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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
ヨーロッパ諸国はどうか知りませんが (スコア:2, 参考になる)
プラグマティズム(「現実に役に立たない学問は不要」という考え)
がかなり浸透している,ということは昔から言われていた話でしょ.
何をいまさら.
Re:ヨーロッパ諸国はどうか知りませんが (スコア:2, すばらしい洞察)
「自分の仕事にどういう価値があるか」
を真剣に考えるかどうかという姿勢に大きな違いがあるのです。
そしてその価値の置き所を考えるときに、プラグマティズムが出てくるのです。ただしプラグマティズムを目先の役に立つかどうかという近視眼的な実利主義と捉えると、道を誤ります。
プラグマティズムは価値観のひとつです。したがって我々は価値観に着目しなければなりません。誤解を恐れずに言えば、「世界はどうあるべきか」というビジョンを持っているかどうかです(だから我々から見て欧米人は押し付けがましく感じられることもあるので
Re:ヨーロッパ諸国はどうか知りませんが (スコア:1, 興味深い)
ただその仕事が「役に立つか」を議論しても意味がないということです。
「何の」役に立つか、ということをまず考えるべきです。人の数以上にあるであろう、「来るべき世界」のうち、どのような世界の実現にどのように奉仕する仕事なのか。
よく自分の研究成果をうまく使えるところがないか、他人に一生懸命聞いて回っている人がいます。
自分の想定しない使い方というのは確かにあるでしょうし、それを教えてもらうのは自分の知見を広げる意味では意義のあることです。でも、まず自分自身がその仕事の価値・ビジョンを持っていなければ、三流営業の売り込み行為と大差ないということになるでしょう。
ところが、そういう仕事でも、自分の考えていたところと全く違うところで大々的に活用されブレイクするということは、稀ですがありえます。しかし、それは喜ばしいことかどうかわかりません。逆の場合もありえるでしょう(例えば兵器や市民の監視技術への転用など)。
技術それ自体は価値観とは独立であるからこそ、それを生み出す人間自身が価値観を磨かなければならないのです。そして、自分自身はあくまでその価値観に基づいて役に立つ立たないを考え、仕事を積み重ねなければなりません。
それが、もともとの論点であった事業化に対する答えになります。なぜなら、事業とは世の中の役に立つことをすることだからです。自分の価値観が奉仕する「来るべき世界」とお客様やスポンサーの望むそれがマッチしたときに、事業化の芽が生まれるわけです。
資金をいかに集めるか、とか、失敗後の再起を社会としていかに支援するか、という議論もありますが、こういった自らの姿勢についても、立ち止まって考えてみたほうがいいのではないでしょうか。
お読みになっている皆さんはどう思いますか?