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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
コンピュータ以前とコンピュータ以後 (スコア:3, 興味深い)
かつては理科、社会、算数や数学にしろ、過去に固まった歴史や理論が教科書になり、
それを児童や生徒にそのまま教えればよかったのです。
その学問が社会に通用し、国の力となりました。
学校の先生はそれゆえ地域社会でも尊敬される「聖職」だったのです。
しかしコンピュータの登場、とくにパーソナルコンピュータの登場により、
義務教育にまでコンピュータが進出したことで、
教育現場が一変したことは想像に難くありません。
教科書の内容を何十年と通り一遍に教えれば良かったのが、新しい技術に四苦八苦。
減価償却の耐用年数を待たずに時代遅れとなるハードやソフト。
そこに追い討ちをかけたのがインターネットだと思います。
浮世離れした聖職者は、否応無しに社会と向き合わねばならなくなりました。
現場はおそらく悲鳴を上げていることでしょう。
いっそのこと、
義務教育や高等学校の普通科ではコンピュータ・インターネット教育をカリキュラムに入れない
ということを文部科学省は検討すべきだと思います。
使うなとはいいませんが、もし教育を行うのであれば、
情報科教員を増やすなり、
アメリカのようにIT企業OBを迎えるなりといったことを行わなければ、
地域社会における学校の権威も地に落ちるばかりだと思います。
モデレート したいときには 権利なし
かつかれー
Re:コンピュータ以前とコンピュータ以後 (スコア:1)
私の友人は社会の先生ですが、ロシア革命の指導者を問う問題に「ウリヤノフ(レーニンの本名)」と答える生徒も居るそうです。これからは知識を与えるというよりも、ものの考え方や人格教育の比重をより高めていく必要がありそうです。
百科事典とコンピューターと (スコア:2, すばらしい洞察)
ただ、自分が必要とする知識を得るための道具である、「基礎的な文字の読み方書き方、文章の読み取り方、科学的な物の見方、基礎的な歴史の知識、計算の仕方」などは、「教える」必要がありますよね。義務教育の段階で教え込まれるのは、昔も今もその部分でしかないです。
自分の事をふりかえってみても、働き始めた時点で持っていた技術・知識で仕事が出来たわけじゃないです。みんな同じでしょうが、当初持っていたのは「学習するための能力と学習するために必要な基礎知識」でしかなかったわけで。
現在は、技術体系の変化が職業人生の全体に渡って生じる可能性が高いんだから、それに対応するための力を持てないことは、致命的ですよね。また、継続的に「自立的に学習する能力」を身につけていない場合、多数の「知識」のバランスを取る「知恵」は身に付かないですし。
> 生徒が大量の情報に効率よくアクセスできるということがあると思います。
Web上の大量の情報は、「大量の知識の断片」でもあります。コンピューターは単にマスとしての情報への窓口に過ぎないから、それの価値判断をして、そこから「どんな構図が描けるのか(何をチョイスすれば、より自分の要求がかなうのか)」、という段階をふまないと危ないわけです。そこが「一定の水準が保証された百科事典」との根本的な差ですから、Webの情報を扱わせるなら、そのような意味合いもいっしょに教えないと危ないですね。
# 学習のためには「Webという仕組み」は有益だと思っています