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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
平等 (スコア:4, すばらしい洞察)
学校システム、教員にも問題が多いのだが
なんでもかんでも、平等を押しつける世論にも問題があると思う
何が、言いたいかというと
大学受験問題に関して、ちょっとでも教科書に載っていない
もしくは、裏をかいたような問題を作成すると
すぐに、非平等と文句が出る
こちらは、教科書の知識に加えて、応用力や発想力を評価したいのだが
そんな問題出した日には、不平等との文句が出るため
教科書に載っていて、答えがはっきりしている問題しか出しようがない
でも、大学入って、研究するとき
大学出て、社会に出たとき、本当に必要なのは
様々な状況に臨機応変に対応できる力だ
知識や記憶があるほど、様々な応用や
臨機応変な対応が出来るのは認めるが
知識・記憶力「だけ」が能力
または、優秀な人間では「無い」と思う
一方、丸暗記していれば出来る大学受験問題に対しては
塾に通っている人間の方が有利だろう
しかし、上記のような問題を解く力「だけ」が
社会が期待している力ではないし、
このような問題「だけ」を解くことを目的とするのは
学校がするべき教育の姿とは、私にはとても思えない
さらに、限られた設問の可能性から、暗記を駆使して解く問題だけになると
この手の能力に優れた人間「だけ」の、激しい競争となってしまい
特定の、多様性のない、能力だけが評価されるようになってしまう
(これこそ、機会の不平等ではないのか?)
人間、本質的に不平等なんだよ!
機会は平等に与えられるべきと思うが
自分の解けない問題出たからって、文句言うな!
もう関係者じゃないなので、IDでいいや
PS
このような事を書くと、
暗記力も立派な力だ!
とか
受験に耐えて、努力してきたことを評価しないのか?
などの意見出そうだが、これらの努力も十分に立派と思っております
誤解無きよう