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「水に優しい言葉を かけると美しい結晶ができる」とする小学校の道徳教育の現場で使われるという事態が挙げられている。
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ソースを見ろ -- ある4桁UID
道徳教育 (スコア:3, すばらしい洞察)
#ニセ科学否定から始まって、「科学的に立証できないものには効果はない」、といった科学万歳方向に突っ走らないように気をつけねば。
Absence of evidence is not evidence of absence.
ヽ( )`ω´( )ノ
Re:道徳教育 (スコア:3, すばらしい洞察)
> 気づかせる、という意味で有意義だったと思います。
はて、「しょうもない」と気づいた子供たちがどのくらいいたと思いますか?
私は、「学校で習った」信仰、「本に書いてあった」信仰が支配的で、
有意義だと思わせるよりも、害悪のほうがよっぽど多いと思いますよ。
Re:道徳教育 (スコア:1, 興味深い)
そうすると、親または友人の親または親の友人が教師という子供が増えて
家庭での教師の姿を見る機会が増え、教師ってあまり信用しちゃいけない人達だというのが理解できます。
そうすると、小学校の1年生のうちから先生の言う事を端から疑い、吟味した上でないと聞き入れない生徒が出来上がります。
#それでずっと教師とは敵対した学校生活だったのでAC
Re:道徳教育 (スコア:3, 参考になる)
小中学生程度を前提にコメントしますが、これを下手にやってしまうと、学級崩壊が起こって学力や礼儀作法が身に付かない子どもが大量生産されてしまいます。
すでに、教職員の不祥事はたくさん報道されてしまっているわけで、それによって「教員て大したこと無いな」という認識が、保護者にも子どもにも生まれています。
まずは教員と生徒は信用しあって、お互いのいうことに真摯に耳を傾けあって、そこからですよ。
教員が阿呆なことを言っているというのは、教員同士や、教員と保護者の間で解決していくべき話です。子どもをそこに入れてしまうと、教育上よろしくない。
Re:道徳教育 (スコア:0)
親が教えるべき物を学校に求めたらだめ
それから、昔の教師が尊敬されたのは、教育力云々より
親達より明らかに教育レベルが高かったからが大きい。
だから地域でも尊敬されていたわけ。
親たちの教育レベルと教師の教育レベルが同じになって、
昔と同様に尊敬されるわけはそもそも無い。
「教員て大したこと無いな」は大多数の親にとっては当たり前。
子どもを人質に取られているから言わないだけ。
子どもから得られる信頼はまた別の話で、
ろくでもない教師が子どもに信頼されない・バカにされるのは
今に始まった話じゃない。
Re:道徳教育 (スコア:0)
本当はね。
> 親が教えるべき物を学校に求めたらだめ
その「親」が教えなくなった(あるいは親が教わっていない)ことが
多い今となっては、誰が教えればいい?
となると一番手っ取り早いのは学校だと思う。
文化が違えば礼儀作法も違うので、文化の継承を何が担うのかという
観点で考えればいいんじゃないの?