また、権威付けされるに足るべきものとなるためには、誤った記述を極力排除していかなければならないでしょう。そのためには、専門家に書き込んでもらうだけではなく、専門家が見て正しくない記述、素人による記述を書き込ませない仕組みが必要となるかもしれません。それが Wikipedia のあるべき方向かというと、真逆を向いてしまうような感じですし、難しいところではありますが。
by
Anonymous Coward
on 2004年08月31日 15時28分
(#614675)
まず、Jimmy Wales が「5年以内にはそれらは存在しなくなっているだろう」といっているのは、たんに Britannica など旧来型の手法で製作された百科事典のことで、印刷物としての百科事典のことではないと読むべきです。
"Open Source Everywhere" という記事の 2 ページめ [wired.com]、"An Experiment in Open Source" という Wikipedia をとりあげてる章 (ページの下半分ぐらい) を読んでみてください。
Wales が Wikipedia の、印刷物や CD-ROM としてのリリースをも考えていることが紹介されています。
先の記事には Wikipedia が 昨年夏の時点ですでに、一日あたりのページ・ヴュー数において Britannica.com を上回ったことが紹介されていますが、その傾向は止まることなく 現在は完全に Wikipedia が上回っている [alexa.com]ようです。
ここから、Wikipedia はすでに人々の信頼を勝ち取っているということが、ある程度ですが言えるのではないかと思います。
そして、信頼とは権威に結びつくものだろうと思うのです。
Wales は、百科事典がオープンソース式の分散協業にきわめて適した作業対象であるといっています。
その認識から「5年以内にはそれら (旧来型の手法で製作された百科事典) は存在しなくなっているだろう」というような言葉が出てきているのだろうと思います。
百科事典との補間 (スコア:3, 興味深い)
と答えていますが、そんなに簡単に印刷物としての時点が消えることはないだろうと思います。断言しても構わないでしょう。
その最大の理由は、百科事典が古いものでは数百年の歴史を持ち、権威付けされているのに対し、Wikipedia は権威付けされていないという点。
「広辞苑では○○と書いているが……」「ブリタニカでは……」という言い方で自分の意見を補強することはできても、「Wikipedia ではこう書かれているから」というのは、意見の補強にはならないのではないでしょうか。
もうひとつの理由としては、印刷物であるがゆえに、とくに何を調べるというわけでもなく適当にページをめくり、トリビア的な知識を得ることができるという点です。辞書や事典は物事の意味を調べるために使われますが、それ以外の目的でも使われえます。
#後半で、「愛」が重要だという回答には感慨深いものを感じたので ID 。
#何か貢献しないといけないように思えてきた。
議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:2, すばらしい洞察)
しかも、Wikiであることで、編集作業や貢献にかかるコストが通常の辞典よりも極端に低いものとなっています。ある事柄の専門家が、その専門分野について1ページだけ書くこともできるのです。
これは通常の辞典の編纂からは全く考えられない利点です。
もし専門家が数ページずつ持ち込むことができれば、内容は通常の辞典よりもレベルの高いものとなるでしょう。ある程度の権威がついてきて閾値を超えれば、雪崩をうってそれがおこることも考えられます。
また、検索とリンクが使えることは、辞典の利用にとってとても大きなことです。
これも紙では考えられない利点でしょう。
討ち死にが続いて死屍累々となっている電子ブックよりも、移行は早いと思われます。完全になくなるかどうかはわかりませんが。
適当にページをめくることができるかどうかは、インタフェイスの問題でしょう。
"よく読まれているページ"や"ランダムにページを選択"などのメニューがあれば、事足りるものと思います。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:3, 興味深い)
要は、百科事典はバザールではなくて伽藍なのではと思った次第。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
具体的に、どの記事でそんなことがあったのか教えてくれませんか。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1, すばらしい洞察)
> 専門家というのは、一般の人が納得できるように説明できる人のことだと思ってますから。
これは一般的ではない見解ではないでしょうか?
世の中には一般の人を相手にしなくてよい専門家の方が多く、
「一般の人が納得できるように説明できる」事が求められる場は稀です。
あなたが「そうあってほしい」と言うだけで、それを専門家たる条件とするのは、
私のような「一般の人」には納得できません。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:2, すばらしい洞察)
> 例えば、宇宙関連の専門家は自分の仕事の有効性などを
> 国の役人などに説明できなければなりません。
> もちろん、国の役人が一般人かという疑問は残ります。
疑問は残る?
私はむしろ、それは一般人であってはならないと思います。
その立場の「役人」は、彼らなりに理解する努力として
説明を聞く分野についてある程度の基礎知識を持つべきでしょう。
それは、職業上求められる事です。
専門家は、その専門分野について少し内容を省略し、
ある程度の基礎知識を持つ者に理解させる事ができれば充分。
そうやって専門家に説明を受けた「基礎知識を有する者」は、
更に内容を簡略化し、基礎知識の無い一般人に説明する。
既存メディアではそーゆー階層構造で情報伝達されていますよね。
(某全国紙の科学系記者のように予習が足りないと言われる場合もありますが)
役割分担が機能していれば、専門家が一般人相手に四苦八苦する必要は無い。
ある程度の学習をし、ある程度の理解をした非専門家が説明できればいいのでは?
中間レイヤーを抜く事が必ずしも効率的では無いと言う例です。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1)
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
それが優秀ではない人を「二流以下」と断じるのは勝手にすればいいけど、
それによって専門家の知識を受け取れないのはもったいない。
器への注ぎ方が悪いのか
器の底が抜けてるのか
注ぎ手と受け取り手のどちらの希少価値が高いのか
さあ、どうなんでしょうね。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
>ある程度の基礎知識を持つ者に理解させる事ができれば充分。
それはそうですし、論文を書くならば必要十分だと思います。しかしWikipediaは百科事典なので、専門家じゃない人が普通に理解できることを理解できるように書くことが求められると思います。まさに、
>そうやって専門家に説明を受けた「基礎知識を有する者」は、
>更に内容を簡略化し、基礎知識の無い一般人に説明する。
を行う場だと思うのです。
その学問分野でのまったくの新説は、適切な学会誌に発表して、世の中に認められてか
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
ここで専門家の定義をすることにあまり意味を見出せない。
書ける専門家が書けばよい
ってことでしょ。
すべての専門家が百科事典や専門分野の事典の編纂に加わるわけじゃないんだから。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1, すばらしい洞察)
>専門家というのは、一般の人が納得できるように説明できる人
>のことだと思ってますから。
数の力を過小評価してないですか??
個人的には、「人生のいくばくかの時間を費やしてきた専門家」と「今まで考えたことなどないのに、とりあえず口を挟みたい人」とが同じ重み付けっていうのに無理を感じたりしてます。互いの専門性に敬意を払い合う世の中なら、こんなこたー感じずにすむのかもしれませんが。
あなたの仰る一般の人々が、もしあまり理性的でなくて、しかも大勢で「ワーワー」言ってきたら、私なら直ぐに逃げ出しちゃいますな。^^;
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1)
たとえば、鳥類の分類の話じゃないかな。
Sibley-Ahlquist鳥類分類 [wikipedia.org]の話でひどくもめてた。
#正直学問としての生物がよくわかってない自分には何のことやらさっぱり。
>これって、専門家としての能力が低いってことでしょうかね。
この件についてはたぶん違う。
Wikipediaの場合、誰が本当の専門家かしばしばわからなくなる。
今でも、マイナーな分野やローカルな話題について書かれていることが
その人の妄想なのか知られていない事実なのかが区別できなかったり。
任意の分野において、専門家の数<非専門家の数 はたぶん一般的に成り立つだろうから、
これは人数を増やしただけでは解決できないかも。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1)
(鳥類の分類自体が流動的であることも背景にはあるらしいんですけどね)
この「専門家」は攻撃的な姿勢を終始変えることがなく、結局管理者の警告を無視して投稿ブロックされるに至りました。
「そんなこと」の例としてはメッカ・マッカ論争 [wikipedia.org]が適しているかも知れません。
──おお神よ、あんたそこまでやるか?――
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
#まぁ、専門家じゃないという意味を込めて「専門家」(括弧付)と表現していたのでしょうが。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
「専門家の編集が却下され続ける」かどうかは知りませんけど、ブロードバンド [wikipedia.org]なぞは「多数派に圧倒され」と言えるのかも知れませんね。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
なーんて運用は無しですか、そうですか。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:2, 興味深い)
>もし専門家が数ページずつ持ち込むことができれば、
「れば」「たら」も結構だと思いますが、そのために何がなされなければならないかも考えないといけないでしょう。専門家が書き込むことができるということと、実際に専門家が書き込んでくれることとは別なわけですし。
また、権威付けされるに足るべきものとなるためには、誤った記述を極力排除していかなければならないでしょう。そのためには、専門家に書き込んでもらうだけではなく、専門家が見て正しくない記述、素人による記述を書き込ませない仕組みが必要となるかもしれません。それが Wikipedia のあるべき方向かというと、真逆を向いてしまうような感じですし、難しいところではありますが。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1)
>適当にページをめくることができるかどうかは、インタフェイスの問題でしょう。
>"よく読まれているページ"や"ランダムにページを選択"などのメニューがあれば、事足りるものと思います。
この2つの機能は既に盛り込まれていますね。
(「注目の記事」「おまかせ表示」)
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:1)
補足しておきますと、2003年前半頃までは各ページの閲覧回数も記録されており、確認することも可能だったのですが、この機能は負荷対策のため削減されてしまいました。
- Lupinoid -
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
そういえばそうだった。上位に白装束集団とかクリ*が来ていて萎えたけど。
Re:議論を行なうためにカウンターサイドへ (スコア:0)
#手伝っていないのでAC
紙と電子と (スコア:2, すばらしい洞察)
多くの場所で飾りと化している現状を見れば、トリビア的な知識を得る為の趣向品でしかないのではないかと。最近では印刷版の広辞苑ですら、同様の境遇に置かれつつある事ですし。
そういう意味では、5年以内に一般人の本棚から消える可能性は高いのではないかと思います。
代りに台頭してきているのが電子辞書の類。某通販会社のCMは言うに及ばず、某日本語漢字変換ソフトのセット商品を始め、世の中には数多くの電子辞書が出まわっています。
検索性の高さを考えれば必然の流れですが、今後は辞書や辞典と言えばこちらの方を指すような時代になってくるのかもしれません。
ちなみに最近の辞書や辞典(電子版)は、何気なくトリビアを探す人のために起動時にランダムな内容を表示したり、いくつかのテーマに分けたツアーを実施してくれたりもします。
隣り合わった単語の表示機能があるのもありますし、紙の辞書・辞典との利点も取り込む努力をしているようです。
#個人的には、MSの電子地球儀が好きだったなー
--- どちらなりとご自由に --- --
電子地球儀 (スコア:0)
//両方ロハでガメているのでAC
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
それって、ゲーテ曰く [google.co.jp]の同義語じゃないの?
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
よくこのような「紙媒体は消滅する」といった話は見受けられるのですが、
どうもこの手のものについて「ネットに接続しないと使えない」とか、
もっと突き詰めて「電気がないと使えない」とかいう状況になってしまうのに、
幾ばくかの抵抗感があるのですが……
やっぱ少数派なのでしょうね(苦笑)
# Wikipedia のようなものが不要と言っている訳ではないです。
# 私もずいぶんとお世話になっていますので:-)
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
プロセスとして物理的にかさばるものの存在は重要だと思います。こう
書くとかさばるものに対して否定的なイメージに読めますが、実際に
ものすごい量だとかいうのは GB とか TB なんて数字じゃ分からないわけ
でして。感覚として「分かる」ことができるモノの強さを肯定したいと
いうことです。
そして PC や電子ブックリーダーを介することなく「手に取って読む」
ことができるという点をもっと肯定したい。自分が電子デバイスの扱いが
得意でなくなったとき(年取ったとか)やまだそういうデバイスをうまく
扱えない子どもに対してとても有効だと思うので。
# こういうのも何かの技術が解決するかもしれないけど
Re:百科事典との補間 (スコア:2)
拡大して表示したり、
音声での自動読み上げとかもできないので、
紙の媒体は年をとったときには
むしろ不便さが拡大すると思いますよ。
Re:百科事典との補間 (スコア:0)
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
(今時、子供の方が、下手な大人よりパソコンも使いこなしてますよね。3歳児が、自分でパソコン起動してお絵かきなんて話もよくききますし)
Re:百科事典との補間 (スコア:1, 興味深い)
"Open Source Everywhere" という記事の 2 ページめ [wired.com]、"An Experiment in Open Source" という Wikipedia をとりあげてる章 (ページの下半分ぐらい) を読んでみてください。
Wales が Wikipedia の、印刷物や CD-ROM としてのリリースをも考えていることが紹介されています。
先の記事には Wikipedia が 昨年夏の時点ですでに、一日あたりのページ・ヴュー数において Britannica.com を上回ったことが紹介されていますが、その傾向は止まることなく 現在は完全に Wikipedia が上回っている [alexa.com]ようです。
ここから、Wikipedia はすでに人々の信頼を勝ち取っているということが、ある程度ですが言えるのではないかと思います。
そして、信頼とは権威に結びつくものだろうと思うのです。
Wales は、百科事典がオープンソース式の分散協業にきわめて適した作業対象であるといっています。
その認識から「5年以内にはそれら (旧来型の手法で製作された百科事典) は存在しなくなっているだろう」というような言葉が出てきているのだろうと思います。
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
Encyclopædia Britannica [britannica.com]やWorld Book [worldbookonline.com]などのオンライン百科事典で、
印刷物としての百科事典ではないと思うのですが。
> そんなに簡単に印刷物としての時点が消えることはないだろうと思います。断言しても構わないでしょう。
というのには同意しますが、ここでは的外れではないでしょうか。
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Tsukitomo(月友)
Re:百科事典との補間 (スコア:0)
参加者としてはこれは心意気だと思っています。
誰でも「そこそこのモノを作ろう」程度の目標より、「トップを目指そう!」のほうが意気があがるよね。実力が伴うかはまた別な話だが、内容の改善などで「どうせこの程度の低い目標な
Re:百科事典との補間 (スコア:0)
おまかせ表示 [wikipedia.org]じゃダメ?
興味を引くものに当たるまで連打すると良いと思う。
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
こういう機能があることを知りませんでした。不勉強で申し訳ありません。
暇なときにいろいろ編集したくなってきた ID
Re:百科事典との補間 (スコア:0)
>と答えていますが、そんなに簡単に印刷物としての時点が消えることは
Re:百科事典との補間 (スコア:1)
自宅にはありません。実家にはまだ置いてあったかな。
>現状、百科事典を備えている家なんて、もう数少ないのでは?
ですが、図書館や大学には、まだ大半のところが百科事典を備えていると思います。
それらは5年では消えないでしょう。50年たてば、わかりませんが。
Re:百科事典との補間 (スコア:0)
>ぼくはそれらの百科事典を競争相手と見なしたい。5年以内にはそれらは存在しなくなっているだろうという点を除いてね。
選択肢がなくなるのは嫌だな。あと、権力になっちゃうのも困る。googleが発展して「google八分」のようなことが発生したのに似たようなことが起こらないといいけど。