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ある程度成長してから疑うこと、というのが順番では。
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:1, 興味深い)
> とする小学校の道徳教育の現場で使われるという事態
その学校の理科の教員はどう考えているのか伺ってみたいですな。
今の義務教育では「嘘も方便」が罷り通ってるんですか?
米国でID論を教えるの教えないのと揉めているのを馬鹿に出来ません。
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:2, すばらしい洞察)
「嘘も方便」以前の問題として、科学的素養に欠けた人材が学校で子供の育成にあたるようになってきただろうと思われるのは、極めて深刻な事態であるのではないでしょうか。
#子供には、まず「疑うコト」を教えて欲しい、と思いつつAC
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:2, 興味深い)
いろんなことに疑問・好奇心を持つことはいいことだと思いますが、
まず疑うことから教え始めちゃうと、「我思う、故に我在り」なんてことを
小学校から教えるべきか、なんて話になりかねない。
それは冗談としても、子供にまず必要なのは信頼。
ある程度成長してから疑うこと、というのが順番では。
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:4, すばらしい洞察)
そりゃそうですよね。最初っから全否定されたら、教育のしようがない(笑)。
必要なのは、「疑う方法」だと思うのですよ。
科学が科学たる所以なのは、自身に反証可能性を持たせることで、第三者のチェックをもって成り立っていることでしょう。疑似科学というものは、往々にして結果が恣意的に決められているので、チェックに寛容ではありません。部外者による実験なり観測なりで、反復可能性が充分にあることを立証してもらわなければならない。
というコトを踏まえれば、「水」のハナシなんかも科学的実験として成り立っていないのではないかという疑問は普通に湧くハズです。「そういう素養が今の教師にはない」というのが事実であれば、これは確かに怖い。
こと疑似科学に関しては、社会全体としても放っておけない問題として侵食しつつあるのに不安を感じます。血液型性格判断を素で信じてる人は多いですし、マイナスイオンなるものが商品の付加価値になっている、とか。間接的にでも自分に害が及びつつあるような気がします。
とはいえ、周囲のみんなにカール・セーガンの本を「基本だから!」とか言って強制的に読ませるのも無理があるし‥‥。
そういう意味でも、今回の菊地さんや田崎さんの動きには期待しています。やっぱり科学の現場の人が声をあげてくれるのは心強い。朝日が記事にしたのは久々の GJ ですかね。
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:1)
卵が先か、鶏が先かの問題のような...
まぁ断ち切るために、低年齢教育者用のある程度信頼できる教育内容/先生認定のが、疑う事を教えるよりは楽かもしれない(苦笑
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:1, すばらしい洞察)
さらには、「疑うこと」は、教えるものではないと思う。
水でもなんでも、科学的でも非科学的でも、言われたとおりに信じるだけでなく、まずは興味をもって「なぜ?」と思える心を育てたい。そうすればその結果として、時には疑う事も必要なんだ、という事が自ずからわかるはず。
Re:教育現場では倫理的に許すべきでない。 (スコア:1)
> ある程度成長してから疑うこと、というのが順番では。
無謬の信頼なんて教えても碌なことがないでしょう。
そもそも疑うことと信頼することは相反するものではないし。
信じると信じないの別れ道にたどり着くまでの過程が疑うなわけで。
まあこの過程をすっ飛ばすのが問題なんでしょうけど。
結局は疑うというか考えるが先で、その結果を踏まえて限定的に信頼する、の順番が大事ではないかと。
子供だからこそきっちり教えこんどいた方がいいと思います。
#夢見させた責任なんてとれないしな