるなど、「機会の平等」を保障すれば問題ない。
だから、それを何とかしようと言うのが私の文章の趣旨です。
なぜなら、日本という社会が高学歴に見合う賃金を支払うことができなくなったから。
低学歴層を大量生産するのが目的なら学校を作らなければいいでしょう。
・日本人は低収入ではない。
・「就労意欲のある日本人知的労働者」はこれからますます不足する。
・ニートの発生を解決すべき問題とは思わない。(労働しない自由は誰にでもある。)
お金の価値は変わりますが教養の価値は(概ね)変わりません。
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
出る杭を打つ教育? (スコア:1)
昔のままのやり方だと、昔のままのことまでしか出来ないのではないでしょうか?
元記事に「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく」とあるように、
禁止しなくても学校教育だけで十分ならば自然と塾は行かなくなるでしょう。
#塾禁止にしたせいで、日本の学力がさらに低下したら誰が責任とれるの?
なにか、ゆとり教育の時と良い国自らが学力低下を促してるように感じられる。
これもゆとり教育の一環?
ゆとり教育とは (スコア:5, すばらしい洞察)
なぜなら、日本という社会が高学歴に見合う賃金を支払うことができなくなったから。
バブルを煽ってみたけど、結局無理だった。
また、低学歴層が担う仕事を安易に外国人労働者にふりあてると、それはそれで将来高い代償を払うことになる。
だから、自国民で所得全域にわたる労働人口の確保を狙った。
でも、高学歴層を絞る過程でどうしても住んでる地域で差が出る。だから地方に住みにくくなる政策を打った。
でも、親の地位と収入とかで差が出る。。。政治家がアレだから、コレはよしとしよう。
官僚の考えることはこの程度。
結果の平等は必要ないが、機会の平等は必要だ。と考える納税者がここにいるんだが。
Re:ゆとり教育とは (スコア:2, 参考になる)
おかげで、便利に使い捨てできるフリーターなんて労働力も確保できたし。
頂点の方にいる人たちには願ったりかなったりですね。
でも、日本はまだまだ低所得者といっても高い所得を維持していますから、今ならまだ間に合うと思うんですよ、機会の平等。
Re:ゆとり教育とは (スコア:1)
どちらも同じもの(控えめに言って、似たようなもの)なのに、違うもののように言っても仕方が無い。
「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:5, すばらしい洞察)
> どちらも同じもの(控えめに言って、似たようなもの)なのに、違うもののように言っても仕方が無い。
それは違う。
「結果の平等」は、努力した奴と遊んでいた奴を全く同じに扱うこと。よって
才能がある奴は「勝手に先に行くな」と抑圧される。
「機会の平等」は、誰でも努力する機会が保証されており、努力しだいで高収入や
高い地位などを得ることができるという事。才能がある奴は楽に上に上がれるけど、
それは社会というものが平等に出来ていないと言う現実を受け入れる事。
ゆとり教育の理念はともかく、実態としては「結果の平等」を目指してしまった
事で、底辺に全員が縛り付けられてしまった。だから自衛の為に子供を塾へ行か
せざるを得なくなった。
昔はなんで塾が必要なかったかと言えば、「公教育で十分教育が成立していた」ため。
私の出身高校も昔は東大に何人も入るような地域の名門県立高校だった。その後大学
へ行くことが当たり前とされるようになり、全大学の定員以上の受験生が入試に押し
寄せたため、大学側としても定員以上は受け入れられないので、やむなく入試を難し
くせざるを得なかったと。難しくなれば公教育だけでは足りなくなってしまうので、
「進学塾」や中高一貫教育のため受験に余裕のある「私立中高」がもてはやされたと。
この競争自体は全体の学力の向上に寄与していたが、厳しくなりすぎて弊害も出てきた。
なぜなら進学塾や私立中高へ通わせるには、結局高い費用が必要で、親の収入が直接
子供の学力に結びついてしまったため、「機会の平等」を壊してしまう。
#当時は「東大生の親の平均収入は一千万円」と言われていたと思う。最近はそうでも
ないらしいが。
そこで対策として打ちさされたのが、「教育内容を削って楽にする」という今から見れば
全体の水準を下げるという愚作=「結果の平等」をとってしまった。最初のうちは大した
影響がなかったため、さらに水準を引き下げられ、ついには公教育が意味を成さなく
なってしまった。
このように公教育が崩壊したため、やむなく「補習塾」に通わせないと、まともに教育
が受けられないのが現状である。
#このように「進学塾」と「補習塾」では全然意味が違うのですよ。
受験戦争と言われていた時代は、ある程度「機会の平等」があったのだが、現在では
「機会の平等」はほとんどなくなり、その結果「結果の平等」も形骸化してしまった
訳。この状態で日本の学力=知的生産力は衰える一方。「国民全体の学力が高い」と
いう日本の唯一の国際競争力が失われるという現象が現実に起こっている。
今やるべき事は「公教育の建て直し」であって、「塾が悪い」というのは現実を見て
いない愚かな老人の妄言。公教育が立て直され十分機能するようになれば、自然と
「補習塾」は淘汰される。「進学塾」は残るだろうが、進学塾も教育の一環として
認め、学力があるのに親の経済状態が悪くて通えない生徒には奨学金を与えるなど、
「機会の平等」を保障すれば問題ない。
政治や行政が行うべき事は、個人の機会の平等を守り、国民全体の学力を向上させる事。
これと正反対の事をやっている文教族の族議員や文部科学省の役人は、日本を崩壊
させている張本人。破壊活動防止法でも適用して摘発すべきである。
--- de FTNS.
Re:「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:1)
でも、結果の不平等は、次の機会の不平等を必ず産む。結論として、結果の平等を保障しない機会の平等は、空想上の産物以外のものではない。
選挙権・被選挙権が制度上平等であればいいとか、(公立)学校に行く機会や、塾に行けない機会が制度上平等であればいい、って話なら、機会の平等は保証できるけど、それで保証されているものは、ホントに平等か、ということを考えなければならない。
これはちょうど、FTNSさんが親の収入と子供の学力について考察したことと同じです。入試を受けるという「機会の平等」は保障されているけど、それはまやかしで、実は、親の努力(だか、その前の親の努力だかは知らないけど)の「結果の不平等」の影響を大きく受けていた。
「機会の平等」という言葉に騙されてはいけない。
学力は無くとも、やる気はあるって子は救われないかもしれませんね。実際、奨学金というシステムはあっても大学に進学できない人は、今でもいるのだから。また、公的保証を受けられる塾とか、それ以上のレベルの高束脩塾・家庭教師とか、いろんな問題が出てきそうな気がします。簡単に「問題ない」と言い切るのはどうかと思います。
Re:「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:1)
> 機会の平等は、空想上の産物以外のものではない。
だから、それを何とかしようと言うのが私の文章の趣旨です。
金持ちが教育機関を作って排他的な学校を作るなら、税金つぎ込んでそれ以上の
教育機関を作れと。奨学金制度も貧乏人の親を持つ者を優先し、予算の桁を3~4桁
増やせと。奨学金貰って(ある程度認証された)塾に行くのも構わないと。
ちなみにアメリカでは「奨学金」と言えば「返す必要がなく、就学時の生活費も保証
される」のが原則です。例外の中で有名なのが「軍」の奨学金ですね。大学に行かせて
くれるけど、卒業後何年か軍に勤務する義務が発生すると言うもの。このおかげで貧乏
人の子供でも、努力すれば大学以上まで行けると。
> 選挙権・被選挙権が制度上平等であればいいとか、(公立)学校に行く機会や、塾に行けない機会が
> 制度上平等であればいい、って話なら、機会の平等は保証できるけど、それで保証されているものは、
> ホントに平等か、ということを考えなければならない。
確かに「平等かどうか」を検証するのは難しいでしょうね。しかし子供は待ってくれません。
無駄な議論を費やしているうちに、「ゆとり教育」しか受けていない世代がどんどん増えて
きます。知り合いの大学の先生(講師~教授)に学生の話を聞くと、やはり学力の低下は
深刻で、授業を成立させるのに物凄い努力が必要だそうです。
だから今すぐできる事はとっとと始めて、検証しながら制度を改善するというループを毎年
行い、新しい制度を作っては毎年検証するという作業を永遠に続ける必要があるのです。
日本の知的競争力を回復させ、機会の均等を保障するにはこういった作業が必要です。
本来はこれが文部官僚の仕事のはずなのですが、官僚という者は一度決まった事を絶対に覆さ
ないので検証などまったく行いません。行ったふりをする事はあるようですが。
> これはちょうど、FTNSさんが親の収入と子供の学力について考察したことと同じです。入試を受ける
> という「機会の平等」は保障されているけど、それはまやかしで、実は、親の努力(だか、その前の
> 親の努力だかは知らないけど)の「結果の不平等」の影響を大きく受けていた。
> 「機会の平等」という言葉に騙されてはいけない。
だから、その現状を改善しようと思う訳です。
子供の学力が伸び悩んだら、補習授業(=safty net)で少なくとも一定の学力は付けさせる。
伸びる子供がいれば、得意な科目だけどんどん進ませると。科目毎にこれを行なう必要が
あります。よってある科目は2年飛び級していても、別の科目では補習授業を受けている
という生徒がいても構わないわけです。
> 学力は無くとも、やる気はあるって子は救われないかもしれませんね。実際、奨学金という
> システムはあっても大学に進学できない人は、今でもいるのだから。
上でも述べた通り、日本の奨学金は後進国なみのみっともない制度で、早く先進国並に改善
されれば、そういった人もかなり救われる可能性があります。
> また、公的保証を受けられる塾とか、それ以上のレベルの高束脩塾・家庭教師とか、いろんな
> 問題が出てきそうな気がします。簡単に「問題ない」と言い切るのはどうかと思います。
そういう問題が出てくるかどうか不明だから、実際にやってみる必要があるのですよ。
「~~という可能性があるからやらない」というのは官僚の典型的な逃げ口上ですが、それ
が日本に害を成しているのだと。失敗して放置するのと、また失敗するかもしれないけど、
別の方向性を見出してやってみるのとどちらが良いと思いますか?
--- de FTNS.
Re:「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:1)
だからと言って、よりよくする努力をするな、というわけではありません。間違った目標を設定するのがおかしい、と言っているのです。
頭のいい人たちが他人を騙すのに、「結果の平等」だけでなく「機会の平等」も使うかもしれません。
念のため言っておきますが、私は、
#なんだか、一生懸命私に向かって反論されているようなので。
Re:「機会の平等」こそ守るべきもの (スコア:0)
Re:ゆとり教育とは (スコア:0)
Re:ゆとり教育とは (スコア:0)
低学歴層を大量生産するのが目的なら学校を作らなければいいでしょう。
認可制なんですから認可しなければいいだけです。
役人が大学院の充実なんて打ち出してるのもおかしいですよね?
理解し難い現実を「簡単に」説明する言説は全て疑いましょう。
複雑だからこそ理解が難しいのです。
自分の頭で考えることを放棄してはいけません。
Re:ゆとり教育とは (スコア:1)
「ゆとり」以前か以後かに全然関係なく、中学校卒業までに主要5教科で
教えてもらう内容にきっちりついていけたら、平均的なおとなよりも賢い
人間になる。嘘だと思うなら、街行くおとなに連立一次方程式を解かせれば良い。
本当に必要なのは、ほんらいの中学卒業レベルに到達した、高学力な低学歴層だ。
そのうち大半を職業教育に進ませて、「稼ぐ力」を身につけた頼りがいのあるおとなを
たくさん育てれば良い。残る少数の「もの好き」を、大学進学を前提とする高校
(今の大学教養課程に近いレベルでがんがん勉強させるところ)に進ませる。
そうすると「稼ぐ力」を身につけるのは遅くなるが、そういう人も社会には必要だ。
そういう社会に変えれば、日本はものすごく幸福な国になれる余地がある。
Re:ゆとり教育とは (スコア:0)
コメントありがとう。
でもやはり前提となる言説を知らないせいか私の理解が及びません。
バブル期から単純労働者が足りず外国人労働者がどんどん来ているところに
さらに少子化です。
いわゆるホワイトカラー層の不足もどんどん深刻化することでしょう。
高い年金と税金を納めてもらうために高収入となる仕事にこそ日本国民を
就けたいとあなた方が思わない理由が分からない。
ゆとり教育で学力が低下したとはいえ高校進学率が目に見えて下がったことが
ありますか?
ここまで高い高校進学率を下げなければならないという意図はなんですか?
親よりも低収入、親よりも貧しい生活をする国が「幸福な国」なんですか?
Re:ゆとり教育とは (スコア:1)
大半の人は早期に職業教育を受けた方が良い。「普通科」的な学歴が低いから低収入に
なるのではなく、職業人としての教育・訓練がなっていないから低収入になるのです。
ニートが発生するのは、教育期間が長過ぎるからじゃないでしょうか。
Re:ゆとり教育とは (スコア:0)
私はこんな感じです。
・日本人は低収入ではない。
・「就労意欲のある日本人知的労働者」はこれからますます不足する。
・ニートの発生を解決すべき問題とは思わない。(労働しない自由は誰にでもある。)
できるだけ多くの人が品質の高い高等教育を受けられる国が
幸福な国だと考えます。
お金の価値は変わりますが教養の価値は(概ね)変わりません。
Re:ゆとり教育とは (スコア:1)
そういう人達のためを真面目に考えたら、教育はもっと短期間で職業人を
育成する、という目標に取り組むべきです。いわば「アジャイル」になる
必要があります。 この命題はおそらく妥当です。しかし、そのような人を増やすための方策
として、教育期間の平均値をさらに延ばすべきだ、といえる証拠はありません。 労働しないことが幸福の追求につながる、という人はごく稀です。
たとえ本人が億万長者だとしても、子孫の繁栄を願うという生物的本能を
保っている限り、働くことの手本を子に見せるという意義があります。
子供が働かないように仕向ければ、財産が希釈される数世代後には必ず
子孫が滅びるでしょう。 お金も教養も、脳になんらかの快楽をもたらすための財です。
価値の普遍性という点では甲乙付けがたいと思います。
Re:出る杭を打つ教育? (スコア:0)
>これもゆとり教育の一環?
要するに、愚民化政策か?